出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話986 アンドルー・ラング『神話、祭式、宗教』

 前回既述しておいたように、高木敏雄の『比較神話学』は十九世紀のヨーロッパの神話学の成果を参照して書かれているだが、その研究者名は多く挙げられているにもかかわらず、具体的な書名はほとんど挙げられていない。とりわけ高木はアンドリュー・ラングの人類学的比較神話学に依拠していると思われるけれど、その著書名は『比較神話学』や『日本神話伝説の研究』においても、わずかに『風習と神話』(Custom and Myth)が記されているにすぎない。

f:id:OdaMitsuo:20191219111342j:plain:h110(『比較神話学』、ゆまに書房復刻)日本神話伝説の研究(『日本神話伝説の研究』)

 本連載でもずっとラングのことはとりあげなければならないと考えていた。しかしラングの著書はマックス・ミュラーと異なり、主要な著作が翻訳されていないようで、その訳書にも出会えなかったこともあり、それが果たせないで、ここまできてしまった。近年ようやく『夢と幽霊の書』(吉田篤弘訳、作品社)が出されているが、これは民俗学や神話学というよりも、英国心霊研究会員としての立場の著作に位置づけられるであろうし、ラングもまた様々な分野の著書を刊行している。

夢と幽霊の書 
 そこでまず『世界文芸大辞典』(中央公論社)におけるラングの立項を引いてみる。
f:id:OdaMitsuo:20200107101338j:plain

 ラング(アンドルー)Andrew Lang(1844-1912) イギリスの学者、詩人、民俗学者。スコットランドに生れ、エディンバラ・アカデミー、聖アンドレ大学、オクスフォード大学のパリオル学寮等に学び、後オクスフォードのマートン学寮のフェローとなる。詩は主としてフランスのバラード其他の古詩を学び”、“Helen of Troy”(Ⅰ884-1912)その他の著があり、民俗学の著述には“Myth , Ritual , and Religion”(1887)其他を数へ、歴史的研究にはスコットランドに関するものを主とし、又ギリシャ語学者として、テオクリトスの英訳を完成し、ホメロスの『イリヤッド』『オディシウス』を英訳、最も信頼するに足るものと云はれてゐる。其他童話・小説・随筆等の著も多く、著書の数すべて六十余種、彼の趣味・研究以上の外にも神話・伝説・心霊学等に亙り、一時『ロングマン雑誌』を編輯したこともあつて、稀に見る多才多能の学者として大西洋の東西に多くの読者を持つ。

 これは戦前のラングの立項で、戦後の『岩波世界名著大事典』よりも詳細である。確かに「稀に見る多才多能の学者」のプロフィルが浮かび上がってくるけれど、それが逆にラングのコアの把握を困難にさせたとも推測されるし、日本における主著の翻訳の実現の難しさをうかがうことができる。だがそれでもMyth , Ritual , and Religionは『神話、祭式、宗教』として、『世界名著大事典』(平凡社、昭和三十五年)にその概要を見出せる。もちろん邦訳は出されていないので、それを要約し、紹介してみる。

世界名著大事典 Myth , Ritual , and Religion

 『神話、祭式、宗教』は一八八七年に刊行された。そこでラングはすでに衰退期にあったマックス・ミュラーなどの比較言語学的方法による神話や宗教の研究に対し、比較人類学に基づく方法を確立しようとした。しかも同じ人類学的立場の中で、より一般的な学説、つまり第一段階にアニミズム的な精神の産物としての神話があり、それが純化されて人間以外のものが人間同様の感情(情熱)を持つと解釈する神人同感同情説、もしくは一神論の産物としての宗教が生まれるという学説に異議を唱え、むしろその順序は逆であることを立証しようとした。

 それまでは原始信仰の中に偶然に発見される単一神概念は、キリスト教宣教師の影響だと説明されることが多かった。そこでラングは特にこの影響がまったくないとされるオーストラリア原住民やアフリカのブッシュマンなどの神話伝説を重点的に調査し、これをアメリカインディアンの神話伝説やインド、ギリシアなどのアーリア系の文学的神話と比較した。そしてその結論は次のようなものだ。

 人類進化論上の第一段階に近い第一のグループである未開人は、多神教的神話よりも、むしろ一神教的な原初的存在、もしくは造物主に対する漠然とした信仰心が強く、これは「宗教」に定義できる。これが進化の第二段階の野蛮人になると、「神話」的要素が強くなる。それは以前の漠然とした信仰心情とは別に、自分の周囲の自然現象をはっきりと合理的に説明しようとする努力の表出である。さらに特定の家族や民族の起源と優位性の説明といった社会制度上の要求がこの神話的傾向を強化し、そのためにこれを制度化した「祭式」の誕生を促すことになる。

 かくして『神話、祭式、宗教』は心情的宗教への理解や「聖なる野蛮人」の概念の影響を示し、十九世紀後半の思潮の一端を浮かび上がらせているが、人類学的神話宗教学のひとつの立場の集大成というべきで、一八九九年には改訂版も出されているという。ここに本連載907のタイラーの『原始文化』から始まったアニミズムに端を発する神話や宗教研究の軌跡が見てとれる。高木の挙げている『習俗と神話』の出版は一八八四年である。

f:id:OdaMitsuo:20190331151211j:plain:h105(誠信書房版)

 このようなラングの人類学的神話学を背景にして、一九〇四年=明治三十七年に高木の『比較神話学』が送り出されたことになろう。

 なおタイラーの『原始文化』(松村一男監訳、国書刊行会)の新訳が出され始めているが、ラングもいずれ翻訳されていくのだろうか。

原始文化


odamitsuo.hatenablog.com


 [関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら