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古本夜話61 南柯書院と南柯叢書

これまで何度かその社名を挙げてきた梅原北明グループの南柯書院がずっと気にかかっていた。前回林芙美子を登場させたこともあり、そのことに言及してみよう。

南柯書院は上森健一郎、宮本良、西谷操たちによって、昭和三年に設立され、『変態黄表紙』を刊行し、翌年『世界デカメロン全集』を出版予告したが、未刊のまま一年後に消えてしまったとされている。だがここで問題にしたいのは南柯書院の出版物ではなく、その社名の由来である。

私はこの社名は西谷によるもので、昭和二年に刊行された南栄書院の「奢灞都南柯叢書」からとられたものではないかと推測する。つまり叢書の「南柯」と版元の「書院」を組み合わせ、命名されたのではないだろうか。

実はこの南栄書院から林芙美子の処女詩集『蒼馬を見たり』は刊行されている。もちろん林の詩集は持っていないが、「奢灞都南柯叢書」第二篇は手元にあり、それはアラン・ポオ著、竜膽寺旻訳『タル博士とフエザア教授の治療法』で、その奥付を見ると、既刊がホフマン著、石川道雄訳『黄金宝壺』となっていて、これが第一篇であろう。そして近刊予定として、J・V・L訳、スティブンスン他四人集『その夜の宿』が掲載されている。
蒼馬を見たり

「緝綴の辞」として、日夏耿之介が「書癡必誦奢灞都南柯叢書」なる序文を記しているので、日夏が監修的な立場にあったと考えられる。そして「凡例」には「この中の二三は嘗つて雑誌「『奢灞都』に掲載したるもの」との言もある。だからこの叢書は大正十三年から昭和二年にかけて、全十三冊が刊行された同人誌『奢灞都』(二巻までは『東邦芸術』)を背景にしているとわかる。また『日本近代文学大事典』で、『奢灞都』を確認してみると、思いがけずに「叢書」への言及があり、同時に五十二巻が計画されたが、刊行されたのは南栄書院の二冊だけという井村君江の記述に出会った。

さらに『日夏耿之介全集』河出書房新社)の第八巻に「三人の少年詩人」が収録され、北村初雄、長谷川弘、平井功が語られている。三人はいずれも若くして亡くなった詩人だが、ここでは平井功にだけ言及する。なぜならば、日夏が最も長く、哀惜をこめて追悼しているのが、平井功であり、また平井こそが『奢灞都』の若い有力詩人で、「叢書」の企画編集者だったと思われるからだ。日夏は平井の二つの別名を、最上純之介とジャン・ベラスコ・ロペスとして挙げている。すなわち「叢書」第三篇の訳者J・V・Lとは平井功のことだったのである。
日夏耿之介全集

既述した『書物游記』所収の荻生孝の「秋朱之介とその時代」に『奢灞都』と秋=西谷のことが出てくる。秋が正則英語学校に入学し、新橋の貯金局に勤めるかたわら、文学にいそしんでいた時に関東大震災が起きる。だがその翌年には新たな芸術運動が起き、プロレタリア文学の『文芸戦線』、新感覚派の『文芸時代』、詩とアヴァンギャルド芸術の『マヴォ』などが創刊された。

 その中で、異色を放つのが「東邦芸術」、のちの「奢灞都」である。日夏耿之介の監修で、佐藤春夫堀口大學・柳沢健のほかに、岩佐東一郎・城左門・矢野目源一といった若手詩人が加わり、奢灞都館の石川道雄によって、同年八月に創刊された。秋は、この高踏派の詩誌に刺激され、その詩人たちとも、いつしか交渉をもつようになった。

大正十四年に第一書房から堀口大學の訳詩集『月下の一群』が刊行され、秋が彼を訪ね、門下生になったこと、及び昭和三年に創刊される『パンテオン』に同人として加わったことで、やはり『パンテオン』に寄稿していた石川道雄や平井功たちと、「いつしか交渉をもつようになった」と思われる。

その一方で、秋=西谷は上森健一郎が編集する『変態・資料』に詩を投稿したことがきっかけで、昭和二年頃上森の文芸資料研究会編輯部に入り、翌年に南柯書院に移り、また昭和四年には自らの訳と装丁で、ジベリウスの『ウイーンの裸体倶楽部』を刊行し、またタントリスの大木黎二訳『恋の百面相』などの装丁を手がけている。彼の装丁に関しては『書物游記』も口絵写真で紹介しているが、城市郎『発禁本3』(「別冊太陽」)においても、「特装版装幀名人、西谷操」として、見開き二ページ、書影十五点ほどが掲載され、多彩で異色の装丁家の面目を知らしめている。その解説で、西谷は八十五歳で『書物游記』を刊行してから、「平成十年頃以後―消息跡絶ゆ」と城は記している。
発禁本3

西谷操や矢野目源一の軌跡に象徴されるように、詩人たちもまた詩の同人誌に属するかたわらで、ポルノグラフィ出版に携わっていた。日夏耿之介と弟子たちが武俠社の『性科学全集』に参加していたことは 本連載31 で述べたとおりだ。それゆえに西谷が「南柯叢書」と南栄書院を結びつけ、南柯書院と命名したと判断することはそれほど不自然ではないと思われる。

なお『奢灞都』は牧神社から復刻されている。

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