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古本夜話26 山崎俊夫と『美童』

前回記したように井東憲が『変態作家史』の中で、「大正の変態心理小説」を列挙しているが、その一人である山崎俊夫の作品集をあらためて読んでみた。たまたま昭和六十一年に奢灞都館から刊行された『美童』と題する『山崎俊夫作品集』 上巻を所持していたからだ。

この作品集は生田耕作の編集・校訂で、上中下巻と補巻二冊を合わせ、全五巻が出版されたはずだが、残念ながら私はこの一冊しか架蔵していない。正直に言えば、そのねっとりとしたホモセクシャルな世界の濃度に辟易し、続巻を買う気になれず、上巻だけでおしまいにしてしまったのである。しかし再読してみて、全巻揃えておくべきだったと後悔している。補巻の部数は五百部に充たないようなので、残りの巻を一冊ずつ見つけるしかないだろう。
山崎俊夫作品集補巻2

それに上巻には山崎俊夫の、帽子に蝶ネクタイ、スーツに半コートといったヨーロピアンスタイルで固めた、見るからにモダンな姿の口絵写真の一葉が収録されているだけで、作者に関する紹介や作品の解説もなく、どのような人物なのか、まったく不明のままに上巻が編まれているのである。それでもかろうじて作品の初出雑誌、および発行年と号数は記載されているが、単行本や出版社についての書誌情報も見当たらない。だから下巻にまとめて掲載されているのでないかと思い、揃えておくべきだったと後悔したのだ。曲がりなりにも全五巻に及ぶ作品があるということは、山崎が何冊かの著書を刊行していることを告げている。箱の裏に記され、本文には収録がない「すべては夢の代の往古(むかし)より土蔵の奥深く秘蔵せられし古き酒甕なり」の文言を含む「童貞」序詞から考えれば、これは単行本に付されていたと推測できる。しかし山崎は文学事典などでも立項されていない。「土蔵の奥深く秘蔵せられし」物語とはホモセクシャルな小説のみならず、これまで見てきたようにSM小説から江戸川乱歩の世界にまで通底しているものだ。それゆえにとりあえず、この『山崎俊夫作品集』 に寄せられた惹句を引き、その紹介に代えよう。

 過ぎたるデカダン、過ぎたる耽美、過ぎたる倒錯の故に、日本近代文学史から放廃・抹殺された幻の鬼才・山崎俊夫。半世紀余の歳月を経て今ここに初めて甦る蠱惑の作品集。

上巻には先に挙げた「童貞」とその続編「夜の鳥」など十編が収録されているが、表題の「美童」は見当たらない。生田が編纂に際して新たに採用したものなのか、それとも単行本のタイトルだったのか、それも不明である。だがそれらはともかく、ここではいずれにしても正続「童貞」を取り上げるべきだろう。

「花車な母から腺病質を遺伝せられた京二は、あまり性質が柔順なので、幼児の頃には女の子と間違へられてばかりいた」と「童貞」は書き出されている。兄弟の中にあって、京二だけは女の子のように育てられ、また実際彼は変成男子らしいのである。幼児期はともかく、小学校に通うようになると、他の生徒から新しい知識を学び、自らの肉体の秘密に気づく。そして中学に入るとすぐに庇護者だった母が、「おまへは可哀さうな児だねえ」という言葉を残し、亡くなってしまう。

京二は母を失い、新しい母が来たために寄宿舎に入れられる。野獣のような寄宿舎生活で、京二は京都出身の薫と同室になり、「古い酒甕」を共有しているところから、二人は「超ゆべからざる溝」を超えてしまった。しかし夏休みになって、寄宿生全員が大磯の海岸にある学校の水泳場で三週間を過ごすことになり、そこである晩、常々京二の身体に好奇心を昂ぶらせていた生徒たちによって、彼が襲われようとするところで、「童貞」は終わっている。

その続編の「童貞後日物語」とある「夜の島」は襲われた後、夜の海岸を夢遊病者のように彷徨っている京二の姿から始まっている。京二は病気届を出し、一人で東京へ帰る汽車の中で、若い海軍士官に出会う。薫は捨てられ、京二は自由な快楽と情熱の顕現者と思われる士官に追慕と憧憬を捧げる。だが士官の二人の妹も含めた「三条(みすぢ)の絆」に絡まれ、逃れようとする。それでも京二の周囲には様々な男女が現われては消えた。いつの間にか、京二は二十歳を越え、自分の美貌への恐怖と憎悪と愛惜、また徴兵逃れのために服毒自殺を選ぶが、失敗してしまう。

「左の片腕に青い縞蛇の刺青のある老耄(おいぼ)れ水夫が、日ましに廃れ果ててゆくさびれた古い港を恋ひるやうに、京二はなくなつた母を飽くまで恋ひた」。またしても夏がやってきた。ある夜京二は若い瞽女と道づれになり、彼女の手を引いて、根津の町を歩いた。彼女は彼の手の感触から、京二が十七、八の「お坊ちやん」だと言う。盲目の瞽女には京二の変成男子的な美貌も見えず、彼はまだ十代のままなのだ。京二に彼女に手をゆだねて歩きながら、涙をあふれさせていた。

正続「童貞」の世界に中にはホモセクシャル的物語のコードがすべて散りばめられている。父の不在、母の溺愛、女性的な物語の中での成長、祭の場面に示されたその儀式的な身体や衣服への憧憬、同様の海軍士官の制服と容貌、動作や仕草に対する執拗な眼差し、ナルシシズム、それらのすべては山崎俊夫三島由紀夫の先達であることを物語っている。また引用した刺青のある水夫とそのイメージは、寺山修司塚本邦雄の世界へもそのままつながっている。

「童貞」の掲載は『三田文学』の大正二年五月号で、その他の五編も同様であることからすれば、山崎は慶應義塾出身、作品にフランス語が見えるから、それも仏文科だと思われる。この時期の『三田文学』は永井荷風が編集していたから、山崎は荷風とも面識があったのかもしれない。

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