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古本夜話291 謝花凡太郎『まんが忠臣蔵』と『勇士イリヤ』

近年になって小熊秀雄原作の漫画に関しては、創風社が『小熊秀雄詩集』『小熊秀雄童話集』に続いて『小熊秀雄漫画傑作集』全四巻を編み、大城のぼる以外の渡辺加三、謝花凡太郎、渡辺太刀雄の『不思議の国インドの旅・勇士イリヤ』『コドモ新聞社』『火打箱・しっかり者の錫の兵隊』『コドモ海洋丸』を復刻している。

小熊秀雄詩集  小熊秀雄童話集   コドモ新聞社  コドモ海洋丸

これらの創風社の出版に加えて、三一書房の『少年小説大系』の第1期別巻1『少年漫画集』と第2期別巻3、4『少年漫画傑作集(一)』『同(二)』も中村書店の大城のぼる、謝花凡太郎、芳賀たかし、新関青花の作品を収録している。だから『子どもの昭和史 昭和十年―二十年』(「別冊太陽」)に見られる、中村書店漫画のカラフルにして壮麗な世界の再現は無理だとしても、そこに盛りこまれていた戦前の漫画特有の地平をうかがうことができる。
『少年漫画集』 少年小説大系 別巻3 『少年漫画傑作集(一)』子どもの昭和史 昭和十年―二十年

それらの中村書店の漫画家たちはいずれも興味深い人々ではあるけれど、ここではその中でも最も謎に包まれた謝花凡太郎にふれてみよう。近年になって創風社で『勇士イリヤ』、『少年小説体系』別巻3で『まんが忠臣蔵』が復刻され、経歴等が一切不明とされる謎の漫画家の作品が読めるようになったからでもある。

それに謝花はヴェールに包まれた存在であったけれど、『日本児童文学大事典』においても立項されるに至っているので、まずはそれを省略せずに引いておく。

 謝花 凡太郎 しゃかぼんたろう 生没年不詳。漫画家。一九三〇年代から四〇年代にかけて、中村書店によって活躍した。中村書店は、大城のぼるの『愉快な探検隊』(三三)を皮切りに、六年間にわたって「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」六〇余冊を刊行している。そのうち二五冊までが謝花凡太郎の作品である。大城のぼるの作品が一〇冊だったところを見れば、謝花がいかにスター的描き手であったかが了解できる。『びつくり突進隊』(三三)が中村書店での処女作であり、『漫画のホームラン』(五〇)が最後である。これらの作品は、時局戦争漫画、探偵漫画(三五、『探偵タンちゃん』)、魔法ファンタジー漫画(三四、『魔法の昭ちゃん』)、講談漫画(三五、『まんが忠臣蔵』)、SF漫画(三七、『まんが発明探偵団』)など、多岐にわたっている。このころ、講談社系で仕事をしていた「のらくろ」の田河水泡らの影響か、動物の擬人漫画が主である。『とんまひん助』(三五)で徳川家康の「養生訓」を知った手塚治虫は、感動のあまり座右銘にしたという。馬場のぼるもその感動を共有している。期せずして二人の著名な漫画家が謝花の漫画によって動かされたわけである。謝花は中村書店のほか、「漫画少年」にも「魔法の杖」(五四)や「空とぶ怪物」(五五)を連載している。多くの作品を残しているにもかかわらず、経歴など一切不明であり、まぼろしの漫画家である。

復刻された『まんが忠臣蔵』や『勇士イリヤ』を読むと、前者は明らかに「のらくろ」シリーズ」田河水泡の影響を受けた絵柄と物語で、犬と猿が浅野と吉良に想定され、目次の言葉を借りれば、「忠犬」たちを中心とする「忠臣蔵」に仕立てられている。そのデッサン力とナンセンス的展開は、同じく田河の影響下に出発し、「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」の最初に刊行された大城のぼるの『愉快な探検隊』と共通するもので、大城と謝花がこのシリーズの顔であったことを考えると、講談社の漫画の流れが中村書店に引き継がれ、多くのマンガ家たちがそこに合流したこと、及び小熊のような原作者も絡んで、ひとつの突出した「マンガ王国」が特価本業界の中に出現するに至ったといえるかもしれない。

のらくろ のらくろ漫画集』

それはひょっとすると、近代出版史やマンガ史においても特筆すべき出来事であり、転回点だったようにも思われる。小熊は『不思議の国インドの旅・勇士イリヤ』の巻末に収録された「子供漫画論」の中で、それまでの特価本業界の「赤本漫画」の流通販売について、次のように述べていた。句読点はママとする。

 この種の粗悪絵本や漫画は、内容の吟味された高級子供出版物とは、全くちがったところに、出版業者の取引配布網があったということである、価格もまた五銭、十銭、二十銭程度のもので、長篇漫画で六、七十銭級という、現在は一円近い低廉なことが特長であった、これらの安漫画は、デパートの書籍部や、文学、哲学などの高級書籍を扱う書店には現われない、赤本の配本網は別のところである、二流、三流どころの本屋、古本屋、玩具店、最も大量に消化するのは、夜店商人であった、本屋もない地方によっては、雑貨店の一隅に、チリ紙の束の隣りに、或は黒砂糖の桶の隣りにならんで売られているという具合に、全く庶民的立場にある安価本として扱われてきた、(中略)赤本類は、出版物としてよりも、玩具形式として扱われてきたこと(中略)、この漫画本は、何かしら赤青を塗りたくった本、といった程度の、玩具としての認識より外には、出版業者がもたなかった。

現在の言葉でいう児童書やコミックは、明治や大正期ではなく、昭和戦前の段階においても、まだ大半はこのような出版状況と流通販売環境の中に置かれていたし、特価本業界はそれらと併走していたのである。このような小熊の述懐を見た後で、あらためて復刻された『火星探検』を含んだ巻末の「ナカムラ・絵叢書」の広告を確かめると、そこに「全国の書店及び百貨店の書籍部にあります」との注記がリアルに迫ってくる。
火星探検 (透土社)

おそらく「ナカムラ・マンガ・ライブラリー」から「ナカムラ・絵叢書」へと到る過程で、中村書店の「マンガ」は「絵叢書」として認められ、ステータスが上がるに至り、「全国の書店及び百貨店書籍部」に置かれるようになったのであろう。それは中村書店の顧問だった小熊のめざすところであり、彼は原作者としてもそれを実現したことになろう。

しかし「マンガ」から「絵叢書」へと移行することによって、謝花の絵柄は明らかに変化したと思われる。『勇士イリヤ』は原作者かもしれないが、「マンガ」というよりも「絵物語」に近づいていて、『まんが忠臣蔵』に横溢していたナンセンス性はまったく後退している。それは大城の『火星探検』とは対照的である。刊行は昭和十七年なので、同じ「ナカムラ・絵叢書」シリーズであることからしても、謝花の「マンガ」の文法が変化したことの表われかもしれない。謝花は前述の『日本児童文学大事典』の立項にもあるように、戦後も『漫画少年』に作品を発表していたが、絵柄も散漫で異なり、今ひとつ人気が出なかったと伝えられている。そうしてこれも大城のぼると異なり、消えていき、千葉在住以外のことは不明で漫画史の闇に包まれてしまったのではないだろうか。

なおこれも五年ほど前に書いたものだが、その後、彼の調査が進み、ウィキペディアに本名、経歴などが明らかにされるに至っている。

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