前々回、『雨雀自伝』において、『新思潮』の出資者が長谷川時雨の親戚にあたる木場の旦那との指摘から、それが材木問屋の数井市助であることが判明した。またその編集所が潮文閣と呼ばれていたという事実は、『近代出版史探索Ⅱ』217などの潮文閣の始まりも…
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