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古本夜話410 山路閑古と『茨の垣』

まずは入手した関係から『四畳半襖の下張り』に連なるポルノグラフィを挙げてみる。

本連載85で取り上げた日輪閣の『秘籍 江戸文学選』の監修者にして校注者の山路閑古は、ポルノグラフィ出版人脈の中にあっても、共立女子大教授の肩書ゆえか、岩波新書の『古川柳』や筑摩叢書の『古川柳名句選』が出され、小出版社に集った人々が多い中ではよく知られているほうだろう。

古川柳 古川柳名句選 (ちくま文庫版)

『古川柳』の奥付経歴を見ると、一九〇〇年静岡市生まれ、二五年東京帝大理学部卒業、川柳を阿井久良伎、俳句を高浜虚子、俳諧を根津芦丈に学ぶとある。また『古川柳』の記述によれば、以前に『古川柳』と題する雑誌も自ら刊行していたようだ。

山路による「古川柳」の定義を示しておくと、これは江戸中期の雑俳前句付の点者の柄井川柳によって創始されたもので、俳句と同じ十七音字の詩だが、季題の制約はなく、「や」「かな」といった切れ字もつかわず、自由自在、奔放無比の詩である。それゆえに「古川柳」はリズムを持つ十七字詩、最短の詩歌で、落書風の風刺、即興の洒落のようにも見られ、その大部分の作者の名は伝わっていない。また「古川柳」は江戸文学の一部を形成し、柄井の選に残った約八万の十七字詩を中心とする古典文学で、それらは岩波文庫の『誹風 柳多留』全五巻などに収録されている。「古川柳」のうちの『誹風末摘花』は恋句のために天保改革で淫書として弾圧され、明治以後も禁書とされていたが、昭和二十五年東京地裁で無罪判決が下され、ようやく発禁の厄が解かれるに至っている。
誹風 柳多留 誹風末摘花 『新註 誹風末摘花』

さて「古川柳」のことが長くなってしまったが、山路閑古のことに戻らなければならない。この山路が『発禁本』(「別冊太陽」)で「幻の趣味人・山路閑古」として立項され、『茨の垣』『糸遊』『風流賢愚経』などのポルノグラフィの著者だったと書かれている。それは昭和五十七年七十七歳で没し、九年目になって明かされた事実で、本名は萩原時夫とも記されている。どのようにして仮面を解かれたのかは不明だが、出版時に共立女子大教授だったことは表沙汰にならなかったようだ。
発禁本留 茨の垣

本連載80でも『赤い帽子の女』の辰野隆説を紹介したし、SM小説の千草忠夫が高校教師のかたわらで、『千草忠夫選集』全二巻(KKベストセラーズ)に結実する膨大な量の作品を書いたことを指摘しておいた。大学教授でも同様な試みを続けていた人物がいたのだ。その一冊を入手し、読んでみた。それは昭和二十九年に岡田甫を編者とし、発行所は貴重文献保存会、発売所を美和書院とする『茨の垣』で、限定五百部、「予約会員にのみ頒布」と明記され、頒価は千円となっていた。夫婦箱入り菊判で、造本はフランス式アンカット、すべてに挿絵の入った二百ページ余、おまけに別送されたと推測できる別刷の伏字一覧も貼りこまれ、完本に仕上がった一冊だった。

赤い帽子の女

幸いにして貴重文献保存会の投げこみ「特別限定版『紅鶴版』案内」と題する目録がそのまま残され、『茨の垣』の紹介があり、これは近年岡田甫が発見に至ったもので、「昭和風俗文学の最大傑作」とのオマージュ、及び次のような説明がなされていた。

 内容は著者の自叙伝風に書かれた創作と目され、行文の流麗、場面の波瀾、艶色、その面白さは他に類を思ざるもので、作者については、現在の一流文人とも言われ、又さる大学教授とも伝えられている。
 昭和風俗文学の後世に輝く金字塔にして、ここに紹介し得たことをよろこぶものです。

『茨の垣』は「小学校に入る前、七つの年に彼は母を失つた。/父はやがて年若い後添を迎えたが、その後添の来るまで、はまといふ年久しく使はれてゐた女中が、当分の間母親替わりに面倒を見て呉れた」という書き出しから察せられるように、「彼」の「ヴィタ・セクスアリス」を描いた「風俗文学」=ポルノグラフィである。しかし達者な筆力、巧みな構成、サディズム、マゾヒズムも含めた衒学的記述、古墳の中での性交といった効果的場面設定、実験的手法の導入などから考えて、凡百のポルノグラフィの水準をはるかに超える作品だと一読して判断するしかない。

確かに山路閑古らしい川柳への言及もあり、「無くて困る、あつて困る、まらならぬ浮世だ。ははは……」といった言葉は『誹風末摘花』を彷彿させる。また「彼」が義母と関係したことで生れた家を去る場面に、『源氏物語』の「須磨の巻」の光源氏と女君の別れ部分が長く挿入されたりもしている。

だが最も圧巻なのは義母のモノローグからなる第六話で、それは九ページにわたる全章がすべて平仮名で構成され、次のように始まっている。

 「それはねえ……さあちゃん、こんやはあんたにおはなししておくよ。なんによのまちがひは、しらないことからおこることがおほいから、なんでもしつておくほうがためになる。さうして、なにごともじぶんでよくふんべつして、けつしてあかるみにだしてはいけない……」

これはすぐにジョイスの『ユリシーズ』の最終章における、マリオン夫人の内的独白を想起させるし、明らかにその手法を導入し、それまでの日本の「風俗文学」=ポルノグラフィを異化させる試みとなっている。

ユリシーズ

それに何よりもこの書き出しは、一人の女性による性の告白といった体裁をとりながらも、匿名でこのような書物を著わす作者の決意を表明しているのではないかと思えてくる。「なにごともじぶんでよくふんべつして、けつしてあかるみにだしてはいけない」という決意である。

同じ作者によるものと見なされ、高浜虚子や日夏耿之介も賛嘆をしたと伝えられる『風流賢愚経』も読んでみたいと思う。これも同じ作者とされる『僧房夢』は作者不詳として、河出i文庫に収録されている。

僧房夢

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