出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

4 先行する物語としての『黒流』

  

◆過去の「謎の作者佐藤吉郎と『黒流』」の記事
1 東北書房と『黒流』
2 アメリカ密入国と雄飛会
3 メキシコ上陸とローザとの出会い


4 先行する物語としての『黒流』
ここまでの要約で、『黒流』の物語の序章的流れは説明できたと思う。時代は一九一九年から二一年にかけてであり、主人公の荒木の行動を追えば、東北からの上京→雄飛会会員となる→春子との婚約→メキシコ上陸→ローザとの出会い→アメリカ密入国というプロセスをたどったことになる。物語からすれば、まだ早い段階であるかもしれないが、大正時代に書かれた『黒流』のような小説の位相について、若干の注釈を加えておいたほうがいいだろう。まだこの時代において、冒険小説という用語はもちろんだが、大衆文学という言葉すらも確立されておらず、この小説にふさわしい定義を与えることができない。だから分類することが難しい現代小説だったと思われる。またそれゆえにこそ、忘れられた作品と化したのかもしれない。

先述したように牧逸馬の「めりけんじゃっぷ」物はまだ現われておらず、石川達三のブラジル移民小説『蒼氓』 が発表されるのは昭和十年であるから、テーマ的にもずっと先行していたことになる。したがってこの『黒流』の規範となるような先行作品は刊行されていなかったのではないだろうか。説明不足の物語展開、人物描写の類型と表層性、男女の紋切型的存在、登場人物たちの唐突な出会いなどの欠点はすぐに目につくが、日本ではなく海を越えた南北アメリカを股にかける物語は類を見ない異色作品であったように思えてならない。それはおそらく「自序」にあるような、大正時代における「冒険的な放浪」をベースにして成立した海外物語、人種闘争をテーマとする特異な物語が重なり合い、大正時代の文学からかけ離れて存在する作品だと判断できるからだ。

少しばかり中断してしまったが、さらに『黒流』の物語をたどってみなければならない。第四章の「流浪者」では東の農園における瓜摘み労働が描かれている。早熟の瓜は高価なので、この仕事はアメリカ中で最も金になる季節労働(シーズンウオーク)とされ、千人近くの日本人労働者が帝国平原に押し寄せ、東の農園にも四、五十人が働いていた。その中に大坂という四十五、六歳の男がいて、荒木は彼と親しくなった。大坂はカナダ移民だったが、放浪者となり、ホーボー生活をしてカリフォルニアにたどり着き、賭博にのめりこむ生活を送ってきていた。七月に瓜摘みの仕事は終わり、荒木はローザとの約束もあり、大坂と一緒に汽車でロスアンゼルスに向かった。そこには「日本人街」もあった。おそらく「リトル・トーキョー」の原型であろう。

 翌朝汽車はロスアンゼルスへ着いた。大坂の案内で二人は日本人旅館へ宿(とま)る事にした。ロスアンゼルスは奇麗な町であつた。日本人街もかなりに美しかつた。うどんそば屋、汁粉屋、料理屋などがあるので何と無く日本へ帰つた様になつかしかつた。

旅館はフレスノからの労働者雇入れの親方(ボス)たちがつめかけていて、大坂の旧知の親方もいたこともあり、荒木たちはフレスノの葡萄摘みの仕事に一ヵ月ばかり従事することになった。

そこに春子の母親からの手紙が届いた。春子が行方不明になり、誘拐されたのではないかという知らせだった。春子の面影をしのびながら、「春子はもう自分の手許へは帰つて来ないのだ。―そればかりでは無く世界の何処に居るのかも判らないのだ。何とした事だ」と荒木は強い脱力感と憤激に襲われた。だが何の手がかりも得られず、悲しみを乗せて月日は流れていき、葡萄摘みの仕事も終わりを告げた。

大坂はサンフランシスコに行こうと荒木を誘う。そこには「支那人街」(これも後のチャイナタウン)があり、女、賭博、阿片といった「暗黒面(ダークサイド)」を案内するという。荒木にしてみれば、四年前に南米航路の甲板から剛島とともに眺めた町がサンフランシスコだった。二人は支那人街に隣接する日本人経営のホテルに投宿し、上海楼という支那料理屋に入り、支那人、白人、日本人などが「東洋趣味の飾窓(シヨウヰンドウ)」を冷やかしながら歩いている「支那人街の夜景」を見て、充分に腹拵えをした。それから阿片も売っている賭博場に出かけた。地下室の賭博場には日本人と支那人だけからなる三、四十人がいた。大坂は荒木に「阿片窟兼賭博場」の主人(マスター)で、「一人丈の高い弁髪の天神髷を生やした男」トンワングを紹介する。「トンワングは荒木の顔から身体を頻りに見つめて居るのだつた。荒木にはそれが何と無く薄気味悪かつた」。荒木達は賭博で儲け、夜明け頃に帰った。

次回へ続く。