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古本夜話953 ジョゼフ・コットとオリバー・ロッジ『心霊生活』

 本連載946から少し飛んでしまったが、もう一度山田吉彦に戻る。山田はきだみのるの名での『道徳を否む者』の中で、「J…C…」=ジョゼフ・コットのポルトレを描いている。コットのことは本連載926でもふれているが、もう少し詳細にたどってみる。

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 彼は日露戦争を通じて日本に興味を覚え、東洋一般へのあこがれを生じさせた。そこでリヨン大学を卒業し、パリで大学教員適格免状を取ると、日本に少しでも近づくためにペルシャ王室の王子の教育掛りとなり、その二年後に東京帝大文学部のギリシャ語、ギリシャ、ラテン文学の講師として日本にきた。しかし講師の給料では帰国する余裕はなかった。

 こうして彼は神経衰弱になった。病勢が昂ずると彼は築地の外人経営の病院に入院した。外科を得意としていた院長は、彼が重態で命は長くないであろうと云った。このために病勢はもっと悪くなった。彼にとって死の恐怖が始まった。死後に就て読んださまざまな本の記憶が彼を苦しめた。病気の始めの頃、彼は好く霊魂学の本、特にオリバー卿の死後の生の本を読んでいた。神経衰弱の弱りから死後の霊の存在は二重に彼を苦しめたように見えた。棄教して無神論者となった彼には霊魂が肉体と一緒に亡びてしまえば、それは何でもなかった。しかし霊が存続していては、棄教者のそれは長い間煉獄で苦しまねばならない。

 それもあって、彼はトラピストのバターを愛用し、菜食主義者で、その無神論は当時の革新思想の急進社会党のものと同じだった。そして在日フランス大使館がアテネ・フランセの成功を見て、エコール・フランセーズを設立しようとした際に、ポアンカレ大統領に手紙を出して抗議し、国家権力が個人の善き企ての芽をつむことを阻むようにするとの返事をもらったというエピソードも付されている。このような彼の思想はデュルケムやマルセル・モースたちとも通じるものであり、その回路を通じて、きだ=山田吉彦もフランスへと送り出されたのであろう。

 それはともかく、コットのような人物にとっても、「オリバー卿の死後の生の本」がオブセッションとなっていたのは意外であった。この本に関しては拙稿「水野葉舟と『心霊問題叢書』」(『古本探究Ⅲ』所収)で、夏目漱石も読み、その翻訳が大正六年に『死後の存在』として、高橋五郎訳で玄黄社から刊行されていることにふれている。

古本探究3   f:id:OdaMitsuo:20190913115302j:plain:h112(『死後の存在』)

 コットのそれを読んだのはいつだったのか明確ではないけれど、やはり大正時代だったのではないだろうか。同じく日本においても、「オリバー卿の死後の生の本」=Survival of Man は注目されていたようで、玄黄社版だけでなく、同じく大正六年に大日本文明協会から『心霊生活』として、藤井白雲訳で刊行されている。高橋五郎訳はすでに言及しているので、ここでは藤井訳を見てみよう。

 オリバー卿は『岩波西洋人名辞典増補版』に立項されているので、まずはそれを引いてみる。

岩波西洋人名辞典増補版

 ロッジ Lodge Sir Oliver Joseph 1851.6.12~1940.8.22  イギリスの物理学者。リヴァプール大学教授(1881-1900)。バーミンガム大学の創立と共にその初代総長(1900-19)。電気通信、特に無線電話を研究して、電磁誘導無線電信を発明し、また初めて伝播の同調を行って感度をあげた(1897)。他に熱、エーテルの研究もある。後年は心霊学にこって死者との通信を信じた。(後略)

 ロッジが「心霊学」に深入りしたのは第一次世界大戦で、息子のレイモンドが先史したことによっている。それは本連載100の「新光社『心霊問題叢書』と『レイモンド』」で取り上げているので、そちらを参照してほしい。

 大日本文明協会の『心霊生活』の翻訳構成は、第一篇「心霊研究会の目的及対象」、第二篇「実験的遠感」、第三篇「自発的遠感千里眼」、第四篇「自動作用と千里眼」となっていて、それぞれが章として分けられ、トータルで二十五章に及んでいる。その第一章は「心霊研究会の起源」と題され、「幾多の不可思議不可解なる出来事は、古今東西、あらゆる民族、あらゆる時代を通じて、其存在を認められて居る」と始まり、それらをすべて「迷信の一語」と断言するわけにはいかないと続いている。

 先の拙稿で、心霊研究会=英国心霊研究協会の設立が一八八二年で、それが本連載104などで繰り返し言及してきたマックス・ミュラーの『東方聖書』のサンスクリット経典の英訳に多大の影響を受けていたことを指摘しておいた。しかしあらためてロッジの、「幾多の不可思議不可解なる出来事は、古今東西、あらゆる民族、あらゆる時代を通じて、其存在を認められて居る」という書き出しを読むと、同じ英国において、発表されようとしていたフレイザーの『金枝篇』(1890~1915)のことを想起させずにはおかない。フレイザーが、「幾多の不可思議不可解なる出来事」を神話や伝説、未開民族の説話を通じて解明しようとしたのに対し、ロッジたちの心霊研究会もまた「死後」の探究へと向かったといえるのではないだろうか。

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 なお心霊研究会に関しては、ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』(和田芳久訳、工作舎)が好著で、その全貌をよく伝えていることを付記しておく。

英国心霊主義の抬頭


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