出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

リブロと小川道明

 これまで記してきたように、橋立孝一郎が書籍、玩具、ホビーの専門店チェーンであるキディランドを展開し、1960年代後半に年商30億円、47店舗に至った。だが急成長のとがめから、会社更生法の適用を受け、それをきっかけにして、キディランドの優秀な書店員たちがリブロを始めとする様々な書店へ移っていった。

 それゆえに現代書店史は、書店員の移動からすれば、キディランドからリブロへのラインをたどることができるし、80年代からのリブロの黄金時代も、橋立が採用した今泉正光や田口久美子たちによって担われたことは、もはや言うまでもないだろう。また田口たちのその後の移動も加えれば、ジュンク堂へもつながっていくことになる。

 ここではキディランドからリブロへ彼らを迎え入れた小川道明について、書いておこう。95年に小川はリブロを退職し、翌年67歳で亡くなっている。そのこともあって、『出版人物事典』は96年に刊行されているために、小川も立項されていない。

出版人物事典―明治-平成物故出版人

 だが橋立と異なり、小川は『棚の思想』(影書房)という著作を残し、田口のリブロの時代を描いた『書店風雲録』(本の雑誌社)の中でも、小川は主要登場人物となっているので、それらによって小川を追跡してみる。

書店風雲録 (ちくま文庫)

田口は『書店風雲録』を次のように書き出している。

 リブロブックセンター(通称リブロ)は一九七五年西武百貨店池袋店内に誕生した。リブロはオープン時から「個性的」であることを激しく意図した書店であった。書店はもともと社会を映す鏡のような存在なのだが、創業間もない八〇年代、ちょうど日本の社会状況が活況を呈した時代、リブロは元気よくジャストインタイムで「日本社会の現在」を表現しようとした。

 そしてリブロは小川道明を筆頭に、キディランド出身の今泉と田口、芳林堂出身の中村文孝の四人によって、展開されていったのである。それゆえに『書店風雲録』はこの四人の物語のように編まれている。だからそこから小川を抽出し、『棚の思想』と合体させてみよう。

 82年に小川は「書店を文化の拠点」とするために、西友前橋店書籍売場にいた今泉を召喚し、彼に「棚づくり」を一任させた。これが後に「今泉棚」と呼ばれるようになる。田口はこの人事について、小川の「懐の大きさがリブロのかたち」を決め、今泉の個性が「リブロのイメージ」を確立したと書いている。

 小川は1929年に東京都千代田区に生まれ、戦後の慶応大学で三田新聞の編集に明け暮れ、左翼運動で堤清二と同志だった。堤からの直々の誘いを受け、74年に西友ストアーに入社して広報室長となり、翌年西武百貨店に移り、これも堤からの提案で、池袋店に300坪の書籍売場を開くことになる。これがリブロの前身の西武ブックセンターである。

 大学を卒業する前の51年から、小川は理論社で編集者を務め、57年に合同出版社に移り、64年に広告代理店に入っていたので、元々は出版界育ちであり、十年ぶりで書店ではあるが、古巣に戻ったといっていい。

 『棚の思想』の中に理論社時代のことが書かれているが、営業部には後の現代思潮社の石井恭二、福音館の営業部長菊間喜四郎もいたことなどが記され、50年代の出版社の意外な人脈を教えてくれる。現在は理論社といえば、児童書出版社と見なされているが、当時は左翼出版社で、多くの社会科学書と文芸書を出している。その出版明細はこれまで不明のままであった。

 ところが最近になって、小宮山量平の『自立的精神を求めて――季刊「理論」の時代』』(こぶし書房)が出版され、その巻末に「理論社単行本出版目録(一九四八−六一)」が編まれ、それらの全貌が明らかになった。小川が在籍していた時代には300冊ほどが刊行されている。彼がどの本を編集したかはわからないが、小出版社のことゆえ、大半の本にかかわっていたのではないだろうか。そしてこの時代に小川の本に対する基本的思想が培われ、後のリブロ、出版社のリブロポートへと投影されていったのではないだろうか。
自立的精神を求めて―季刊『理論』の時代

 さらに言えば、リブロは堤清二と小川道明が夢見た理想の書店の実現であったかもしれないのだ。自社の処女出版物として『理想の図書館』(パピルス)を刊行した時、リブロはフェアを開いてくれた。すると小川は『理想の図書館』フェア企画をほめたが、これをリブロポートで出せなかったことを残念がったという。このエピソードは理想の書店と出版社に図書館が加われば、三位一体が実現されたという意味合いが含まれていたのではないだろうか。

 

 しかしあらためて『棚の思想』を再読してみると、そこに表われているのは、80年代の出版状況に対する深い憂慮の思い、変貌する出版業界の行方への懸念である。超大型店の出現、コンビニと郊外店の成長、再販問題、高返品率、雑高書低、メディア革命の襲来、消費税騒動といったテーマが語られ、これが小川ならではの80年代出版状況クロニクルだと了解できる。しかもこれらの基調として、出版不況認識が広く横たわっている。80年代はリブロの時代だったが、実は出版不況のディケードでもあったのだ。小川は83年の一文で、次のように書いている。

 いったい出版界に構造的な不況を招いた原因はどこにあるのか。この辺で本当に業界挙げて反省しないと来年は今年に輪をかけた状況を招来しかねない。(中略)いままで何度も指摘したように、企画を大事に練り、時間をかけて内容の濃い出版物をつくり、長くじっくり販売するという基本が失われたことにあるのだ。他社の成功した企画をイージーに追いかけ、対談などで手軽な本づくりに走る。雑誌も書籍も競争のレベルが、どんどん低次元に落ちてゆく。

 小川の言葉から四半世紀経った今、出版業界がどのような状況にあるのか、もはや付け加えるまでもないだろう。小川の憂慮と懸念は最悪のところまできてしまったのである。
 そしてまた小川のリブロも90年代末にすでに終わっていた。田口は、瀕死の状態にある小川への見舞いと、それに続く葬儀の光景を描き、『書店風雲録』を「このようにして小川は去っていき、私にとっての『リブロ』も終わった」と結んでいる。

 小川と田口の二冊に、リブロのイメージはかなり立体的に描かれているが、やはりもう一人のキーパーソンである今泉正光の証言も聞いてみたいと思う。それに彼はその書店歴から言っても、戦後の出版史と書店史と読書史における貴重な立会人であり、二人と異なるアングルからのリブロ物語が聞けるのではないだろうか。

 もし今泉にその気があれば、ぜひ聞かせてほしいし、私でよければ、インタビューアーを務めてもいい。現在彼は長野に蟄居していると伝えられている。彼がこのブログを見ているかどうかはわからない。だからもしこのブログの読者で、今泉と親しい人がいたら、彼にそのことを伝えてほしい。