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古本夜話1515 改造社『小酒井不木全集』

 前々回の江戸川乱歩「押絵と旅する男」を掲載した『新青年』昭和四年六月増大号は、奇しくも小酒井不木追悼号というべき出だろう。口絵写真には四月三日の葬儀場面、及びそのデスマスクなども収められているし、「小酒井不木氏を偲ぶ」は恩師の永井潜東大教授と大学の同窓生を中心とする「追悼座談会」から始まり、続いて乱歩、森下雨村、国枝史郎などの八本の追悼文が寄せられている。

 小酒井不木は明治二十三年愛知県に生まれ、東京帝大医学部卒業後、大正六年に欧米に留学したが、その間に喀血し、療養のかたわら医学随筆を発表した。それを読んで、『新青年』の森下雨村は不木に寄稿を依頼し、『殺人論』や『犯罪文学研究』などが書かれ、翻訳や実作にも及んだ。またこれも雨村の「小酒井氏の思出」にもあるように、乱歩の後ろ立てで、処女短編集『心理試験』(春陽堂、大正十四年)の八ページの「序」は不木によるものである。その一方で、昭和二年には国枝史郎、乱歩たちと耽綺社を結成し、合作『空中紳士』を『新青年』に連載している。

( 復刻版)

 それらも相乗し、国枝史郎の「名古屋の小酒井不木氏」で語られているように、不木は「名古屋市における寵児であつた」。また同じく「先生の余技」を寄せている岡戸武平は『近代出版史探索Ⅲ』476で既述しておいたが、乱歩と旧知で、しかも名古屋での不木の仕事を手伝っていたことから、死後の『小酒井不木全集』 の編集を委託されたのである。

 それらの経緯と事情をあらためて記すと、この全集は改造社と春陽堂から同時にオファーが出された。その折衝に当たった乱歩は不木や自分の著書の刊行、及び編集者の島源四郎のことを考慮し、春陽堂のほうに縁故があった。しかし遺族の印税収入のことを考えれば、派手で大部数出版が可能な改造社に傾きがちで、乱歩も板ばさみ状態になってしまった。

 そこで登場するのが岡戸で、乱歩は彼を通じて不木の遺族の意向を聞いてもらうと、改造社が希望とのことだった。そこで乱歩は自ら春陽堂に出向き、そうした事情を話し、手を引いてくれるように頼んだのである。かくして改造社からの『小酒井不木全集』の刊行が決まった。その広告が早くも次の『新青年』昭和四年七月号に、「闘病文学の鬼品!! 科学的探偵小説の権威!!」というキャッチコピー付で掲載され、次のような紹介がなされていた。

 澎湃たる大衆文芸時代の潮流に立ちてその方向を指標せし巨人小酒井博士の足跡をみよ!!
 我は人も知る医学界の世界的泰斗たるの身を以て、比類なき才気と絶大の精力と我が成長期なる大衆文芸運動の上に傾けた。該博たる知識と鋭犀なる観察、殊にその科学者的推理方法の特異さを以て、彼が所謂探偵物創作の上に示した天分は洵に古今独歩と云はねばならない。今や彼一朝忽然として逝いて、我が大衆文芸の成長と発展とは、偉大なる生命の源泉と未来への光明を失つたかの感がある。『大衆文芸』は何処へ行く。この問に答ふるは只々本全集八巻の繙読玩味を措いて他にない事を信ずる。

 ここに見られる「大衆文芸時代の潮流」といったタームは、昭和二年にスタートした平凡社の円本『現代大衆文学全集』のベストセラーズ化をさし、折しも前年の昭和三年にはその7として、不木の作品の一巻本集成に他ならない『小酒井不木集』が刊行されたばかりであった。この際だから、こちらも円本に当たる『小酒井不木全集』の明細も示しておこう。

(『小酒井不木集』)

 1『殺人論及毒と毒殺』
 2『犯罪文学研究及近代犯罪実談』
 3『探偵小説短篇集』
 4『探偵小説長篇集』
 5『生命神秘論及闘病街』
 6『学者気質及不木軒随筆』
 7『医談女談』
 8『病間録』

 これが当初の内容明細だったけれど、乱歩が『探偵小説四十年』で証言しているように、刊行が始まると予想以上の売れ行きで、「幾度も増巻を重ね、ついに十七巻まで増して、もう入れる原稿がなくなって完結した」のである。

江戸川乱歩全集 第28巻 探偵小説四十年(上) (光文社文庫)

 私が古本屋で拾っているのは裸本で、その第六巻だけだが、前述の明細と異なり、『生命神秘論及不木軒随筆』とあり、これらに『探偵雑話』も収録されているのは第十七巻まで増巻を重ねたことにより生じた内容変更だと了解される。またこの巻に不木と生理学、優生学の永井潜の口絵写真が置かれているのは、これも先の「追悼座談会」の出席者の一人が永井で、大学時代に不木が永井の書生を務めて同居し、卒業後はその教室の助手だったことに起因しているとわかる。このような不木とアカデミズム人脈もまた、大正における探偵小説隆盛のバックヤードだったことになろう。

(第六巻)


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