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古本夜話1402 潮文閣と三島才二編校註『南蛮稀聞帳』

 前々回、『雨雀自伝』において、『新思潮』の出資者が長谷川時雨の親戚にあたる木場の旦那との指摘から、それが材木問屋の数井市助であることが判明した。またその編集所が潮文閣と呼ばれていたという事実は、『近代出版史探索Ⅱ』217などの潮文閣の始まりも、ここにあったのではないか、さらに多くのことがリンクしていくのではないかとも思われたのである。

   (創刊号)

 明治四十年に『新思潮』が小山内薫を編集長として、新たな近代演劇、近代文学の紹介を柱として創刊されるのだが、その周辺の人脈をもう少し拡げてみる。雨雀の証言にもあるように長谷川時雨は中谷徳太郎を「若い同伴者」としていて、彼も木場の材木屋の息子で、長谷川とともに、明治四十五年創刊の演劇雑誌『シバヰ』の同人で戯曲や翻訳を寄せていた。小山内が自由劇場を設立するのは四十二年から、長谷川や中谷を含め、雨雀たちは明治末から大正にかけての近代劇時代に立ち会っていたことになる。当然のことながら、『新思潮』のスポンサーの数井と中谷は木場というトポスを同じくする演劇家とパトロンの関係にあり、そうした土壌から潮文閣も立ち上がったのではないかと推測される。

 そこには『近代出版史探索Ⅵ』1161の聚芳閣の足立欽一も絡んでいたはずで、彼も劇作家であり、そのように考えてみると、『同Ⅵ』1158の聚芳閣の三島才二=霜川編纂『院本正本日本戯曲名作大系』の企画出版も了承されるのである。しかも足立も三島も徳田秋声の弟子で、前者のほうは拙稿「足立欽一と山田順子」(『古本屋散策』所収)で既述しておいたように、秋声の『仮装人物』のモデルでもあった。

(『院本正本日本戯曲名作大系』) 

 そうした人脈、文脈の中に潮文閣と高島政衛を措くことによって、昭和四年の潮文閣刊行の三島才二編校註『南蛮稀聞帳』の成立が理解できるのではないだろうか。ただ編者による「例言」は大正十五年二月で記されているので、私の手元にある一冊は版を異にする再版のようにも思われるし、裸本だが、定価三円八十銭、鮮やかなうこん色の上製であることから考えれば、元版は豪華本に近い装幀造本だったとも見受けられる。

(『南蛮稀聞帳』)

 それは「序に代へて」の一文や活字の組み方からもうかがえるし、次のように始まっている。

  幕末の日本、更生期日本の海外観、二十世紀文化吸収濫觴時代の百科辞彙とも云ふ可き目的で、特殊文献として雄なる、且つ意義深き自惣で本書を公梓せり。
 固より当時に於ける、斯うした部類の文献其数決して少しとはせざるも選を以てし、以下目次通りの内容を本書に納めり。
 殊に編輯、注釈、校正等に其の学の篤学者三島先生を煩はし得たるは弊閣の秘かに得意とするところである。

 これは「発行所識」と記されているので、高橋政衛自らがしたためたもので、「意義深き自惣で本書を公梓せり」との言葉に刊行の自負、及び満を持しての出版の意気込みが感じられる。それは南蛮人を描いた長崎版や江戸版の錦絵八枚の口絵も同様で、高橋の並々ならぬ『南蛮稀聞帳』への思い入れが伝わってくる。だが編者の三島のほうは「例言」で、「本書は決して、稀覯本珍籍といふべきものゝみを蒐録したのではない。要するに江戸時代に於ける『紅毛南蛮』に関する文献を、その部門を問はず集成して、これを一般的の読み物にしようと試みた」とあり、同書が「その最初の一巻」とされている。

 とすれば、円本時代の只中にあって、高橋はこのような「紅毛南蛮」文献を円本のようにシリーズ化するつもりで企画したとも考えられるし、その昂揚感が「序に代へて」にあふれ出てしまったのではないだろうか。それでは『南蛮稀聞帳』に収録された文献を見てみよう。

 *大槻茂質「環海異聞」
 *西川正休「長崎夜話草」
 *新井白石「西洋紀聞」
 *杉山人 「野叟独話」
 *有馬元晁「蘭説弁惑」
 *那波希顔「亜墨新話」
 *栗本匏菴「暁窓追録」

 最初の大槻の「環海異聞」は「序例付言」と自序で二七七ページ、本文二四八ページ、「長崎夜話草」八一ページ、「西洋紀聞」一一七ページに比べ、ページ数も特出し、これが『南蛮稀聞帳』の目玉だと考えられる。これは寛政五年に仙台の石巻港から十六人を乗せ、江戸に向かって出帆した船が数ヵ月間漂流してロシアに漂着し、一年ほど滞留し、文化元年に長崎へと戻ってきた記録である。おそらく当時は一般的に読める状態ではなく、ここで初めて容易に読むことが出来るものになったとも推測される。

 この本の復刻らしきものを古本屋で見かけた記憶があるけれど、それも近年のことで、所謂「漂流譚」としてはそれほど知られていなかったように思えるし、その初めての「公梓」が高橋を昂揚させた要因だったのではないだろうか。


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