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古本夜話557 『大正文学全集』を夢見る

これは本連載170でもふれていることだが、大正文学や思想を考察する上で、筑摩書房から出るはずだった『大正文学全集』が未刊に終わったことは本当に残念至極というしかない。同じく筑摩書房の『明治文学全集』を抜きにしては、もはや明治文学や思想を語れないように、『大正文学全集』が出現していれば、おそらく近代文学の生産、流通、販売を含めた出版業界との関係、昭和円本時代を用意した出版の隆盛と多様性、それこそ近代文学研究者の山本芳明が明らかにした『カネと文学』(新潮選書)の問題なども、さらに広範に探究を可能にしたと思われる。
明治文学全集 カネと文学

確かに山本も編集委員となっている『編年体大正文学全集』(ゆまに書房)が刊行されたことも承知しているが、「編年体」と大正年の巻数による全集でははっきりいって物足りず、大正時代のそれらの問題に肉迫するツールと見なせないのである。そうした状況から考えて、自ら『大正文学全集』を手がけることも夢想したが、資金や編集のこともさることながら、研究者の全面的協力や支援が不可欠であり、小出版社が実現できる企画としては荷が重すぎた。それに加えて、近年の危機に追いやられている出版状況の中ではとても無理だと断念するしかなかった。
編年体大正文学全集

しかも最近になって、小学館の『昭和文学全集』の元編集者から、その完結後に続けて『大正文学全集』の企画も挙がっていたが、前者ですら多大の経費がかかり、独立採算ではとても無理だったことから、後者の企画は通らなかったという話を聞いた。筑摩書房の『大正文学全集』企画は八〇年代に『明治文学全集』の続編として構想されたものであった。それは造本と体裁も、定価と発行部数も『明治文学全集』に準ずるものとされていたが、筑摩書房は倒産後でもあったために、全五十巻に及ぶ『大正文学全集』の刊行は実現に至らなかったのである。
昭和文学全集

そのような事情と経緯もあって、筑摩書房の『大正文学全集』プランは他の文芸出版社でも検討されたはずだし、小学館もそうだったと考えられる。実際に私にしても、それを入手していることからすれば、いくつかの出版社にもちこまれていたことは確実であろう。それをふまえて、ここにその五十巻に及ぶラインナップを示してみる。ただし、その内容と作品、アンソロジーの作家、著者明細などは省く。

1 夏目漱石集
2 武者小路実篤集
3 志賀直哉集
4 里見紝・長與善朗集
5 有島武郎集
6 鈴木三重吉・内田百輭・中 勘助・瀧井孝作集
7 寺田寅彦・阿部次郎・安倍能成・小宮豊隆・和辻哲郎集
8 大杉 栄集
9 堺 利彦・荒畑寒村・山川 均集
10 青鞜社文学集
11 吉野作造・河上 肇・長谷川如是閑集
12 大正言論・教育論集
13 森鷗外・幸田露伴集
14 永井荷風集
15 泉鏡花・水上瀧太郎・久保田万次郎集
16 谷崎潤一郎集
17 佐藤春夫・室生犀星集
18 田山花袋・徳田秋聲集
19 島崎藤村集
20 岩野泡鳴・近松秋江・小川未明集
21 正宗白鳥・廣津和郎集
22 宇野浩二・葛西善蔵・牧野信一集
23 相馬泰三・加能作次郎・吉田紘二郎・谷崎精二・中戸川吉二集
24 徳富蘆花・賀川豊彦・倉田百三集
25 柳田国男・柳 宗悦・折口信夫・(南方熊楠)集
26 芥川龍之介集
27 菊池 寛・久米正雄・豊島與志雄集
28 山本有三・小山内 薫・岸田国士集
29 野上弥生子・中條百合子・宇野千代集
30 大正女流文学集
31 大正労働文学集
32 初期プロレタリア文学集
33 新感覚派文学集
34 武林無想庵・辻 潤・石川三四郎・稲垣足穂・宮武外骨集
35 生田長江・厨川白村・土田杏村・茅原華山集
36 大正藝術・文学論集
37 高村光太郎・萩原朔太郎集
38 山村暮鳥・宮沢賢治・野口米次郎・日夏耿之介・佐藤惣之助・堀口大學集
39 大正詩人集
40 齋藤茂吉・島木赤彦集
41 北原白秋・前田夕暮・若山牧水・木下利玄・古泉千堅・中村憲吉集
42 大正歌人集
43 高濱虚子・河東碧梧桐・荻原井泉水集
44 大正俳人集
45 大正戯曲集
46 大正哲学思想集
47 大正宗教文学集
48 大正児童文学集
49 大正大衆文学集
50 大正記録文学集
   (大正文学回顧録集)

これをここで公開したのは、すでに三十年も前のもので、筑摩書房が断念した企画であり、もはやそのリークや流失と考えられないし、未刊の検討すべき出版プランに位置づけていいように思われるからだ。

それだけでなく、実は個人でこの『大正文学全集』を編んでみようと考えているのである。例えば、1の『夏目漱石集』の内容は『行人』『こころ』『道草』『明暗』『私の個人主義』『硝子戸の中』からなっている。最も理想的なのは大正時代に刊行された原本を揃えることだが、それには時間とお金を必要とするので、近代文学館の復刻を利用するか、もしくは手軽に文庫本を揃えてもいい。そうすれば、『大正文学全集』の『夏目漱石集』の本編の内容は満たされるし、これに荒正人の『漱石研究年表』を加えると、「年表」も備わることになる。

行人 こころ 道草 明暗 私の個人主義 硝子戸の中

もちろんこれは漱石であるゆえに、ほとんど手間暇をかけずにできるし、作家中心の巻もそれほど難しくないだろう。しかしそうではないアンソロジーは揃えることに時間がかかるのではないかと思う。六十半ばという自分の年齢のことを考えると、それを完結できるかどうかとの疑念も生じるけれど、そのようにして編んだ『大正文学全集』を読んでみたいというお誘惑が脳裏を去らないのである。

もし本気で始めようとするならば、当初は文庫などで代行したにしても、いずれは大正時代の原本を入手したくなるであろうし、そうするとこれからの古書業界の行方も気にかかってくる。結局のところ、あまり気負うことなく、揃えることが難しくない巻から試していくしかないという心境にあると、まずは記しておこう。

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