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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話319 共楽館『名人遺跡囲碁独案内』と丁未会出版部『囲碁定石集』

前回 吉田俊男の『奇美談碁』やその他の囲碁書にもふれたが、それこそ囲碁に関する出版物は実用書を一つの柱とする特価本業界の定番商品であり、明治時代から多くの刊行を見ていたと思われる。たまたまそのことを示す囲碁書を二冊入手したので、それを書いておきたい。

その一冊は二宮秀快先生見閲、永井忠敬先生編輯『名人遺跡囲碁独案内』で、私は囲碁を解さないし、理解が行き届かないかもしれないが、表紙には東京共楽館発行と謳われている。編者の「読言」として、次のような文章が置かれている。

 近頃囲碁ノ流行セル貴賎ノ別ナシ、是遊器ノ第一トモ賞スベキカ、又囲碁ノ書ニ於ケル、古ヘヨリ数巻ニシテ、悉ク名人上手ノ著セシ書ニ非ラザルハナシ、然レドモ皆区々ノ別有テ便ナラズ、余ハ囲碁ニ巧ナラザレドモ、常ニ一書ヲ以テ他ニ亘ルノ良書ナキヲ悱ム、(後略)

それゆえに古書を渉猟し、「秡抄(ママ)シテ一巻トナシ」たと述べ、二百に及ぶ「名人遺跡」の棋譜を編み、ここに一冊を送り出したことになる。

しかしここで注目しなければならないのは奥付表記である。初版は明治二十二年、同三十九年二十七版と記載され、編輯人は永井忠敬のままだが、発行人は青野友三郎、発行所は青野文魁堂となっていて、検印のところにも青野文魁堂の判が押されている。これは共楽館から青野文魁堂へと版権が移ったこと、すなわちこれが譲受出版だったことを物語っている。それとともに、この囲碁書が二十年近くにわたるロングセラーであり、しかも巻末の七点の囲碁書の掲載から判断すると、「囲碁ノ流行セル」は明治後半になって、さらに隆盛を迎えたようにも思われる。

もう一冊はその明治四十年のもので、こちらは和本仕立てであり、本扉には玄々斎編集『囲碁定石集』、丁未会出版部との表記がある。「意をのぶ」という序文にあたるところを読むと「書肆(ほんや)青藜閣の主人なる者来りて」云々と見えるので、最初はこの『囲碁定石集』が青藜閣という出版社から刊行されたとわかる。だがこれも奥付に至ると、発行所は丁未会出版部となっているけれど、編集兼発行者は酒井久三郎と記されている。これが本連載313でふれた酒井淡海堂であることはあらためていうまでもないだろう。

そして巻末には「大販売所」として十四の名前が掲載されている。これが主要な取次と書店だと見なしていいし、全国出版物卸商業協同組合の前身の、明治末期における東京地本彫画営業組合の流通と販売の配置図だと考えられるので、それらを住所も含め、リストアップしてみる。

* 日本橋区若松町 /湯浅春江堂
* 下谷区車坂町 /法令館支店
* 本郷区春木町 /菁莪堂
* 浅草区須賀 /吉田書店
* 本郷区春木町 /浅野書店
* 下谷区御徒士町 /河野書店
* 神田区多町 /日進堂
* 下谷区仲徒町 /得策堂
* 日本橋区蛎殻町 /磯部甲陽堂
* 本郷区菊坂町 /井上正確堂
* 本郷区根津須賀町 /土井成器閣
* 神田区裏神保町 /大屋書店
* 日本橋区矢ノ倉町 /板橋書店
* 日本橋区馬喰町 /酒井淡海堂

例えば、出版流通販売史をたどった清水文吉の『本は流れる』(日本エディタースクール出版部)のような著書であっても、このような出版の流通と販売に関しては語られていない。通常の出版史は明治四十年代が東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋、至誠堂、文林堂の七取次時代で、実業之日本社がそれまで買切だった雑誌に返品自由な委託制を導入した時期だと記しているが、それらは近代出版流通システムから見られた視点であって、『囲碁定石集』に記された近世出版流通システムと特価本業界がクロスした流通販売に関しては、まったく言及されていないといっていいだろう。

本は流れる

しかしこのようなリストにうかがわれるように、近代出版流通システムとは異なる、オルタナティヴな流通と販売が存在したことを忘れてはならないし、それは『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』が示しているように、戦後になっても存続し、それを揺籃の地として貸本マンガが生まれ、現在のコミックの隆盛を導くことになったのである。

それからもうひとつ忘れてならないのは、特価本業界が果たしてきた譲受出版の役割で、これは紙型を安く利用したいかがわしい出版のイメージが強いが、著作権や本のリサイクル、近代読者史の視点から見れば、重要な問題を孕んでいるように思える。

ここで取り上げた『名人遺跡囲碁独案内』にしても、『囲碁定石集』にしても、前者は共楽館、後者は青藜閣、丁未会出版部が元版で、それぞれ青野文魁堂と酒井淡海堂がその後を引き受けたことになる。青野文魁堂は『三十年の歩み』に登場してこないけれど、社名から考えても特価本業界の近傍にいたと思われる。

そして『名人遺跡囲碁独案内』に見られるように、ロングセラーとして長きにわたり、版が途絶えることなく、読者に届けられていたのである。この二冊は古典でも名著でもないし、ほとんど知られていない本に属するけれど、そのような生産、流通、販売があったことを忘れてはならないと思う。

なお青野友三郎については、最近出た稲岡勝監修『出版文化人物事典』(日外アソシエーツ)に立項があることを付記しておく。
出版文化人物事典

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