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古本夜話66 宮本良『変態商売往来』と松岡貞治『性的犯罪雑考』

もう一度、南柯書院に戻る。
これも既述したように、南柯書院は上森健一郎、宮本良、西谷操などによって、昭和三年に設立された。その編集責任者は宮本良で、彼は発藻堂書院や前衛書房の編集事務も兼ねていた。また宮本は文芸資料研究会の「変態十二史」第七巻の『変態商売往来』の著者、南柯書院の発禁本で西谷操装丁によるダフエルノ著『おんな色事師』の訳者でもあった。それらに加えて、いくつかの別名を持ち、「変態文献叢書」第五巻の『性的犯罪雑考』の著者松岡貞治も宮本である。

この宮本のかなり詳細な経歴が、昭和六年に書局洛成館から刊行された『談奇党』第3号所収の「現代猟奇作家版元人名録」に掲載されている。版元の洛成館と発行兼編集人の鈴木辰雄に関する詳細はわからないが、この号は近年になって、谷沢永一の蔵書を原本として、金沢文圃閣より『性・風俗・軟派文献書誌解題集成―近代編』所収として復刻が出された。

それによれば、宮本は生粋の江戸っ子で、本郷区湯島四丁目に生まれ、早稲田政経科専門部を経て、青山学院英文科を卒業。青山学院時代から木村毅や春秋社の社長神田豊穂などの仕事を手伝い、後に村松梢風の『騒人』の編集記者となり、田中貢太郎の世話を受けたりしたが、「梅原と合流するに及んで、純文芸の精進を捨てゝ旺んにエロ本出版に努めた」とされている。

また同号の南柯書院紹介の部分において、宮本はジャーナリスティックに走って策を弄しすぎるゆえに、「でたらめな原著者の名前を出したり、ありもしない題名をつけたりするので、(中略)原著者の名前など、どこまで嘘で、どこ迄がほんとうなのだか分からない」とも語られている。さらに経営能力と部下の統率力の欠如、『世界デカメロン全集』の未刊行、妻の姦通、罰金未納のための市ヶ谷刑務所入りまで言及され、梅原一派の異彩な人々の中にあって、はなはだ分が悪い。

しかし実際に彼の『変態商売往来』を読んでみると、その「序」において、「変態商売は商売それ自身の行き詰まりの表徴」で、社会経済の窒息期、もしくは危機を象徴し、完全な変革が必要であるとの認識を示し、その視点からこの一冊が編まれていることを、まず読者に伝えようとしている。

資本論
そして本論に入る前に「商売の概念」を論じ、これはおそらくマルクス『資本論』の影響だと思われる。大正時代から昭和円本時代にかけては、『資本論』の翻訳のディケードでもあったのだ。宮本は「商売の概念」を次のように書き始め、そして続けている。

 商売とは生産者と消費者との間に立ち、財貨の交換を媒介し、需要供給の適合を計る一種の企業である。(中略)
 狭義の場合では商売は―商業は、生産者と消費者との間に立つ一種の専門的ブローカーに過ぎないが、一般的に商売を講義に解すると、(中略)即ち生産者それ自身も商売で有り得るし、或る場合には消費さへも―消費のみでさへも商売で有り得ることがあるべき筈である。
 つまり商売の内容は生産、消費、取次の三つの場合、三つの性能を一つづつ備へたものである。

「商売」とは「生産、消費、取次」を含むという視点は、マルクスを経由したものと考えて間違いないだろう。ここでの「取次」とは「流通」の意味であるからだ。また「商売」は「生活の幸福を増進」し、「人類の綜合的相互扶助」でなければならないとも述べている。

そして日本の歴史を追いながら、時代の過渡期、爛熟期に出現してくる「変態商売」を論じ、現代に及んでいる。その「現代篇」の最初に挙げられているのが、他ならぬ「珍書目録送呈業」であるので、これを紹介してみよう。

宮本は「珍書目録送呈業」について、明治三十年代になって増えてきた「書籍業」であるとし、新聞や雑誌に「珍書目録送呈業」という広告を出して読者を釣り、これに目録を送りつけ、極めて程度が低い性的で変態的な書籍を売りつける商売だと定義している。そしてその実例として、新聞や雑誌の広告、『女の赤裸々』といった内容の珍書目録などを挙げている。つまり梅原北明一派のポルノグラフィ出版もこの商売の延長線上にあり、それは企画、宣伝、人脈、組織、製作、販売などのすべての分野において、突出したパフォーマンスを導入し、これまでにない「変態出版商売」を上演したと見なせるからだ。しかしそこにマルクス『資本論』までが投影されていたことに留意すべきだろう。

別名の松岡貞治で書かれた『性的犯罪雑考』の中で、彼はおそらく梅原一派が参考資料にしたと思われる四十冊余の欧米の犯罪学と性的犯罪をめぐる文献を挙げ、日本では検閲と発禁によって欧米と比べ、その分野の出版が著しく遅れていると述べている。おそらく江戸川乱歩もこれらを読んでいたはずだ。そしてとりわけドイツではそれらの研究が進み、「一枚の挿絵写真に於いてすら、一嘆三嘆すべき珍品がその学究的良心の確実さ」を物語ると記し、「総論」の章を次のような言葉で閉じている。

 「あゝ、日出づる国、日本! それがかうした愉快を助けてくれるやうになるのは、幾、幾世紀ののちなのだらうか?」

これこそが「変態出版商売」の根底にある思いではなかったであろうか。

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