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古本夜話686 北原白秋『橡』、「多磨叢書」、靖文社

前回の「アララギ叢書」と併走するようにして、同じく歌集を中心とし、出版社も重なる「多磨叢書」が刊行されていた。古今書院と「アララギ叢書」にふれる機会を得たこともあり、これも続けて取り上げておきたい。

この叢書を知ったのは、昭和十八年に靖文社から出された『橡(つるばみ)』を入手したことによっている。ただかなり疲れた裸本ゆえに、箱や装丁は不明というしかない。白秋は十六年に鬼籍に入っているので、没後の刊行の歌集であり、「後記」を寄せている木水彌三郎によれば、「本来は短歌五百三十一首及び長歌八首計五百三十九首」を含む第十歌集で、近刊の『渓流唱』と合わせ、「乾坤二部」をなすという。

私はかつて「阿蘭陀書房と『異端者の悲み』」(『古本探究』所収)を書いた際に、白秋の全集や評伝などにも目を通していたのだが、彼が歌人でもあったことはすっかり失念していた。『橡』には収録されていないけれど、木水が引いている晩年の一首に次のものがある。
古本探究

我敢て道に云はずも読み読みて 盲ひしふたつの眼(まなこ)かくあり

これは白秋が糖尿病と.腎臓病による眼底出血のために視力を失い、薄明の中で詠んだ歌だとわかる。やはり「読み読みて」失明したバベルの図書館長ともいえるボルヘスに捧げたくなる、白秋の一首である。

この『橡』の巻末に「多磨叢書」の目録が掲載されているので、それを示す。

1 北原白秋『短歌の書』 (河出書房)
2 乾北原白秋『渓流唱』 (靖文社)
2 坤北原白秋『橡』 (靖文社)
3 北原白秋『鑕(かなしき)』 (靖文社)
4 北原白秋『多磨第一歌集』 (アルス)
5 穂積忠『雪祭』 (八雲書林)
6 北原白秋編『多磨第二歌集』 (アルス)
7 北原白秋『黒檜』 (八雲書林)
8 木俣治『高志』 (墨水書房)
9 北原白秋編『多磨第三歌集』 (多磨短歌会)
10 北原白秋『牡丹の木』 (河出書房)
11 北原白秋編『多磨第四歌集』 (墨水書房)
12 木俣修『白秋研究』 (八雲書林)
13 鐸木孝『氷炎』 (墨水書房)
14 多磨短歌会編『多磨第五歌集』 (墨水書房)
15 北原白秋『真名井』 (靖文社)
16 北原白秋『日本古武道』 (靖文社)
17 北原白秋『薄明消息』 (アルス)
18 木俣修『白秋襍志』 (白秋襍志社)
19 北原白秋『父母頌』 (アルス)
20 北原白秋『短歌私史』 (河出書房)

これに補足しておけば、14以後は近刊となっている。『橡』の刊行が昭和十八年十二月であることからすれば、20まで順調に出版されたとは考えられないので、未刊のままで終わったものもあるだろう。幸いなことに『日本近代文学大事典』に「多磨叢書」が立項され、12までがリストアップされている。その解題には「多磨叢書」が戦後も刊行され、15や18もその中に含まれているとの記述が見える。

あらためて白秋の生涯をたどってみると、彼は昭和十年に多磨短歌会を興し、その機関雑誌として『多磨』を創刊している。それは浪漫精神の復興、日本における第四期の象徴詩運動、近代の幽玄の樹立を主張し、現実主義に則っていた当時の歌壇に大きな反響をもたらしたとされる。そこから生まれた歌集が『白南風』(アルス)や『夢殿』(八雲書林)で、その文学運動の成果として「多磨叢書」が企画され、白秋の死後も刊行され続けたことになろう。
夢殿

先にリストアップしておいたように、「多磨叢書」の多くは白秋自身の歌集であるが、昭和十三年刊行の3『鑕』から始まり、それに4『多磨第一歌集』が続いている。『鑕』は「添削実例」とあるように、白秋が多磨短歌会と『多磨』を通じて実際に行なった添削の記録集で、多摩短歌会において、バイブル扱いされていた。そのようなプロセスを経て、『多磨第一歌集』が編まれ、『同第四歌集』まで続刊されていったのである。 
白秋にしても、『橡』は昭和十年から十二年、7『黒檜』は十二年から十五年にかけての短歌と長歌を収録し、前者は象徴詩風の一究極、後者は薄明の中での幽玄的悟道に達したとされる。また1『短歌の書』はこれらの晩年の短歌制作の歌論であり、そうした意味においても、「多磨叢書」は白秋の晩年に寄り添うと同時に、その弟子たちによる野辺送りの叢書でもあったことになろう。ここでも『橡』から一首引いておこう。

   ほのあかく花はけむりし夜の合歓 風そよぐなり現(うつ)し実(み)の莢(さや)

この『橡』の版元である靖文社は大阪市天王寺区を住所とし、発行者を南方靖一郎としているが、脇阪要太郎の『大阪出版六十年のあゆみ』に掲載された昭和十一年時の大阪出版組合会員名の中には見当たらない。木水が「発行書肆なる小弟南方」と呼んでいることからすれば、南方は木水の弟であると同時に、おそらく多磨短歌会の大阪在住者だったのではないだろうか。その関係から靖文社は在阪の会員の歌集刊行のために設立された出版社とも考えられる。それゆえに大阪出版組合には加盟していなかったとも推測されるのである。


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