出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話166 博文館と巌谷小波『金色夜叉の真相』

もうひとつ近代文学史にまつわる真相についてもふれておこう。こちらは前回の「文壇照魔鏡」のような匿名の著者ではなく、モデルと見なされた本人が自ら著した一冊があり、それは入手しているからだ。

山口昌男の『「敗者」の精神史』(岩波現代文庫)の「明治出版界の光と闇―博文館の興亡」という一章に、巌谷小波の『金色夜叉の真相』への言及があり、この本を媒介にして、山口は博文館の大橋新太郎と巌谷小波の女と出版の関係を描き、博文館が巌谷も含めた硯友社の文学者たちの上に君臨していた事実を暗示させている。近代文学史はそのことをあからさまに語っていないが、明治後期の文学者たちは大なり小なり、博文館という出版資本の影響下に置かれ、それから自由であったことはなかったように思われる。ある意味において、この時代の文学とは、出版資本と文学者の闘争だったのだ。この章を書くにあたって、山口の脳裏にあったのは、おそらく内田魯庵の明治二十七年刊行の『文学者となる法』(右文社、復刻図書新聞)だったのではないだろうか。ただ山口と関心は重なるにしても、異なる視点から言及してみる。
「敗者」の精神史

さてこの『金色夜叉の真相』は昭和二年十二月に黎明閣から刊行された菊半截判四百ページ余の一冊で、この黎明閣は深海泡浪の長編事実小説『悪鬼は躍る』などを刊行している出版社である。この小説は「現代の間寛一」と呼ばれる日本の三大高利貸の一人をモデルとしていて、主人公はまさに黎明閣の発行者に他ならないのだ。つまり黎明閣は高利貸しが経営する出版社で、いうなれば戦後の森脇将光の森脇文庫のような版元だと考えられる。このことに関しては拙稿「森脇文庫という出版社」(『古本探究2』所収)を参照されたい。
古本探究2

黎明閣の武藤精宏は間寛一を見倣って高利貸になったと自称する人物で、巌谷小波も間寛一のモデルであるとの風評が流布していた。そこで武藤は石橋思案の弟子と称する深海を介して、巌谷に会見を申しこんだ。巌谷の「はしがき」の言葉によれば、「それは私が真のモデルたるを信じ、之(これ)に同情して自ら奮起した身の、大いに話が合ふと思つたからであらう」。この出会いの内容は、深海による付録「二人寛一の会見」として写真入りで巻末に収録されているが、これがきっかけとなって、『金色夜叉の真相』の執筆が促され、各新聞社を招待し、紅葉館での大々的な発表がなされ、出版に至っている。つまり『金色夜叉の真相』の出版はいかがわしい雰囲気と状況の中で進められたことになる。

しかしそのような前提があったにしても、『金色夜叉の真相』は巌谷小波の書き残した唯一の自伝と見なしていい著作に仕上がっている。確かに巌谷がいうように、「私の一代の情史ともなり、女難懺悔となって」いるが、「私としては思ひきつて書いた、空前の大膽なる文字(ぶんじ)」で「亳(かう)もいつわらざる告白」であろう。登場人物はローマ字の頭文字だけで示されているにしても、ほとんどは存命中であり、リアクションは覚悟の上での出版だったと考えられる。そこにはどのような事情が絡んでいたのか。

『金色夜叉の真相』は巌谷小波のふたつの恋愛事件がモデルだという風評の真実を告白している。そのひとつは少年時代に書生として入り、後に小説のモデルとするK家の三女A子との結婚に至らなかった恋愛で、この失恋から寛一の「黄金万能主義」への変化に反し、モデルの小波は「超世間的の児童文学礼讃に走つた」とされる。もうひとつは硯友社の同人を始めとする文士たちが遊んだ芝の高級料理屋の紅葉館の女中S女との浮名である。ここでは後者にしぼる。

小波が京都在住中にS女はH館のO氏の財力に魅せられ、彼と結婚する。紅葉はそれを小波に手紙で知らせ、紅葉館でS女をなじり、足蹴にせんばかりの行動に出る。これが『金色夜叉』の熱海の海岸の場面に転化されたのではないかと小波は推測している。このモデル問題に相乗して、小波とO氏とS女の関係はH館の事業や小波の著作権問題も複雑に加わり、それこそS女は遅れてきた「女難」=「一種の金難」を小波にもたらし、その「財政の逼迫」ゆえに『金色夜叉の真相』は出版されたようなのだ。A子やS女はお宮となって物質的にはいずれも恵まれたが、モデルの自分は「餓鬼」として苛まれているという述懐で、この本は終わる。
金色夜叉

この『金色夜叉の真相』をベースにして書かれた小波の息子の巌谷大四の『波の跫音―巌谷小波伝』(新潮社、のち文春文庫)は、ローマ字の人物をすべて実名で描き、H館のO氏は博文館の大橋新太郎、S女は須磨と表記している。そして円本時代におけるアルスからの小波の『日本お伽噺』の出版をめぐる、博文館との著作権トラブルから、小波は憤り、大橋新太郎の私生活を暴露したこの本を書き、刊行と同時に死のうと決意までしたようだとも書いている。だが出版後の反響はどうだったのだろうか。
明治事物起原

 『金色夜叉の真相』は、初版一千部印刷されたが、大橋新太郎よりも、綾子(A子―引用者注)の夫川田豊吉から厳重な抗議が出て、初版を売り尽くさないうちに絶版とされた。新太郎は直接小波には抗議せず、金の力でその大半を買い占め、廃棄させた。

しかし私の手元にある本には昭和三年一月八刷、二月には五回も重版し、十三版となっている。それこそ「金色夜叉の真相」もさることながら、出版の「真相」はさらにわからない。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら