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古本夜話21 翻訳者としての佐々木孝丸

もう一人だけ、梅原北明の出版人脈を紹介しておきたい。それは佐々木孝丸で、佐藤紅霞などと異なり、俳優として私たちにもなじみ深い人物だからでもある。

佐々木は昭和二年に文芸資料研究会(奥付発行所は文芸資料研究会編輯部で、発行人は上森健一郎)からジョン・クレランドの『ファンニー・ヒル』を翻訳刊行している。これは言うまでもないだろうが、昭和四十年になってまでも発禁処分を受けた『ファニー・ヒル』吉田健一訳、河出書房新社)の最初の翻訳であり、もちろん戦前のイギリスやアメリカにおいても、このファニーという娼婦の物語は長らく禁書とされていた、有名なポルノグラフィであった。拙著『書店の近代』平凡社新書)の「艶本時代とポルノグラフィ書店」の中でも言及しておいたが、一説によれば、佐々木が訳した『ファンニー・ヒル』の原書は、フランスから小牧近江が直接持ち帰ったものだとされている。佐々木は小牧が創刊した『種蒔く人』の同人でもあったから、その可能性はかなり高い。

ファニー・ヒル 書店の近代

ところでこの『ファンニー・ヒル』をリアルタイムで入手し、読んだ体験を語っている文章を見つけたので、それを引いてみる。平野謙の「本の思い出」(『平野謙全集』第13巻所収、講談社)と題する一文である。

むかしこの本を入手したとき、私は旧制高校の生徒であって、(中略)数え年二十歳のころである。おそらく私は文芸資料研究会に入会し、なにがしかの会費をはらって、佐々木孝丸訳『ファンニー・ヒル』を「贈呈頒布」されたにちがいない。
 イギリスの娼婦の手記というこの書簡体小説は、四十数年むかしの私には、ひとつのショックだった。会員制とはいえ、よくこんな本が活版印刷されるものだ、と思ってビックリ仰天したのである。活字体で読んだ最初の猥本だった。

そして同級生の本多秋五藤枝静男にも読ませ、「彼らも熟読翫味したにちがいない」と書き、この本を本多が春休みの帰郷の際に持って帰り、村の友人たちに回覧させているうちに、行方不明になってしまったことも付け加えている。これも「春本と青春は手離したら二度と戻ってこない」という昔の警句を地でいったようなエピソードで、タブーであったポルノグラフィ出版の状況と「贈呈頒布」なる通信販売の実態を教えてくれる。

さらに平野は、佐々木の訳文が「なかなか抑制した文学的な翻訳」だったと書いている。それもそのはずで、平野は記していないが、佐々木はスタンダールの『赤と黒』の最初の翻訳者でもあった。『赤と黒』は大正十二年に新潮社の『世界文芸全集』の二巻本で刊行され、昭和五年に円本の第二期『世界文学全集』第五巻に収録されているので、佐々木は円本の訳者だったことにもなる。

その一方で、佐々木は戦前において、プロレタリア演劇運動の中枢に位置する活動家、俳優、演出家、劇作家であった。また「インターナショナル」の歌詞の最初の翻訳も彼が手がけ、その後に佐野碩と共に改訳し、現在の歌詞になっている。そういえば、最近になって、これもその生涯が定かでなかった佐野碩の評伝が岡村春彦によって、『自由人佐野碩の生涯』岩波書店)として出された。
自由人佐野碩の生涯
だが私たちの世代にとって、佐々木孝丸といえば、東映ヤクザ映画などの名脇役の印象が強い。その中でもとりわけ印象深いのは、山下耕作『博奕打ち 総長賭博』で、佐々木は右翼の黒幕を演じている。彼は冒頭と最後の場面にしか登場しないのだが、日の丸を背景にして、国家的使命の一翼を担う大陸進出を語る異様な迫力と存在感は圧倒的で、このイントロダクションにおける佐々木の配置があってこそ、『博奕打ち 総長賭博』の最高傑作たる輝きを最初から放つことができたのではないだろうか。
博奕打ち 総長賭博
私と同じ一九七〇年にこの映画を見ていた鹿島茂も、佐々木の強烈な存在感がいつまでも残り、『甦る昭和脇役名画館』講談社)の中で、その一章を佐々木に捧げている。そして鹿島は、佐々木が東映のみならず、日活、大映、松竹、東宝の六〇年代から七〇年代にかけてのヤクザ・ギャング映画二十作近くに黒幕的脇役として出演し、「政治的な権力欲やカリスマ性」を強く匂わせる黒幕を演じていると書いている。さらに鹿島は、佐々木の「わが半生記」というサブタイトルが付された『風雪新劇志』現代社)によって、佐々木の半生をたどっている。大正六年に神戸から上京し、赤坂の電信局に勤めながら、アテネ・フランセに通ってフランス語を学び、秋田雨雀の紹介で新潮社からミュッセの『二人の愛人』の翻訳を処女出版し、『赤と黒』も手がけることになったと跡づけている。
甦る昭和脇役名画館
しかし残念なことに、佐々木の『風雪新劇志』は「新劇志」に叙述の大半が割かれ、村山知義『演劇的自叙伝』がそうだったように、出版や翻訳についての言及は少ない。それでも『ファンニー・ヒル』の翻訳が後々までたたったエピソード、近代社の『世界童話大系』や『世界戯曲全集』の訳者であったことを記しているが、『赤と黒』についてはその後の誤訳問題もあり、明らかに記述を控えている。

だが出版史に佐々木を置いてみると、彼は翻訳に携わっただけでなく、前述したように『種蒔く人』の同人で、種蒔き社の重要なメンバーだった。そしてまた、彼は足助素一の叢文閣に勤めて「自然科学叢書」、アルスにも席を置いて「アルス文化大講座」を企画編集している。つまり佐々木は翻訳者であると同時に、編集者だったことになる。佐々木の編集者としての一面については稿をあらためたい。

本来であれば、ここでこの章を閉じるべきだが、平野が「本の思い出」の中で、佐藤紅霞についても言及しているので、それだけは付け加えておきたい。平野は梅原北明が出していた雑誌『変態・資料』の別冊の佐藤編『性欲学語彙』上下二巻本にふれ、その一冊を入手し、大いに啓蒙され、後に弘文社から一巻本となり、『世界性欲学辞典』として改題刊行されたらしいと書いていた。そして埴谷雄高と雑談していた時、この辞典のことが話題になり、埴谷もこの辞典の愛読者だったとわかり、「二人で大いに佐藤紅霞の学恩に感謝しあった」とも記し、「この辞典にもう一度再会したい」と結んでいる。

平野の回想は、梅原たちの刊行したポルノグラフィなどが戦後に『近代文学』に集った人々にとっての愛読書であった事実を告げている。とすれば、表面的には何も関係ないような昭和艶本時代も、戦後の『近代文学』ともアンダーグラウンド出版を通じてつながっていたことになる。

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