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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話379 交蘭社、荻原井泉水『俳句の新らしき味わい方』、『廣瀬平治郎』

俳書出版に関して、もう一編続けてみる。
本連載320において、特価本業界に属する香蘭社にふれた際に、もうひとつの同名の交蘭社にも言及するつもりだと書いておいたが、こちらの交蘭社は詩や俳句の出版社と考えていい。
交蘭社から出された俳句の本が二冊あるので、それらを例に挙げ、たどってみる。一冊は大正十三年刊の荻原井泉水『俳句の新らしき味ひ方』で、その「序」は次のように書き出されている。

 「俳句の新しき味ひ方」―斯ういふ題名を此書に与へた意味は、所謂俳句といふものを新しい見方から鑑賞するやう、而して新しい動機から制作に入るやうに、諸君にすゝめたいからである。
 私は初め「新しき俳句の味ひ方」といふ内容の本をまとめるやうに交蘭社の主人から希望された。私達の所謂「新しい俳句」といふものが兎角世間から難解なものと見なされ、しかも其を味索したく思ふ方が世間には少なくあるまいと主人は云はれる(後略)

これは少し説明が必要であろう。といって近代俳句史に通じているわけではないので、『俳諧大辞典』『日本近代文学大事典』を参照しての記述と了解されたい。
俳諧大辞典 日本近代文学大事典

明治末期に俳壇に自由律俳句を唱える新傾向運動が起きると、井泉水は碧梧桐たちと新傾向の俳誌『層雲』を発刊する。しかし大正元年から季題無用論を説き始め、碧梧桐は『層雲』を去り、井泉水が主宰するところとなり、「新しい俳句」を主張し、印象的象徴的な自由律俳句の運動を展開したとされる。

したがって『俳句の新らしき味ひ方』はタイトルだけでなく、「俳句とは」「新傾向運動の解説」「新傾向句の中より」「俳句は斯く進みゆく」といった内容からわかるように、井泉水の「自由律俳句運動」の啓蒙と解説を兼ねた一冊と見なせよう。それに併走した「交蘭社の主人」とは、奥付に発行者とある飯尾謙蔵である。彼もまた俳壇や『層雲』の近傍にいた人物だと思われる。

それからしばらく時代が飛んでしまうのだが、交蘭社絡みの変わった本を入手している。それは昭和十六年に刊行された『廣瀬平治郎』上下である。これは夫婦箱入りの二冊の和本で、上が発行所を日本棋院とする棋譜、下が発行所を交蘭社とする俳句となっている。上に付せられた廣瀬の「小伝」などによれば、彼は慶応六年岡山県美作国に生まれ、大阪遊学の後、二十歳で上京し、農商務省に勤め、囲碁の世界に身を投じ、方圓社に加わる。明治二十五年に専門棋士となり、三十三年より囲碁新報、囲碁初学新報の編集に携わり、大正九年方円(ママ)社長に推され、日本棋院の創設に尽力する。七段、日本棋院名誉棋士。「終生清貧に安んじ、虚言せず迎合せず、時に雅懐を俳諧に寄せ」、俳句は老後の趣味とされる。

これで上の棋譜が日本棋院、下の俳句が交蘭社と上下本ながら、出版社が異なる事情についての説明がつく。いずれも編纂者とある廣瀬の長男則之の下の「後記」から、一周忌に当たって、「父の在りし日を偲ぶ料」として自費出版したとわかる。俳句の師は柳原極堂、鹿間松涛樓とあり、属していた俳誌名の記載はないが、それらのルートを通じて、交蘭社が下の俳句集の出版を引き受けたと推測される。

そこにたまたま「交蘭社発行目録」がはさまれ、それは三十冊以上の俳句書が主となっていて、交蘭社が紛れもなく俳句書を柱とする出版社であることが伝わってくる。しかももはや井泉水の著作は見当たらないにしても、前回挙げた臼田亜浪『定本句集旅人』や吉田冬葉『俳句の作り方と味ひ方』などもあり、鹿間松涛樓の『古今百句百局』も見つかる。やはり師の鹿間を通じて、交蘭社とつながったことになるのだろう。

井泉水の『俳句の新らしき味ひ方』の刊行が大正十三年だったので、それから二十年近く経ったことになるが、交蘭社は住所こそ神田区南神保町から小石川区大曲りに変わったものの、発行者の飯尾謙蔵は健在で、円本時代もくぐり抜け、よくぞサバイバルしてきたと拍手を送りたくなる。

俳句書出版の明解な系譜は描けないけれど、明治三十四年刊の牧野塑束、星野麦人共著『俳諧年表』(博文館)の巻末広告によれば、この時代に芭蕉から始まる「俳諧文庫」全二十四巻を始めとする俳句書が出され、とりわけ「俳諧文庫」はその研究が本格化する機縁をもたらした画期的出版だったようだ。それに円本時代に、既述した『日本俳書大系』(春秋社)、『俳文学大系』(大鳳閣書房)、『子規全集』『分類俳句全集』(いずれもアルス)、年度版『年刊俳句集』の刊行が続き、それらとパラレルに多くの新しい俳誌が、大正から昭和にかけて創刊されている。

分類俳句全集

それらの出版と俳誌の創刊は、新しい俳句をめぐる運動と展開に寄り添っていて、『廣瀬平治郎』の例に見られるように、句集の自費出版市場も形成されていった。そうしたことも相乗し、交蘭社は長きにわたって俳句書出版社として存続してきたように思われる。

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