出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話523 田村栄太郎と雄山閣「生活史叢書」

これもしばらく後のところでと考えていたのだが、注目すべき何人かが揃って登場していることもあり、やはりここで書いておこう。

『雄山閣八十年』はそれに寄せられた「雄山閣八十年を祝って」という祝辞の三十数名の顔ぶれからすると、大半が大学教授で占められ、雄山閣が歴史アカデミズムに近い出版社のように映るし、実際にこの社史もそのような色彩に沿う編集からなっている。

しかし雄山閣の本領は円本時代の「日本風俗史講座」の企画とその成功に象徴されているように、「歴史知識の啓蒙化、大衆化」にあるといっていいし、私の場合、雄山閣の出版物で最も記憶に残るものはと問われれば、すぐに「生活史叢書」と答えるであろう。これは昭和三十七年に進士慶幹『武士の生活』から始まり、五十八年の西村恵信『禅僧の生活』まで三十二冊が出されている。
武士の生活

『雄山閣八十年』も「『生活史叢書』の誕生」という一章を設け、初めはそのタイトルを付しておらず、昭和三十九年の四冊目の田村栄太郎『やくざの生活』からだと述べ、つぎのように記している。
やくざの生活

「生活史」という呼称は、当時としてはかなりめずらしかったように思われる。風俗史から生活史へ、という広がりも雄山閣の伝統がもたらしたものだろう。そして何よりも特筆すべきは、上級の身分者よりも、むしろ庶民階層の生活を掘り起こそうとしたことにある。しかし庶民階層の資料は必ずしも多くはないし、大学関係にも研究者は少ない。したがって執筆陣も大学の研究者から在野の史学者まで多岐にわたっている。

本連載28でも、添田知道『香具師の生活』 同404でも「生活史叢書」には加えられていないが、それに類する古河三樹『見世物の歴史』に言及してきた。添田や古河こそは「雄山閣の伝統がもたらした」「在野の史学者」に他ならないし、実際にそうしたブレインが雄山閣を支えていたようなのだ。それらは前回挙げた淡路書房関係者や同成社の岡崎元哉以外に、白山通りの古本屋山崎一夫、『見世物の歴史』の古河三樹、「生活史叢書」の著者の中野栄三や田村栄太郎である。
見世物の歴史

また戦後の「出版図書目録」を見ていると、昭和三十六年から七年にかけて、鮎川哲也『青い密室』や土屋隆夫『天狗の面』といったB6判ミステリー、あるいは角田喜久雄『東京埋蔵金考』も出され、後に角田の同書は中公文庫に収録されたが、元版は雄山閣からの刊行だったとわかる。これらの出版は先の岡崎が企画した「YZミステリー」シリーズと見なせるが、社史は雄山閣の新分野を画するには至らなかったと述べている。

そうしたブレインの中でも、とりわけ田村が雄山閣と密接な関係を保っていたと思われるし、昭和三十五、六年には『田村栄太郎著作集』全七巻、三十九年から『江戸東京風俗地理』全四巻も出され、その他にも「生活史叢書」の『江戸時代町人の生活』などの十冊近い単行本が刊行されている。
江戸時代町人の生活

田村は在野の研究者とされるが、幸いなことに、それぞれジャンルが異なる『「現代日本」朝日人物事典』『日本近代文学大事典』『近代日本社会運動史人物大事典』にも立項を見出せるので、『「現代日本」朝日人物事典』を引いてみる。
「現代日本」朝日人物事典

 田村栄太郎 たむら・えいたろう 1893・9・25〜1969・11・29
 在野の日本史家。群馬県生まれ。高崎商業卒業後、家業の人力車宿・履物商に従事し、かたわら農民運動に参加。1923(大12)年群馬共産党事件で禁固刑をうけた。出獄後、近世を主対象に歴史研究を始め、農民運動史、交通史、郷土史、人物史、生活・風俗史、技術・工業史などの資料を広く収集した。29(昭4)年東京に移り、『都新聞』のコラム欄を担当、『歴史科学』にも論文を発表。服部之総のすすめで唯物論研究会にも入会したが、その史観は下層の人間が歴史の原動力というもので、社会的平等の視点から通説を批判し、徹底した在野の生活をつらぬいた。敗戦後は天皇制批判の立場から古代史研究にも、情熱を燃やした。『日本農民一揆録』(30年)はほか著書多数。

これに少しばかり補足しておけば、『日本農民一揆録』は本連載213でふれた南蛮書房から出されているし、これも同478で取り上げておいたが、昭和九年に日本プロレタリア作家同盟(ナルプ)が解散した後、貴司山治が実録文学研究会を発足させ、雑誌『実録文学』を創刊している。その同人は木村毅、笹本寅、海音寺潮五郎、植村清二などで、それに田村も加わっていたのである。

昭和三十三年の「講座日本風俗史」全十二巻の刊行をきっかけにして、田村を始めとする在野の歴史家たちが雄山閣と結びつき、それが企画を活性化させ、「生活史叢書」に端を発すると思われる「歴史物語叢書」「物語歴史文庫」「風俗文化史選書」「近代日本風俗史」へとつながっていったと見ていい。しかし田村を始めとするブレインが鬼籍に入り、社史に見られるように、次第に雄山閣がアカデミズムへと接近していく過程で、出版物の魅力は失われていったのではないだろうか。

そのことを記す意味もこめて、煩をいとわず、「生活史叢書」のラインナップを掲げておこう。

1 進士慶幹 『江戸時代武士の生活』
2 山口正之 『忍者の生活』
3 添田知道 『香具師の生活』
4 田村栄太郎 『やくざの生活』
5 寺島荘二 『江戸時代御目付の生活』
6 中野栄三 『遊女の生活』
7 高柳金芳 『大奥の生活』
8 芳賀登 『幕末志士の生活』
9 横倉辰治 『与力・同心・目明しの生活』
10 加賀樹芝朗 『元禄下級武士の生活』
11 田村栄太郎 『江戸時代町人の生活』
12 高柳金芳 『御家人の生活』
13 内山惣十郎 『浅草オペラの生活』
14 添田知道 『演歌師の生活』
15 中野栄三 『廓の生活』
16 福永酔剣 『刀鍛冶の生活』
17 笠間良彦 『足軽の生活』
18 安斎実 『砲術家の生活』
19 塚原美村 『行商人の生活』
20 大隅三好 『江戸時代流人の生活』
21 高柳金芳 『江戸時代非人の生活』
22 内山惣十郎 『落語家の生活』
23 中沢正 『庖丁人の生活』
24 高柳金芳 『江戸時代部落民の生活』
25 村松駿吉 『旅芝居の生活』
26 今川徳三 『江戸時代無宿人の生活』
27 塚原美村 『金銀細工師の生活』
28 岡忠郎 『明治時代警察官の生活』
29 内山惣十郎 『浪曲家の生活』
30 石岡久夫 『兵法者の生活』
31 藤井宗哲 『たいこもち(幇間)の生活』
32 西村恵信 『禅僧の生活』
[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら