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ブルーコミックス論9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)

弓立社Blue(光文社)(双葉社) BLUE太田出版)


山本直樹はここで取り上げる『BLUE』を始めとして、性を物語のコアにすえてきたといえるだろう。それは彼が森山塔などのペンネームで「エロ」を描いてデビューしてきたことと関連しているにしても、山本にとって直視すべき必然的テーマゆえに、執拗に追及され、描かれ続けてきたと考えられる。

しかもその性は学校や家族から始まって、学生運動や政治、宗教といった共同幻想の場においても、否応なく物語のドライヴィングフォースとして機能し、山本直樹の性とともにある世界の亀裂や深淵を覗かせてくれる。それらの作品の代表作として『学校』『ありがとう』『レッド』『ビリーバーズ』をただちに挙げることができる。

学校 ありがとう レッド ビリーバーズ

『BLUE』という短編集はそのような山本の物語群のベースに位置しているのではないだろうか。とりわけそれは表題作で、九一年の『ビッグコミックスピリッツ』増刊号に発売された「BLUE」に顕著だと思える。この短編集『BLUE』は九一年に光文社から刊行されたが、「有害コミック問題」の渦中で、東京都条例により「不健全」指定扱いを受け、廃棄処分となった。だが九二年に弓立社が「成年コミック」マークをつけることで再版し、その後、双葉社太田出版からも出されている。したがって『BLUE』は四つのヴァージョンがあるのだが、ここでは弓立社版を使用している。

弓立社版のA5版の表紙カバーは青一色で、そこに黄色の「BLUE」のタイトルがあり、その下に白いシャツだけをまとった長い髪の少女が膝を立て、半裸の姿で横たわっている。しかしそれ以上に「BLUE」の色彩が強烈なのは、中扉に描かれた空の青、それからこれもまた屋上に横たわっている少女の制服の青であろう。その構図は逆さに見ることによって、了承されるのである。屋上に横たわる少女に誘われ、次のページをめくると、逆さまの空と屋上が風景ではなく、見慣れた日常の光景のように出現し、「そしてまた/僕らは/のぼってゆく」という言葉が、空の青の中に書きこまれ、次にいきなり少女と少年の性の場面が召喚されている。

[f:id:OdaMitsuo:20110906144621j:image:h150](中扉)

ここで「ブルー」は表層的には性やエロスの色彩として表われ、それに加えて「ブルー」という青のカプセルに入った薬の存在も描かれている。ブルーとセックス、それはウィリアム・ギャスが『ブルーについての哲学的考察』で、ベケットの『モロイ』に関連して語っていたことであり、それをもじっていえば、作者の山本も「非常にブルーな人間」で、「BLUE」に示された「ブルーは詩であり、情況であり、色であり、行為であって、互いに相手を自分のなかに含みこもうとする」物語だと考えることもできる。

ブルーについての哲学的考察 モロイ

「BLUE」の物語展開をたどってみよう。「俺(灰野)と九谷さん」は高校の屋上にあるバラックの天文部室で、深い理由もなく、「セックスをするようになった」。九谷は元天文部員で、二年前に部員が酔っ払って飛び降り、死んでしまったこともあって、廃部になっていた。灰野はふとしたことで屋上に出て、その部屋で九谷とそのような話をしているうちに、彼女から「ブルー」という「気分スッキリする」薬を渡され、「これを飲んですると気持ちいいわよ」と囁かれ、「と、いったなりゆきで」セックスに至る。それから「昼休みや放課後屋上にのぼってはセックスをするよう」な関係になった。

その二人の間に天文部のOBで、薬科大にいっている双子の男たちが現われる。薬の「ブルー」は彼らが大学からくすねてきたもので、彼女は彼らとも関係している。

それでも灰野と九谷の関係は続き、屋上でのセックスの日々、「ブルー」の彼女の身体への挿入、彼女と双子たちのセックスのかたわらで、「飛び降り自殺」のポーズをとる灰野の姿が描かれている。季節はもう秋なのだ。灰野と九谷は先輩たちの車を無断で借り、ドライブに出かける。「どこまで行こうか」と九谷がいう。「……遠くまで行こう」と灰野が応じる。そしてさらに灰野は続けるのだ。

「この不浄なイナカを脱け出し/誰も知らない東京をめざして/この道をどこまでも南へ走ろう。ガソリンが切れたら二人で自販機をこわして金を盗み/ガソリンを買おう。このまま東京まで逃げて/そこで二人貧しくともつつましく暮そう」

学校のアジールとしての屋上も、つぶれてしまった天文部室も性も「ブルー」の薬も、見慣れた光景になってしまえば、もはや非日常ではない。それゆえに秋の訪れと車を運転したことで、日常からの脱出の思いが告白されてしまうのだ。これが「BLUE」の物語にこめられた基調低音だと判断すべきだろう。

しかし性が「なりゆき」でしかないように、日常からの脱出も、「なりゆき」の言葉でしかない。それを確認するように、九谷は問う。「……冗談でしょう?」。灰野も応える。「冗談だよ……」と。

そして春がきて、二人は高校を卒業し、九谷は東京の大学に進み、灰野は隣町の郵便局員になった。「飲み仲間もいるしかわいいカノジョもできた/田舎暮らしもそんなに悪いもんじゃないよ」。ただ問題なのは「ブルー」の副作用として、フラッシュバックが出てきたことだった。日常性の中に残る非日常としての屋上の出来事と薬の後遺症に他ならないだろう。

灰野は三年ぶりに母校の学園祭に出かけてみた。屋上には鍵もかかっておらず、天文部室ももはやなかった。当然のことながら、その風景はブルーではなく、モノクロで描かれている。しかし灰野は「飛び降り自殺」をするポーズをとっている自分をそこに見た。「とんでもねえ後遺症(フラッシュバック)だ」と呟くが、その背後で飛び降りた灰野の姿が描かれていて、そこでこの「BLUE」は唐突に終わっている。それは「BLUE」に描かれたセックスの「なりゆき」に相似しているようにも思われる。

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1