前回、及び本連載565でふれた岩崎徹太の慶応書房も、バジーリイ『ソヴエート・ロシア』(岡田篤郎訳)、リヤシチェンコ『ロシヤ経済史』(東健太郎訳)といった左翼出版物を刊行するかたわらで、多くのドイツ関連書も出している。
それらを後者の巻末出版広告から拾ってみる。H・シャハト『ナチスの政治と経済』(阿部泰夫訳)、同『ドイツは語る』(谷口啓次訳)、リーサー『戦時独逸財政の戦備と作戦』(石井忠訳)、エルマース『ナチス政治経済読本』(多田潔訳)。この他にも東亜経済調査局の大川周明『回教概論』、同じく須山卓『支那民族論』、同局訳のリーマー『列国の対支投資』からもうかがえるように、満鉄ともつながっていたのである。
それらの経緯と事情に関しても、岩崎徹太が自伝や社史を残していないので明らかではないが、その代わりに『追想 岩崎徹太』(同追想集刊行会、昭和五十六年)が刊行されている。これも既述しているが、そこには「年譜」が収録され、岩崎が昭和十八年二月に治安維持法で検挙され、「慶応書房は戦時企業整備の名のもとにつぶされ、今後、出版活動をしないということを条件に、十月に釈放」とある。そして戦後の昭和二十一年に岩崎書店として再出発する。ところが二十三年に戦時中に刊行した加田哲二『日本戦争論』、木下半治『日本国家主義運動史』により、G項パージを受け、公職追放となり、再び出版活動に直接携わることを禁止され、それが解除されるのは二十五年を待たなければならなかった。
実はここで書いておきたいのは加田哲二に関してである。著者として加田と慶応書房の関係は最も深く、多くの著作を刊行しているので、それらを「年譜」所収の出版物リストからたどってみる。慶応書房として出版を始めた昭和九年に、『人種・民族・戦争』『転換期の政治思想』、十三年に『日本国家主義の発展』『現代の植民政策』、十五年に『政治・経済・民族』『日本戦争論』、十六年に『日本経済学者の話』『戦争本質論』、十八年に編として『世界政治経済年表』を刊行している。さらに戦後の岩崎書店になってからも、昭和二十三年に『社会学講話』『ロシア社会思想史』を出し、確認できただけでも十一冊に及び、それだけでも岩崎と加田の深い関係をしのばせている。
その加田の著作のうちの『戦争本質論』だけを入手している。十八年の再版で、菊判上製五百ページに及び、定価六円、再版二〇〇〇部とあるので、それなりに売れたと見なしていいだろう。冒頭に置かれた「著者の言葉」は次のように始まっている。
戦争は、現代の最も巨大な現象として、われわれの前に現れてゐる。民族の興亡は、これに懸り、国家の存廃はその結果の如何によつてゐる。まことに、現代は戦争の時代であるとさへいひ得る。それは巨大国家と巨大国家の死闘である。そのために国家の組織は再編成に直面し、その成否は、戦争の遂行に顕著な影響を及ぼす。かかる意味において、戦争は正に、「文化の母」であるといふことが出来る。
そして戦争の地盤、戦争理論と現代戦争、戦争の領域・資源、思想戦の原理などが論じられていく。また同じく加田の言によれば、その戦争問題研究は社会学と経済学に基づき、クラウゼヴィッツの『戦争論』、及びその批判者としてのルーデンドルフの未邦訳と思われる『全体戦争論』を照合し、第一次大戦から第二次大戦への発展を考察することによって、「総力再編成戦争の理論」、「わたくしの社会学・経済学の立場からみる戦争理論の一応の結論」を見るに至る。そして加田はいっている。「かかる現代の戦争の過程において、わが日本が巨大な役割を演じてゐることは歴史的必然性を持つものである。この戦争の本質が、わが肇国の理想を顕現し、世界をして、わが国体に光被せしめようとする聖戦にあることは、いふまでもない」と。
おそらく加田の『日本戦争論』にしても、『戦争本質論』の「大東亜戦争」と「大東亜経済戦争」の部分を広く展開した一冊と見なせるし、そのために岩崎はGHQによりパージを受けることになったのではないだろうか。また加田はどうだったのだろうか。ただそれはともかく、『戦争本質論』についてつけ加えておくと、巻末に「戦争文献集録」が付され、それは加田の研究目的用に分類され、和洋書三六〇冊、十二ページに及んでいる。それはかなり壮観で、出版社名は記載されていないけれど、昭和十年代になってから、いかに多くの「戦争文献」が翻訳も含めて出版されたかを物語っている。また同書の「著者の言葉」の最後の三行に赤線による削除が示され、そこに日付の移行が指定されている。これは明らかに著者による指定だと思われる。とすれば、これは慶応書房、もしくは加田の所蔵する一冊だったかもしれない。
この加田に関しては慶応大学教授、経済学博士としてしか判明していなかったが、ようやくその立項を『現代人名情報事典』(平凡社)に見出すことができた。それを示す。
加田哲二 かだてつじ
社会学者(生)東京1985・11・26〜1964・4・24 本名 忠臣(学)1919慶応義塾大理財科 (博)1937経済 (経)1923ドイツ留学、26〜45慶応義塾大学教授、のち山口大学教授、日本大学教授。この間、日本鉱業監査役、小野証券顧問、読売新聞論説委員を歴任。(省略)
著書は省略したが、前述の他にも『明治初期社会経済思想史』や『東亜協同体論』があるようだ。しかしどのようにして加田が岩崎と出会い、慶応書房と最も親密な著者となったかは不明のままだ。岩崎が三田の慶大前でその前身の古本屋フタバ書店を開いたことが始まりかもしれないが、それからすでに一世紀近くが過ぎており、もはや二人の関係に通じている証言者も残されていないだろう。
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