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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話309 駸々堂、坪内逍遥『当世書生気質』、『花道全書』

脇坂要太郎は『大阪出版六十年のあゆみ』において、明治二十年代後半の大阪の新しい文芸書出版の草分けは駸々堂と嵩山堂によって担われたと述べている。

その出版と書店を兼ねた駸々堂が破綻したのは今世紀を迎えた最初の年であり、それは出版危機の象徴的事件で、まだ記憶に新しい。駸々堂の出版物で最も懐かしいのは草森紳一『江戸のデザイン』(昭和四十七年)で、あの横尾忠則装丁の大部な一冊はその年の毎日出版文化賞を受賞したはずだ。

幸いなことに駸々堂に関しては、まさにサブタイトルにある「駸々堂の百年」として、駒敏郎による『心斎橋北詰』(上、昭和六十一年、下、平成九年)も出されているし、創業者の大淵渉も『出版人物事典』に立項されているので、まずはそれを引いておく。

(『心斎橋北詰』)出版人物事典

 [大淵渉 おおぶちわたる]一八五五−一九〇七(安政二〜明治四〇)駸々堂創業者。京都生れ。真宗派の僧侶になったが、僧籍を離れ一八八一年(昭和一四)京都に書肆駸々堂を開業。戯作文学書の出版販売をはじめ、八三年(明治一六)大阪心斎橋へ進出、坪内逍遥尾崎紅葉徳田秋声巌谷小波国木田独歩など明治文豪の作品や講談本、実用書、法律書などをつぎつぎに出版、関西出版社としての地盤を築く。八八年(明治二一)書店部を開設、関西の国鉄駅売店にも出店、また旅行案内部を設けて汽車時刻表、鉄道地図を発行、さらに文芸雑誌や日記類など幅広い出版を行った。

ここでは駸々堂の近代文芸書への道を開いた坪内逍遥の出版について補足しておく。坪内の『当世書生気質』『贋金つかひ』『松の内』を明治十九年、及び二十一年に刊行したことによって、尾崎紅葉『風流京人形』などの硯友社の小説出版へとつながっていくからだ。
当世書生気質 岩波文庫

その最初のきっかけとなった逍遥の『当世書生気質』だが、これは明治十八年から十九年にかけて、東京の晩青堂から十七巻の分冊形式で刊行され、ほるぷ出版から復刻されている。しかしその出版後、晩青堂は立ちいかなくなったようで、紙型を手離している。この事実に関しては拙稿「講談本と近世出版流通システム」(『古本探究』所収)で言及し、出版権を譲受した大川屋が二十年に刊行し、ロングセラーに至っていることを記しておいた。
古本探究
ところが駸々堂版は十九年十月の発行とされているので、大川屋版よりも早く出版権を入手したのか、それとも晩青堂が十九年三月に合本御届を出した際に、駸々堂もその権利を得て刊行したということなのであろうか。

これは未見であるけれども、『心斎橋北詰』上に朝日新聞の広告が掲載され、「全部合本」で「洋本」「一千部限り」、定価一円のところ「特別減価八十銭」などというキャッチコピーを目にすることができる。まだこの時代に近代出版社の雄であり、出版社・取次・書店という近代出版流通システムを推進させていく博文館は創業しておらず、この種の取引や版権譲受は、江戸以来の近世出版流通システムの慣習の内側で行なわれていたと考えられ、その実態は近世出版の端境期でもあり、定かに突き止め難い。

しかし東では大川屋、西では駸々堂が『当世書生気質』の出版権を得て刊行の運びとなったことは、駸々堂もその始まりにあって、地本絵草紙問屋、赤本業界、特価本業界とつながる環境の中に置かれていたと判断できよう。またこれまで本連載で既述してきたように、大阪の出版業界自体がその強い色彩に覆われていたのである。それは駸々堂の刊行した多くの実用書にも反映されているのではないだろうか。その出版物の全貌は明らかではないにしても、『心斎橋北詰』下の巻末には「年譜」が付され、明治十五年から平成六年における主たる出版物が掲載されている。

そこには見えていないが、前回田中宋栄堂の和本に言及しているので、続けて駸々堂の和本も取り上げてみよう。それは『花道全書』である。菊判和本の上中下三巻で、茶色の花柄をあしらった帙入りで、五百六十ページ余に及び、大正十年に発行されている。本扉には春秋庵薫甫著と記され、続いて著者とその挿花の口絵写真が掲載されているが、奥付のところの著者名は足立連逸とあるので、こちらは本名だと考えられる。内容については当然のことながら門外漢でしかないのだが、花道の歴史や流派から始まり、その哲学と技法、四季の花と草木、花道の諸器具、儀式会席、礼儀作法などに及び、確かに「全書」構成に仕上がっていることだけはわかる。

さらに目についたことをいくつか記せば、この種のものは他も同様だが、花道も秘伝密授とされ、これを披露したものはないとか、現在では茶道とともに花道が流行の極度に達し、共進会も催され、各女学校でも一科目として教授されているとかの言から推測するに、まだ出現していない花道のための定本テキストをねらっての出版企画のように思われる。それゆえに和本三巻本帙入りだったのではないだろうか。

そしてもうひとつ留意しなければならないのは、著作兼発行者が大淵浪、すなわち前回示したように、当時の大阪出版業界の二大女傑の一人であり、創業者大淵渉の死後、三代目を迎えていても依然として駸々堂のゴッドマザーで在り続けていたことになる。それに加え、「著作兼発行者」、及び駸々堂の「著作権所有」と謳われていることは、足立が著者の立場にあるにもかかわらず買切原稿で印税は生ぜず、さらに浪が花道と企画と著作に深く関わっていたことを意味しているのではないだろうか。印税が発生しないテキスト類のロングセラー化が出版社にいかに利益をもたらすかはいうまでもない。これらのことを考えると、浪が大阪出版業界の「女傑」と呼ばれた理由もわかるような気がする。

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