出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話593 昭和研究会著『労働新体制研究』

昭和研究会近衛文麿と一高時代の同級生で、彼を首相の座につかせようとする後藤隆之助によって、近衛のシンクタンク的団体として立ち上げられ、正式には昭和十一年に発足している。それは前回の同十二年の企画院の設立とほぼ時を同じくしていて、当然のことながら研究や立案テーマも重なり、近衛新体制に同伴していたので、メンバーもクロスしていた。

昭和研究会のほうは昭和十五年に大政翼賛会へと引き継がれるかたちで解散となるのだが、その翌年に東洋経済新報社から昭和研究会『労働新体制研究』という菊判上製箱入、五五〇ページの一冊が刊行されている。この本扉にサブタイトルとして「昭和研究会労働問題研究会報告」が付されているように、実際にその労働問題研究会の報告を単行本化したものである。「例言」には昭和研究会自体の解散によって、図らずも最後の報告となったと記されている。

それゆえにこの『労働新体制研究』昭和研究会へのレクイエムのようなかたちで刊行されたのではないだろうか。そのことを示唆するように、奥付の著者として、昭和研究会整理事務所事務代表者岩崎英恭の名前がある。酒井三郎が『昭和研究会』講談社文庫のち中公文庫)でレポートしているところによれば、岩崎は酒井と同様に昭和研究会発足時の事務局員で、東洋経済新報社の『日本経済年報』の編集者を経て、高橋亀吉経済研究所へ移り、それから高橋の推薦で昭和研究会に入っていた。解散時には経済部門の主査だった。そうした経緯と事情から、岩崎が整理事務所の代表者を務め、『労働新体制研究』東洋経済新報社から出されることになったのであろう。
昭和研究会 (中公文庫)

労働問題研究会委員は稲葉秀三、大河内一男、大澤三郎、奥原時蔵、桐原葆見、鈴木遷吉、谷野せつ、広崎真八郎、弘津恭輔、松崎正躬、美濃口時次郎、八重樫運吉、鶴島瑞夫、穂積七郎の十四人である。このうちの四人が前回の企画院と東洋書館の関係者で、稲葉は企画院事件で検挙され、前回ふれた桐原と企画院調査官広崎と大日本産業報国会の鶴島は「労務管理全書」の著者である、大河内は経済学者、社会政策理論家で、戦後の東大学長、谷野は内務省社会局労務官として工場現場視察と指導をを行なう初めての女性行政官である。その他の委員たちもアカデミズムや各官庁、それらの近傍に位置する様々な外郭団体や研究会のメンバーと推測できよう。

それに照応するように、『労働新体制研究』は労働新体制概論、労働組織論、労務諸問題、現場における労働組織、労働需給、保護、教育、女子労働などの問題、中小商工業問題、インフレーションと労働問題に及んでいる。それらのテーマは、同書のかたわらで刊行中のはずの東洋書館の「労務管理全書」と通底し、昭和十年代の支那事変から大東亜戦争下にかけての労働問題を集約していることになろう。

酒井の『昭和研究会』が伝えているその研究内容は、このような労働問題だけではなかった。労働問題は経済部門に属していたが、その他にも経済情勢、増税、財政金融、予算編成、貿易、農業団体統制、農業政策、東亜ブロック経済の各研究会があった。また世界政策研究会はひとつの部門として独立し、政治部門は政治動向、政治機構、世界部門は支那問題、外交問題、文化部門は文化、教育問題と多岐に及んでいた。これは昭和十三年の研究会状況だが、後には国策研究会、国土計画研究会、経済再編研究会なども加わったようだ。先に昭和研究会の常任委員を挙げずに、流動的な労働問題研究会委員の全員をリストアップしたのは、これらのすべての研究会に参画した人々をトータルすれば、五年間でどれほど多くに及ぶかを想像してほしかったからだ。

そこには本連載564の東亜経済調査局、同580の東亜研究所、同584の太平洋協会などのメンバーも加わっていたはずだ。実際に同581の東京政治経済研究所員の谷川興平は常任委員の蝋山政道の推挙により、岩崎と同様に事務局員となり、その後太平洋問題調査会へと転任している。また前々回の加田哲二も東亜ブロック経済研究会に属していたとされる。

さてその研究成果の数例は『昭和研究会』巻末の「資料」として、文化研究会などの三木清の論文や討議が収録されている。だが昭和研究会の研究成果は他の調査機関と異なり、民間の出版社を通じて公刊されることはほとんどなかったと考えられる。酒井の証言によれば、各種研究成果の取り扱いについては「ほぼ三通り」の処理となっていた。第一は支那事変の緊急対策、三国同盟対策、内閣改造案といったものだった。それらはほとんどタイプによる少部数であり、それは後藤などが個人的に近衛、もしくは海軍、陸軍の誰かに意見書として持っていくので、一般には公表されず、資料としても残っていない。第二は常任委員や委員を中心とする関係者に研究成果として数十部配布したケース、第三は活字印刷として関係団体と多方面の人々に配布したもので、これは広く世論を興し、昭和研究会の存在をPRするためだった。それらの効果についても、酒井は次のように率直に述べている。

 そのような研究会の研究成果が、直接、実際政治にどれだけ取り入れられたかということになると、それははっきりしない。しかし、実際に生かされたもののほかに、各種の専門研究会には、民間のエキスパートや、各官庁の中堅の人びとが多く集まっていたから、各省間の垣根が取れて、委員たちに総会的に判断する訓練ができ、各省が政策を立てて行く場合、それを織り込んでいった点は多分あったと思う。また研究会の横のつながりが、各方面にわたって、革新の空気を醸成していったことも否めないだろう。さらに昭和研究会の「東亜協同体」とか「経済再編成」などといった考え方が、政治の理念や思想原理として、また経済上の現実の政策として、一般に相当な影響を与えたということもいえるのではないか。

ここには一般に流通販売されない公官庁出版物と共通する自負と読者の不在への懸念がこめられているように思う。それは現在でも少しも変わっていないはずだ。そうした事情からすれば、昭和研究会の「著」としての『労働新体制研究』の東洋経済新報社からの出版は例外だったことになる。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら