『あおいひ』には六つの話が収録され、タイトルの「あおいひ」そのものにまつわる、職業がそれぞれ異なる五人の物語が描かれている。
裏表紙のキャッチコピーは「誰もが何者にもなれず、漆黒の闇の中に“あおいひ”を見る夜がある。それは希望の光か、幼き日の記憶か、それとも―」というもので、その「あおいひ」が何らかのメタファーのように提示されている。それでは登場人物たちが見る「あおいひ」とは何なのかを追ってみる。
斜線左が章題で、右はそのシノプシスである。
1 「漫画家、27歳」/樫原はデビューして数年経つ漫画家だが、原作抜きの漫画に踏み出すことができない。疲れ、スランプ気味で、漫画を止めようと思う。その夜ドライブに連れ出され、湯河原の真っ暗な闇に青い火が浮かび上がり、その中にロボットのようなものが見えた。それは「誕生日の夜が見せた一瞬の幻のようなものか」と思ったが、自分の漫画を描く決意へと誘うものだった。
2 「営業、25歳」/山元は外回りの営業についているが、普通のサラリーマンになり切れず、ゲームセンターでサボり、中高生の頃から馴染んだゲームにふけっていた。そこで思いがけず、同期の植田がゲームをしているところに出会い、そのゲームの場面に「あおいひ」を見た。
3 「サッカー選手、21歳」/ボールを追い、ヘッディングしようとする選手の目に、ボールが火塊となり、「あおいひ」へ変化するのが見えた。
4 「小説家志望、23歳」/家賃未払いで住居を失った小説家志望の青年は、コンビニの人工の光に誘われ死んだ蝿を見て、自分だと思い、そこに入っておにぎりを万引きし、逃げる際に闇の中に「あおいひ」を見つけ、車にはねられる。
5 「契約社員、28歳」/加賀田裕子は百貨店の契約社員となったが、その新しい職場で店長をめぐる派閥争いに巻きこまれる。一方で合コンに参加したり、電車で痴漢にあったりする。そんな時、漫画家夫婦に呼ばれ、コーヒー屋で豆を買うつもりで入ったところ、店員の応対する姿に「あおいひ」が見え、石森章太郎のサイボーグ007の姿が浮かんだ。
6 「漫画家、28歳。あれから一年―。」/漫画家の樫原は自分が卒業したアニメーションスクールで特別講師を頼まれ、また編集者と打ち合わせしていた。その時ニュースで「人気若手漫画家 謎の死」というテレビニュースが入る。それは樫原のアニメーションスクール時代の同級生で、次に葬式の場面となり、漫画家になったのが彼と自分だったことを知る。そして自分たちが漫画に救われ、漫画に人を幸せにしようと話し合ったことを思い出した。その友人の死とオーバーラップするように、アニメーションスクール倒産の知らせが入る。だが樫原は漫画を続けることを決意し、描きたい話を伝えようとする。そしてラストページには「もう/あおいひは/見えない」と記されている。
それぞれは独立した作品であるが、1と6の漫画家は同じで、5の契約社員も1の漫画家夫婦とつき合いがあり、そのアシスタントめいた仕事とサイボーグ009の姿の啓示を受ける場面などからすれば、漫画をめぐる問題がメインを占め、2のゲーム、3のサッカー、5の小説もまた、漫画と同じ意味を持つと考えていいだろう。
おそらく十代に夢見られた様々な事柄や仕事や職業が、二十代に入って実現したり、実現しなかったにしても、その二十代にスランプに陥ったり、自信を失ったり、行き詰ったりする。すると必ず彼や彼女たちの前に「あおいひ」が現われる。「あおいひ」はどちらかといえば、希望や啓示というよりも、スランプや行き詰まりを表象するもののようであり、『あおいひ』のカバーや本体の装丁の基調色に使われているプルシャンブルーはそのことを示唆するとともに、海底に沈んでいるような印象を与えもする。
しかし6において漫画家が「もう/あおいひは/見えない」と述べているように、プルシャンブルーに象徴される「あおいひ」をくぐり抜け、再生したことを示し、『あおいひ』は閉じられている。それは漫画家が招かれたアニメーションスクールで語る漫画についての思いにこめられ、友人の死やアニメーションスクールの倒産のかたわらで、自分の道を新たに歩み出そうとする決意にも表出しているので、その言葉を抽出してみる。
「ぼくは子供の頃、漫画が好きでした。友だちとうまく付き合えなかった時、両親を頼れなかった時、好きな人にフラれた時、人生の苦しい節々で、ぼくは漫画を読みました。漫画を読み終えた後は淋しくもありましたが、読んでいる最中は幸せな気持ちになりました。
―でもある時から漫画はぼくを助けてはくれなくなりました。その時ぼくは漫画家になろうと思いました(後略)」
その話とオーバーラップし、秋葉原通り魔事件の犯人の部屋の映像が描かれ、そこに死んだ友人の漫画がずらりと並んでいるのが映る。そして友人がネットカフェでは漫画など誰も読んでいないし、本当にキツいと漫画は役に立たないと語っていたことを思いだし、それが彼の死の一因かとも連想する。アニメーションスクール時代の「漫画に救われたんだ。だからオレたちでよ、漫画で人を幸せにしてほしい」という二人の会話と話のクロージングが重なる。だから「オレは/漫画/つづけるぜ」。
おそらく日本の近代出版業界の誕生とともに生み出された多くの雑誌や書籍、詩や小説などもまた、ここで語られている「漫画」とおなじような役割を果たしてきたにちがいない。
しかしそのような紙の時代も過ぎ去りつつあり、詩や小説はすでにそのような機能を失い、漫画も同じような道をたどっていくのかもしれない。『あおいひ』は間接的ではあるけれど、そのような焦燥をも表出させているのではないだろうか。
ちなみに吉原にとって『あおいひ』は前作『U−31』などと異なり、初めての原作なしの作品だという。
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