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古本夜話412 西原柳雨、岡田甫編『定本誹風末摘花』、有光書房

たまたま古本屋に、前回ふれた岡田甫の川柳関連書などが六冊ほど出されているのを見つけ、いずれも古書価は安かったので、まとめて購入してきた。

それらの書名、出版社、刊行年を記せば、次のようになる。岡田のものは

『定本誹風末摘花』 (第一出版社、昭和二十七年)
『川柳末摘花詳釈』上下 (有光書房、同三十年)
『古川柳艶句選』 (有光書房、同三十二年)
『柳の葉末全釈』 (有光書房、同三十一年)

で、それらに加え、西原柳雨の『川柳年中行事』(春陽堂、昭和三年)もあった。おそらく川柳に親しんでいた前の所有者が亡くなり、処分され、古本屋に並ぶことになったのであろう。

まず先に西原にふれれば、昭和初期円本時代に彼は春陽堂から同書を始めとする川柳研究書を五、六冊刊行している。平凡社『日本人名大事典』によると、西原は古川柳の分類研究によって名高いが、昭和五年に没している。おそらく彼は、本連載321でふれた岡田三面子と並んで古川柳研究の先駆者の一人であろうし、それを受けて岡田たちの研究も成立していると思われる。

ただここではとりあえず、第一出版社の『定本誹風末摘花』から始めてみる。その前に付記しておくと、第一出版社に関しては本連載11、岡田甫については同84で、すでに取り上げているし、岡田が梅原北明や竹内道之助の出版人脈に連なる一人であり、戦後に早稲田グランド坂上でオランダ書店という古本屋を開業していたことも紹介しておいた。

前回、昭和二十三年に葛城前鬼=松川健文と柳田良一=岡田の校注共著『新註 誹風末摘花』がロゴス社から出され、発禁処分となったが、二十五年に裁判で無罪判決を受けたことにふれた。その事実から推定されるように、この岡田編『定本誹風末摘花』は江戸時代から戦前にかけて、ずっと禁書扱いされてきた同書の定本を目論んで編まれている。
誹風末摘花 『新註 誹風末摘花』

岡田はその序において、次のような説明を述べている。古川柳が江戸風俗研究に関して絶大な価値があると認め、それらを初めて学の対象としたのは、私も既述した岡田三面子で、『誹風柳多留』『川柳評万句合』の収集や研究にまで及んだ。岡田の没後、その研究を継承したのは島根大学(旧松江高校)の水木真弓教授だった。それは岩波文庫の『誹風柳多留』全五巻刊行となって結実する。周到なテキストクリティックを施した岩波文庫版は「水木本柳留多」と称すべきもので、これと同じ「水木本末摘花」の出現と活字化が、水木と研究者たちの悲願でもあった。その後まもなく水木は亡くなったが、岡田は彼と書信の往復を交わすうちに、それが累積し、「水木本末摘花」ノートが出来上がっていたので、「特志な出版社の賛同を得て、少部数ながら」刊行に至ったと書き、続けている。

誹風柳多留 (岩波文庫)

 古典の翻刻校訂ほど難しいものはないと、さうした仕事に携はれば携はるほど、しみじみと痛感するのであるが、目下店頭に出てゐるロゴス社版の、いわゆる「東都本」と称せられる末摘花の本文校訂に曾て関与したことのある編者は、不備で粗漏な点の多かつた同書を見る毎に、内心大いに忸怩たるもののあるを禁じ得ない。

それゆえに「水木本末摘花」という「最も完備した定本」を遺したいと考え、ここに編まれたことになる。西原柳雨の名前が挙げられていないことに淋しい思いを覚えるけれども、これらの岡田の「序」の行間、及び出版社と編集人脈の献身的姿勢から、この出版が岩波文庫と変わらない仕事であることを伝えようとする意気込みすらも感じられるし、それは「凡例」「末摘花用語辞典」「同全句索引」など十全に示されている。とりわけ「同用語辞典」には興味深い言葉、教えられる言葉が見出される。

例えば、本連載409で「三谷堀―お千代船より」という芸者の思い出話のことに少しばかりふれているのだが、この「お千代船」とは「水上淫売の舟饅頭の異称。ぽちゃぽちゃのお千代という有名な女がゐたため、舟饅頭の舟をお千代船ともいつた」とあり、「三谷堀―お千代船より」のタイトルそのものが淫売の告白といった意味を浮かび上がらせているとわかる。このような特殊な言葉は、「同用語辞典」でしか出会えないのではないだろうか。

この「お千代船」を追って、前掲の有光書房の『川柳末摘花詳釈』を見てみると、平賀源内に『阿千代伝』という作品があり、それを筆頭に「お千代船」を詠んだ川柳が二十句ほど挙げられている。そして江戸のある一時期に、「お千代船」が三十二文の水上淫売の代名詞であったことを知るのである。

また同書の奥付にはめずらしく「著者略歴」が記され、「明治三十八年東京生。本名千葉治。早大にて国文学漢文学専攻。川柳、江戸風俗史研究。教職、出版社編集部長を経て、近世庶民文化研究所長」となっている。

この近世庶民文化研究所はリトルマガジン『近世庶民文化』を発行し、そこには川柳研究家の岡楽虚子、高橋痩蛙、橘曹莎庵、田中蘭子、濱田桐舎、廣田魔山人、母袋未知庵、山澤碌々、山崎萩風、山路閑古たちが集っていたようだ。この雑誌の書影は『発禁本3』(「別冊太陽」)に収録がある。
発禁本3

そしてまた、これも前掲の『古川柳艶句選』の奥付裏の巻末広告によれば、『定本誹風末摘花』も第一出版社から有光書房へと移されたようで、昭和三十年前後において、梅原北明の盟友で、本連載16などでも言及しておいた坂本篤の有光書房が、『誹風末摘花』を始めとする古川柳研究の出版のメッカとなっていたとわかる。それらは昭和戦前から三十年以上にわたるポルノグラフィ出版の持続する系譜と人脈を示しているといえよう。

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