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古本夜話1518 桜井書店『佐藤惣之助全集』

 前回の萩原朔太郎と同じく、昭和十七年五月に続いて亡くなり、翌年にやはり全集が刊行された詩人がいる。それは佐藤惣之助で、彼は朔太郎と同様に『近代出版史探索Ⅵ』1052の詩話会に属し、朔太郎とともに『日本詩人』の編集に関わっただけでなく、朔太郎の妹と結婚していたのである。それもあって、五月十三日の朔太郎の葬儀は佐藤を委員長として営まれたのだが、佐藤もまた五月十五日に脳溢血のために急逝している。まさに朔太郎を追うような死であった。

 それに伴い、『萩原朔太郎全集』に寄り添うかたちで、同じ室生犀星編輯及校閲によって、『近代出版史探索Ⅵ』1042などの桜井書店から『佐藤惣之助全集』全三巻が刊行されている。だがそれは完結しなかったようだ。山口邦子『戦中戦後の出版と桜井書店』(慧文社)の「桜井書店出版目録」に『佐藤惣之助全集』上下として「詩集篇」が挙げられているが、実物は未確認だとされている。

  戦中戦後の出版と桜井書店: 作家からの手紙・企業整備・GHQ検閲 

 それらの出版経緯と事情は詳らかでないけれど、『萩原朔太郎全集』と同様の菊判、函入で、これも大東亜戦争下において、出版が試みられただけでも僥倖だったと見なすしかない。私の手元にあるのはその「随筆篇」だけだが、おそらくこの一冊が出されていなければ、佐藤の詩はともかく、まとまった随筆を読むことはなかったと思われるからだ。実際に戦後になっても、『佐藤惣之助全集』は刊行されていないのである。

 私にしても、古本屋でこの一冊を入手することがなかったならば、『近代出版史探索Ⅶ』1382で佐藤が高峰三枝子が歌う「湖畔の宿」の作詞者であることにはふれているが、「枯野の王者」「彼女は帰れり」「水中の客」といった佐藤の散文を知らずにいただろう。これらも朔太郎とのアナロジーで考えてみると、佐藤による朔太郎の「郷土望景詩」(『純情小曲集』所収)や「田舎の時計」(『宿命』所収)などの変奏曲のようにも読める。またそれらは佐藤の詩と通底するところの宗教的な寓話や物語を形成しているとも思われる。こうして佐藤の散文物語とでもいうべき作品を読む機会に恵まれたわけなので、それらの三編を紹介してみる。

 最初の「枯野の王者」は「よく人は君はどういふ土地で生まれたのですか」という問いかけから始まっている。理想的なところであれば、誇れるけれど、「全く私の生れた町はあまりに雑多でちらかつてゐて、誰の眼にも見馴れてゐるやうな所」で、「土地の人は土着力が少くすぐどこかへ移住してしまふ」。それゆえに「この土地に限つた習俗やアクセントをもつた人の言葉もきかれなくなり、かつては私達が初めて世帯といふものを学むだ所も、もういたずらに他国の移住者に住み荒されてしまつた」のである。

 そうした田舎町にこの頃昔よく見たような男が歩いている。得体が知れないけれど、「子供の時のみに知つてゐたやうな野原や裏路をまるで失はれた昔の町を掘出して見るやうに歩いてゐる」。彼は年齢不詳で、どこからともなくやってきて、ただ一人ぼっちで彷徨い、それは仏典にある「歩行鬼」と呼んでもいいかもしれない。あるいはまたギリシャの樽を失ったディオゲネスのようだ。田舎木綿の身なりにしても、街道の色と風に染められ、古い木造の家の色や路や川などと調和し、それは四季を通じてのものとなる。ただ「大昔には彼のやうな生活が流行して、地には蜜がながれ果実は熟して自由に食べられたかも知れないが今の世はさうはゆかない」。だが彼は「天然底なしの婆羅門教徒」で「枯野の夕暮」に佇み、それは「ふしぎな一つの絵」「エヂプトを脱するエホバの民の一員」であるように見えると同時に、土地の精霊のメタファーともいえよう。だからこの「枯野の王者」は「私も枯野の散歩に出て、今日もかの男に遠くから無心の挨拶をして来ようと思ひながら」と結ばれている。

 それに続く「彼女は帰れり」は都会人の場合、三人に二人は古い故郷を持ち、郷愁の感情だけは純潔に保っているが、同時に寂莫と悲痛の郷愁も持っているとの認識がまず示される。それに「少し都会化した女や男は故郷を恥ぢる」ことも。しかし長年にわたって注意していると、家出した人や他郷へいった者が思い出したように帰ってきている。それは「恥しながら私もその一人である。(中略)私も三度出て三度帰つた。両親と家があれば人はきつとかへる」のだ。そうして船乗りや放蕩息子の帰還、及び遊郭に売られてしまった「異人みたい」な色の白い美しい娘の六年ぶりの帰郷の後日譚が語られていく。

 「水中の客」は故郷の川を流れて行く若い女の屍、すなわち故郷のオフィーリアの話と称していいだろう。娘は戸板に載せられ、どこかへと運ばれていった。「水は静まり太陽は照り輝いた。静かな夢のやうな空気が戻つて来た。それを見てゐると娘の一生が思ひ出されるやうであつた」。そして彼女の死に至るこれまでの人生が想像され、「我々は死んだ美しい子供や冷淡な弱々しい娘を思ふ時、彼女の生存してゐたことを嘘のやうに思ふが、実際は彼女が死と調和を得てゐる事を感じる事は出来るのが」と結ばれている。

 ちなみに佐藤の故郷を記しておけば、神奈川県橘樹郡川崎町砂子で、家業は雑貨商、正価は明治維新まで川崎宿本陣であった。また彼は昭和六年頃から歌謡曲も手がけるようになり、「湖畔の宿」だけでなく、「赤城の子守唄」「人生劇場」「上海だより」「燃ゆる大空」などの作詞をしていることを付記しておこう。


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