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古本夜話985 高木敏雄『比較神話学』と武蔵野書院

 前回、高木敏雄の『日本神話伝説の研究 神話・伝説編』の「序」は柳田国男が寄せていることを既述したが、そこには「比較神話学が高木君最初の力作であり日本伝説集が明治末葉の大蒐集であつて、共に最近に覆刻せられた」という一節が見えていた。『日本伝説集』は他ならぬ郷土研究社から大正二年の刊行である。

f:id:OdaMitsuo:20191217170856j:plain:h115 f:id:OdaMitsuo:20191219114200j:plain(郷土研究社版)

 そのうちの『比較神話学』は入手していて、大正十三年に発行者を前田信とする武蔵野書院から出されている。またその奥付の前田の横には発行兼印刷者として、岡村千秋の名前もあるし、奥付裏には『比較神話学』と並んで『日本伝説集』も広告されているので、柳田のいう「ともに最近に覆刻」を担ったのは武蔵野書院だったことがわかる。またそこには本連載で取り上げてきた郷土研究社の伊波普猷『古琉球』、金田一京助『北蝦夷古謡遺篇』、「爐邊叢書」なども掲載され、武蔵野書院と郷土研究社の親密さをうかがわせている。

f:id:OdaMitsuo:20191222121951j:plain:h115(『北蝦夷古謡遺篇』、甲寅叢書)

 それはいうまでもなく、柳田の出版代行人たる岡村千秋の存在によっているはずだ。それらの事実は「岡村千秋、及び吉野作造と文化生活研究会」(『古本探究Ⅲ』所収)などでふれてきたとおりだ。また岡村と高木の関係もかなり深かったように思われる。実は岡書院の二冊の奥付には、故高木敏雄の横に右相続人高木九一郎の名前が並列され、この二冊の出版が高木の遺族のためのものだとわかる。『比較神話学』の奥付には相続人の名前はないけれど、「板権所有」のところに「まゑだ」の押印があることからすれば、武蔵野書院の前田が、『比較神話学』の印税の代わりに版権を買って刊行したと見なせよう。おそらく『日本伝説集』も同様で、これらも高木の遺族のために、岡村が配慮し、再度の出版にこぎつけたと考えられる。

古本探究3

 『比較神話学』は明治三十七年に博文館から刊行されたが、柳田によれば、「高木君の新し過ぎた学問は、恰かも新し過ぎた葡萄酒の如くに、舶来品歓迎者にすらも、尚賞玩せられなかつた」ようだ。それもそのはずで、日本において神話研究は始まったばかりだったし、高木こそがそのパイオニアに他ならず、しかもヨーロッパの研究にベースをおいていたからだ。その「序」において、高木は実際に多くの名前を挙げ、次のように書いている。人名横の傍線は省く。

 本書は、此等の民族の神話説話に関しては其材料を悉く欧羅巴の著書に求め、神話上の問題に関しても亦た、多く欧羅巴の学者の意見を参考にしたり。参考せし著述の最重なるものゝ二三を挙ぐれば、プレルレルの希臘神話学、マクドネルの吠陁神話学、ゴルテルの日耳曼神話学、モックの日耳曼神話学、マックス、ミュラー及びラングの神話学的著述、マイエルの比較説話学的論文、ギルの南太平洋神話、バーリング、ゲールトの中世説話の研究、デーンハルトの民間天然科学的説話、ゼーンスの植物説話、フィスクの神話学、ゴールドシーヘルの希伯来神話、デンニスの支那民間説話等なり。「アイヌ」神話に関しては、チェンバーレン並びにバチェラー二氏の著より、その材料を取れり。日本支那の神話研究に関しては、外国人の研究殆んど云ふに足らず。本書中、日本支那の神話説話に関する部分は、凡て著者の創見なり。

 そうして第一章「総説」は神話学の概念由来から始まり、比較神話学説が紹介されていく。それらは神話起原説と比較神話学、人類学的比較神話学、神話伝播説、宗教学的神話学が挙げられ、続いて比較神話学の方法と神話の種類が論じられる。第二章は「天然神話」として、太陽神話、天然物素諸神に続いて、支那と日本神話の天地開闢説が検討される。第三章は「人文神話」で、罪悪の神話的説明と人文神話が語られ、死と火との起原に及ぶ。第四章は「洪水神話」で、まず支那洪水神話の英雄から洪水神話の比較がなされる。第五章は「英雄神話」で、英雄成功物語、勇者求婚説話、怪物退治説話、動物説話がしめされていく。第六章は「神婚神話」として、神婚神話、白鳥処女説話、また仙郷淹流説話における浦島説話の伝承、海宮説話、説話の解釈へと至る。
 
 これらの神話学が科学として研究されるようになったのは十七、八世紀以後で、十九世紀の初期を迎え、歴史学が大きな影響をもたらし、科学としての神話学は発達したことになる。それは人類の同一祖先説を排し、一個の原始民族存在説で、その最初の存在地はインド、あるいはエジプト、若しくは中央アジアの高原だったりするが、「何れもその根源地を東方に求むる点に於ては相一致す」ということになる。神話学のオリエンタリズムが台頭してきたことを意味しているのだろう。

 それゆえに、これも本連載でお馴染みのマックス・ミュラーの言語学的比較神話学が批判され、人類学的比較神話学を創立したアンドリュー・ラングが検証されていくのである。ここに見られるように、十九世紀における神話学の進化は、比較研究の賜物に他ならないので、高木は自らの著書を『比較神話学』と命名したと述べている。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h115(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)

 また「序」に挙げられている研究者とその著作は、当時まだ多くが翻訳されておらず、柳田がいうように、博文館版は「舶来品歓迎者にすらも、尚賞玩せられなかつた」ことが理解される。大正十三年の武蔵野書院版のほうはどうだったのであろうか。


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