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古本夜話447 荒城季夫と太田三郎

本連載13「前田静秋・西幹之助共訳『アフロディト』と紫書房」のところで、「世界奇書異聞類聚」の『アフロディト』の訳者の太田三郎と荒城季夫のことに少しだけふれておいた。
アフロディト

その後、荒城に関してはその著書『古代美と近代美』(青磁社、昭和十七年)を入手し、彼が大正十四年に創刊された月刊美術誌『日仏芸術』の編集者で、フランス近代美術を専攻する評論家だと判明した。この本にはピエール・ルイスの名前は出てきたが、『アフロディト』への言及はなかった。それでもポール・セザンヌを論じた一章は最も長く、ゾラの『制作』を中心にしてゾラとセザンヌの関係を詳細に述べ、力のこもった一文だと思われた。
制作

また太田三郎についても、本連載357で、『瓜哇の古代芸術』(崇文堂)を著した画家として紹介しておいた。その太田が前回挙げた岩佐東一郎の『書痴半代記』の「『鐘情夜話』のこと」と題する一章に出てくるので、重複するところも生じてしまうけれど、もう一度太田にふれてみる。『鐘情夜話』は岩佐の若かりし頃の愛読書で、大正七年に富田文陽堂から出された太田の抒情物語集である。岩佐がその本を古本屋で入手し、『日本古書通信』に書いたところ、太田から手紙とともに新著『女』(黎明書房、昭和三十五年再版)が送られてきて、それで経歴不詳の太田のことが判明したと書き、巻末の著書略歴を引用している。それを抽出すれば、明治十七年名古屋生まれ、十九歳にて上京し、『日本近代文学大事典』ではまったく省かれていたフランス語をジ・コットに学び、第一次世界大戦後、フランスに留学との記載があるので、ようやく太田が他ならぬ『アフロディト』の訳者となった経緯と事情を知ったことになる。
書痴半代記 日本近代文学大事典
そこで私も「日本の古本屋」で、『女』を入手し、読んでみた。この『女』は多くの写真、絵画、錦絵を配し、古今の日本、ヨーロッパを問わない多様な文化史を博捜し、女性の肉体についてのパノラマ的一冊を形成していて、年季の入った通人のエッセイ、それこそ集古会の人々の随筆のような趣きを感じさせてくれる。そしてアフロディットについての言及もいくつもあり、その一箇所は次のようなものだ。

 むかしの上層階級の女性たちが、自分の肉体のすべての部分に渉る美しさを、ありのままに露わに画家や彫刻家に写させる傾向は、しかし西洋にあっていっそう著しかった。ピピエール・ルイの「アフロディット」の中に、末期の埃及女王が一彫刻家に自分の全裸像を作らさせるシーンがあって、
 ―さあ、大理石と鑿を取って、私の姿を国中の人たちに広く見せてやっておくれ。私は美しさをみんなに拝ましてやりたい。と女王が云っておる(後略)。

この女王の発言の部分を太田三郎・荒城季夫訳と比較してみる。

 「さあ、大理石と鑿を取つて、私の姿をエジプトのものたちに広く見せてやつて下さい。私は私の姿をみんなに拝してやりたいから」

両者の訳文がほとんど同じだとわかる。それゆえに荒城よりも太田のほうが「世界奇書異聞類聚」版の『アフロディト』の主たる訳者だとここで断言してかまわないだろう。

それならば、本連載13の紫書房版の前田静秋・西幹之助訳はどうなっているのだろうか。それも引いてみる。

 「大理石(いし)と鑿でこの姿をエジプトの者共に示すがよい。妾(わらわ)の姿に人々の嘆美があつまるように。」

紫書房版も共訳ということから、「世界奇書異聞類聚」版の焼き直しではないかという疑念もあったが、この訳文からわかるように、後者はまったくの新訳で、しかも前者よりもかなり手のこんだ優れた訳に仕上がっている。後者の荒城と太田のプロフィルはつかめたのだが、しかし依然として、紫書房の二人の訳者はどのような人物なのか不明である。

それから太田三郎の名古屋生まれで、戦後は愛知県美術館長、南山大学教授という略歴を見ると、同じく名古屋出身で、梅原北明の盟友だった酒井潔を思い浮かべてしまう。この二人だけでなく、文芸市場社から『ナポリの秘密博物館』なる訳書を刊行した羽塚隆成は、同じく名古屋の文人にして僧侶だった。彼らは梅原出版グループの名古屋人脈を形成していたように思われる。

また画家にしてフランス遊学という視点から見れば、『えほん聊斎志異』(大法輪閣)などの著書がある峰岸義一も太田と同様であるし、羽塚のような僧侶といえば、『小生夢坊随筆集』(八光流全国師範会)を残している小生夢坊といった人物も、梅原北明人脈に異彩を添えていたメンバーだった。

プロレタリア雑誌『文芸市場』から始まった昭和艶本時代は驚くほど多くの異能の人々を巻きこみながら撹拌し、様々な出版物として表出していったように思われる。

なおその後、前田静秋がボードレールに傾倒していた詩人であるとのブログを見つけたので、よろしければ、そちらも参照されたい。

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