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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話290 小熊秀雄(旭太郎)と中村書店

前回、入手経路はまったく不明だが、たまたま家にあり、小学生の頃に読んだマンガを取り上げ、それが中村書店から刊行された大城のぼるの『愉快な探検隊』で、三一書房『少年小説大系』に復刻収録されていることを記しておいた。

少年小説大系 別巻3

そしてその事実を知ったことから、かつて晶文社から大城のぼる『火星探検』が完全復刻されたことを思い出した。今になって考えれば一九八〇年におけるこの出版は、その後の貸本マンガなどの復刻の先駆的企画であった。しかしそれゆえにこそ、オールカラーで少部数の復刻だったことも加わり、六千円という高定価だったために、購入していなかった一冊でもあった。ただ最近になって浜松の時代舎の棚で見かけていたので、この機会に入手した。またこの晶文社版をベースにして、透土社からも『火星探検』の復刻が出され、やはり前述の『少年小説大系』(第1期、別巻1『少年漫画集』所収)の後を受け、小学館クリエイティブからも『汽車旅行』のオールカラー復刻が続いたことを知らされた。

火星探検 (透土社)汽車旅行

それらに付された様々な証言と資料によって、中村書店の戦前のマンガシリーズと大城のぼるの仕事が「日本SF史の方でも誇るべき作品」(小松左京)、「今のわれわれのやっている仕事に直接影響してきた、遠い母胎」「母なる大地」(松本零士)であり、「SFの原点」「子どもながら寝食を忘れるくらい研究」(手塚治虫)の対象だったことが明らかになった。

しかし残念なことに、いや、無い物ねだりというべきか、手塚がいうように、「のらくろ」シリーズ」などの講談社漫画と異なり、「中村漫画は裏通り」であったことも作用し、中村書店と二十数名いたとされるナカムラ・マンガ・ライブラリーの著者たちの全貌は明らかになっていない。だが大城の「作品目録」からそのマンガが中村書店の他に二葉書店、鈴木仁成堂、泰光堂、文林社、鶴書房、兎月書房などからも出されている事実を知ると、中村書店が一貫して、全国出版物卸商業協同組合に属することになる出版社とともに歩んできたことがわかる。これらのことから想像すれば、中村書店に集った多くのマンガ家たちもそれらの出版社とともにあったし、それが戦後の貸本マンガの世界へと継承されていったように思われる。

のらくろ のらくろ漫画集』

さて大城の『火星探検』のふたつの復刻であるが、カラーとモノクロの相違の他に、その再評価の意味として、あえて分ければ、二人の発見であるにしても、晶文社版が大城、透土社版は原作者の旭太郎=小熊秀雄に比重がおかれているといっていいだろう。岩波文庫『小熊秀雄詩集』も収録され、創樹社から『小熊秀雄全集』も刊行されているけれど、彼のプロフィルを提出しておくべきだと考えられるので、『増補改訂新潮日本文学辞典』の立項を要約してみる。さらに具体的な生涯は『日本近代文学大事典』中野重治による一ページ以上にわたる立項を参照されたい。
小熊秀雄詩集  増補改訂新潮日本文学辞典  日本近代文学大事典

小熊は明治三十四年北海道に生まれ、少年時代から職を転々とし、大正十一年に『旭川新聞』の記者となり、文芸欄などを担当し、詩や童話などを書く。昭和三年に上京し、業界紙で働き、六年からプロレタリア詩人会に参加し、その詩誌『詩精神』創刊に加わり、柔軟で不屈な精神を、豊富なイメージと独自の感受性とで息ながく歌うことに成功し、十年には『小熊秀雄詩集』を刊行している。昭和十五年に結核で病没。

これは小田切秀雄の立項によるが、もちろん中野の長文にしても、小熊が中村書店の顧問的立場で、旭太郎名義においてマンガ原作に携わっていたことはまったくふれられていない。しかし透土社に収録された「旭太郎(小熊秀雄)原作者の漫画目録(中村書店)」によれば、『火星探検』の他に、渡辺太刀雄『コドモ新聞社』、渡辺加三『不思議な国 印度の旅』、謝花凡太郎『勇士イリヤ』などの原作を担当している。

コドモ新聞社    (『不思議の国インドの旅・勇士イリヤ』、創風社版)

これらは小熊つね子夫人の「最晩年―小熊回想(5)」(『小熊秀雄全集』第五巻「月報」所収)に出てくる「四冊の漫画本」と見なしていいだろう。なおこの第五巻に『火星探検』の台本も収録されている。しかも小熊は中村書店主との激論後に亡くなっているのだ。夫人の回想を引く。

 小熊の最後の作品は、子供漫画の単行本のストーリー(中略)で、小熊は、子供漫画書店の顧問をしておりましたので、後からは自分も漫画のストーリーを書くようになっておりました。旭太郎というペンネームにして、漫画家の名前と旭太郎作と並べて四冊の漫画本が出来ました。小熊が外へ出られなくなったので、マンガ書店の若主人が来られました。
 書店主と小熊と印税のことで激論となり、(中略)店主が帰られた後、(中略)容体が急変し、(中略)朝五時に息を引き取りました。
 翌日、朝日新聞報道で、小熊の死を知り、書店主が飛んで来られ、小熊死後、漫画本の印税をたくさん度々戴きました。小熊の絵の遺作集の時にも、一度値段の高い絵を買って下さいました。私と子供の生涯を、小熊はまことに死を以って守ってくれました。

夫人の回想は遺された家族の生活が、中村書店からの印税などによって支えられたことを伝えている。プロレタリア詩人小熊とマンガ出版社中村書店の結びつき、大城のぼるを始めとするマンガ家たちとの関係の経緯と詳細はよくわからないが、昭和十年に第一詩集『小熊秀雄詩集』を刊行した耕進社などの出版社との関係、及び自ら命名した池袋モンパルナス、長崎アトリエ村の住人であったことに起因しているのではないだろうか。これらについては宇佐美承『池袋モンパルナス』集英社文庫)に詳しい。

コドモ新聞社

そういえば、本連載209でふれた本邦初の、矢野文夫による全訳ボードレールの『悪の華』も昭和九年に耕進社から出され、その後紙型の売買によって、金園社の前身金鈴社に移ったことは、既述しているとおりだ。これもまた詩人と特価本業界の関係を彷彿させる。

それゆえに、小熊に示された中村書店との関係は、特価本業界に関わった詩人のひとつの典型を提出していることになるのかもしれない。

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