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古本夜話431 柴田宵曲とふたつの『子規全集』

もう一編、柴田宵曲について続けてみよう。 岡本経一『私のあとがき帖』 の「俳人柴田宵曲」の中で、『ホトトギス』以後の柴田の仕事のことも書いている。
私のあとがき帖

 「ホトトギス」が丸ビルに移ったのに厭気がさして大正十二年、社を去った。翌十三年震災に遭って倒産寸前のアルス社(ママ)は子規全集全十五巻を計画した。鼠骨翁に頼まれた柴田さんは独力でこの編纂にたずさわった。というのは、子規の稿本から原稿にするので、滅多なものには頼めなかったのだそうである。没後二十三年経って出たこの豪華な全集は、満二年を費して大成功を収めた。

この『子規全集』全十五巻を持っている。それを購入したのは十五年ほど前だと記憶している。古本の全集がかなり安くなり始めていた頃で、古書価は五、六千円だったように思う。岡本は「豪華な全集」と述べているが、実際には「豪華な全集」の印象はなく、むしろ落ち着いた格調の高い全集の佇まいが感じられる。ただ菊判の機械箱入りで、各巻の厚さ五センチ以上あり、それが印象に残って、「豪華な全集」と岡本は記しているのかもしれない。そのような外観はともかく、このアルスの『子規全集』の特色は紙にあり、束の厚さからわかるように、各巻が六百から七百ページ前後に及んでいるにもかかわらず、コットン紙を使用しているために、思いがけないほど軽い仕上がりである。その軽さと菊判に空白を残し、ゆったりと組まれた子規の俳句は絶妙のコンビネーションのように思われ、子規の最初の全集にふさわしいものとして好評を博し、円本時代には割高な五円に近い定価だったにしても、それで「大成功を収めた」のであろう。

私見によれば、同時代に刊行された岩波書店『芥川龍之介全集』全八巻、春陽堂『鏡花全集』全十五巻とともに、『子規全集』も加え、装丁、造本、内容、編集も含んで、昭和初期円本時代の出版史に残る三大個人全集といってかまわないだろう。円本時代は画一的な全集ばかりが粗製濫造されたイメージも強いし、実際にそのような出版物も多いが、これらのすばらしい個人全集も刊行されていたのだ。

『子規全集』の編輯委員は河東碧梧桐高浜虚子、香取秀眞、寒川鼠骨であり、大正十五年十一月完結の第十五巻の「総後記」において、「輪講」と異なり、柴田の名前が挙げられている。これは寒川によるものと思われ、そこには「鼠骨菫督の任に当るも唯手を拱ねて其成を俟つのみ、柴田宵曲専ら勉強尽力する所多く」とある。これは『子規全集』における柴田のほぼ独力の編集に対する労を、寒川なりに謝しているのだろう。装丁、造本、コットン紙の採用などにどれほどの柴田の意向が反映されているのかはわからないが、編集に関しては彼の独断場であったと考えられる。だから寒川は「唯手を拱ねて其成を俟つのみ」と記したのだろう。それは柴田が寒川のいう「此全集に於て悉く原書に照して厳格に正した」編集を称揚しているのである。

例えば、第十一巻の口絵写真に「子規居士自筆稿本類」が掲載されている。これはおそらく次の第十二巻との二巻仕立ての子規の編著にあたる「俳家全集」の「自筆稿本類」だと思われ、それは二列に積まれ、双方で二メートル以上の高さに及んでいる。柴田はこの「自筆稿本類」のすべてを照合し、これらの二巻を編んでいるはずで、当時としても驚くべき「自筆稿本類」の読解力を有していたと判断すべきではないだろうか。これらのことから考えて、続けてアルスから出された正岡子規『分類俳句全集』も第一巻の凡例は、「校訂者を代表して鼠骨謹記」とあるが、おそらく柴田にすべてを負っていると考えられる。柴田が森銑三と共著『書物』を刊行したのも、そのような二人のぬきんでた読解力が共通し、お互いに認め合っていたからだろう。
分類俳句全集

ここで森の名前を挙げたことから補足すれば、柴田はどうして集古会に入っていなかったのか不思議な思いに駆られる。昭和十年に編まれた会員名簿『千里相識』を確認すると、森もそうであるが、『子規全集』の編纂者として名を連ねる香取秀眞も寒川鼠骨も、それぞれ香取秀治郎、寒川陽光として掲載され、前者は東京美術学校教授、後者は元『日本及日本人』記者とある。もちろん三田村鳶魚の名前も見える。

それなのに柴田の名前が見当たらないのは寒川に私淑していたために、遠慮して同列に位置しないようにと、あえて集古会の名簿に加わらなかったのかもしれない。ただ同じく『子規全集』の編纂者の高浜虚子にしても、林若樹や岡田紫男と親しく、その近傍にいたにもかかわらず、集古会に入っていなかったことからすれば、その他の事情もあってのことなのだろうか。

それらの事情はともかく、昭和四年から柴田は再び『子規全集』の編集に携わっている。それは昭和四年から刊行され始めた改造社版全二十二巻で、こちらは定価一円とあり、それは文字通り円本として出されたことを意味している。内容を比較してみると、四巻に及ぶ増補があるにしても、アルス判の四六縮刷版で、表裏見返しに掲載された子規の絵まで同じである。これは明らかにアルスが改造社『子規全集』の紙型と版板をゆずったことにより、出版されたのであろう。ここにはまた出版をめぐるドラマがある。
(改造社版)
だが戦後の昭和五十年代に講談社から全二十五巻で刊行された『子規全集』も、柴田が手がけたこれらのふたつの版をベースにして編集されたにちがいない。しかし柴田は同四十一年に鬼籍に入っているので、それを見ることなく亡くなったことになる。
子規全集

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