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古本夜話694 山室軍平『私の青年時代』と救世軍

これは前回ふれなかったが、金森通倫『信仰のすゝめ』の巻末広告には山室軍平『青年への警告』が掲載されていたし、星野天知の『黙歩七十年』には思いがけずに山室が伝道仲間だったことが記されていた。金森と同様に、山室に関しても、まず『世界宗教大事典』の立項を引いておこう。
世界宗教大事典

   やまむろぐんぺい(山室軍平
 1872―1940(明治5-昭和15)
 宗教家。日本における救世軍の建設・発展に尽くした。岡山県の山村に生まれ、上京して活版工となり、キリスト教の路傍伝道に導かれて15歳のとき入信、徳富蘇峰から新島襄を知り、17歳から22歳まで同志社で苦学して神学を学んだ。いったん伝道師になったが、23歳で救世軍に入り、その下足番から発足して、全生涯を救世軍の発展に献身し、東洋最初の救世軍司令官に任ぜられ、世界にも数少ない少将に昇進した。彼の説教は熱弁かつ重厚、つねに人の肺腑をつく迫力をもって知られ、平明にして庶民の実生活に即したその著《平民の福音》は実に490版を重ねた。(後略)

 ここでもまさしく明治後半から大正にかけてが、キリスト教の伝道の時代だったことが述べられている。それはまた救世軍の時代でもあった。

 それゆえに救世軍についても記しておく必要があるだろう。一八六五年にイギリスのメソジスト教会牧師ブースは、ロンドン東部の貧民地区に従来と異なる伝道組織を創設した。これが七八年に救世軍と改称されるミッションの始まりで、軍旗と軍楽隊、軍服型の征服と規律に基づく軍隊的秩序による独自の伝道戦線を展開した。ロンドンに万国本営を置き、各国に組織を持つ国際的団体へと発展し、明治二十八年にはライト大佐一行が来日し、日本救世軍が創立され、山室がその最初の士官候補生として挺身することになったのである。

 その軌跡を語った山室の『私の青年時代』を入手している。サブタイトルは救世軍に入るまでを示す「一名、従軍するまで」が付され、昭和四年に著作兼発行者名を山室軍平とする救世軍出版及供給部から刊行されている。巻末広告には「山室少将著及訳書」として、先の『平民之福音』を始めとする三十点が並び、救世軍出版及供給部が伝道のための出版社として、キリスト教書の一角を占めるに至ったことを伝えている。

 かつて山室の廃娼運動をめぐる『社会廓清論』(中公文庫)を読んではいたが、この『私の青年時代』のほうは明治の二代目キリスト教徒が歩んだ自伝に他ならないことを教えられた。それもきわめてリーダブルで、率直な語り口によって展開され、山室の路傍伝道のあり方を彷彿とさせてくれる。岡山の貧しい山村での生れ、明治十九年における、勉強を求めての養家から東京への出奔、築地活版製造所での職工生活、労働の余暇を利用しての読書と英語の夜学通い、キリスト教の路傍演説との出会い、『新約聖書』を読み初め、築地福音教会の一員となり、路傍伝道にも加わり、キリスト教伝道者をめざすようになったこと、京都同志社の夏期学校への出席をきっかけにして、同志社の神学科に入学したこと、その学生生活、濃尾大震災に際しての孤児教育などの社会事業への参加、新神学の出現と同志社からの離脱などが語られていく。
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 そして『私の青年時代』の最終章「救世軍」に至る。山室の前に救世軍が「救世(すくい)の御軍(みいくさ)」として出現したのである。それは神の啓示を伴うものであり、ライト大佐たちとの集合写真も収録することによって、山室は自らが引いている「汝等は此等の事の証人なり」というキリストの言葉を、身をもって実践しているかのようだ。そうした山室の青年時代にあって、当然のことながら人脈は連鎖していて、前回の金森通倫も同志社の校長として出てくる。

 しかし意外だったのは本連載674の仏教書出版社井冽堂の山中孝之助が山室に対し、毎月二円を与えた後援者として現われてきたことである。山室は山中について、「もと銀座で相当に出版業をやつて居た人で、最もその頃は何か手違から、一時築地の辺に引込んで居られ、私と同じ頃基督教の信仰に入り、同じ協会に属された関係上」からだと述べている。山中にしても、そのような前史があることで、井冽堂の出版に携わるようになったのだろう。このエピソードは仏教キリスト教出版も近傍にあり、またリンクしていたことを告げている。

 それはさておき、その後の救世軍と山室の軌跡も記しておかなければならない。明治三十三年に廃娼運動を始め、廃娼同盟会を結成し、四一年にはセツルメント社会根民館、大正元年には東京の神田に本営を完成し、慈善活動の「社会なべ」も始め、昭和二年には山室は日本救世軍司令官に就任する。『私の青年時代』の刊行が昭和四年であることは前述したが、このような山室と救世軍の成長のかたわらで出版されたことになる。それはまた救世軍出版部及供給部の全盛を意味してもいよう。

 しかし本連載530などで既述しておいたように、戦時下の昭和十五年に宗教団体法が制定される中で、山室は逝去し、救世軍もスパイ容疑で捜索を受け、解散に追いやられ、救世団と改称し、日本基督教団へと加盟することになる。その本格的再建は戦後の二十一年を迎えてのことだった。


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