出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話818 原久一郎訳『大トルストイ全集』と中央公論社

 前回の建設社、及び河出書房や白水社のフランス文学全集類と競うように、昭和十一年から十四年にかけて、中央公論社から『大トルストイ全集』全二十二巻が刊行されている。しかもこれは原久一郎の個人訳によるもので、入手しているのは昭和十四年五月の第二十回配本の第十五巻『人生問題・社会問題論集』だけだが、その「月報」において、原は「尊敬する読者諸兄姉へ」と題し、予約出版にもかかわらず、同巻の半年という「かくも甚だしい遅延」に対し、「心からおわびの言葉」を発している。確かに四六判上製七六六ページ、函入のどこにも定価記載はないので、これが一冊分の金額を先払いする予約出版システムで刊行されたことを示していよう。
f:id:OdaMitsuo:20180814113733j:plain:h120

 しかしこの『大トルストイ全集』に関して、杉森久英が書いた『中央公論社の八十年』(昭和四十年)では言及されていない。それでいて、昭和八年からの坪内逍遥訳『新修シェーイクスピヤ全集』にはふれられ、その出版パターンが『大トルストイ全集』と類似していると思われるので、ここで書いておこう。実はこのシェーイクスピヤの全集は早稲田大学出版部が長きにわたって刊行し、同出版部の宝とされてきたことから、高田早苗出版部長が中央公論社に対し、それを横取りするのかと難詰し、坪内・高田両翁が仲違いするような有様で、それをなだめるために早大文科出身の有力者が中央公論社のために奔走し、説得に至ったとされる。これは正宗白鳥の証言に基づいている。
f:id:OdaMitsuo:20180816194441j:plain:h120

 その早大出版部の『沙翁全集』の第三十五編『ヘンリー八世』(昭和三年)が手元にある。確かに中央公論社が「新修」を出すことは、坪内にとって改訳決定版は意味あることだったとしても、早大出版部版を絶版に追いやるに等しい企画だと考えられても仕方がないものだったと思われる。おそらく『大トルストイ全集』にも同様の経緯があったのではないだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20180815222922j:plain:h120 (『沙翁全集』)

 石川弘義、尾崎秀樹の『出版広告の歴史』『大トルストイ全集』への言及があり、そこで次のようなキャッチコピーが引かれている。「曩に沙翁全集を刊行して我国文化の豊醇に寄与せる小社は、茲に再び起って、世界的大文豪トルストイ全集を世に贈るの壮挙を刊行する」「右に沙翁、左に杜翁、世界的大旆双流、濶天に翻飜たり。請う、太陽の如き巨人トルストイとともに光の中を歩まれよと」。

 先行する大正時代における春秋社の『トルストイ全集』の試みに関しては、拙稿「春秋社と金子ふみ子の『何が私をかうさせたか』」(『古本探究』所収)で既述している。それに続いて、新潮社も「トルストイ叢書」や「トルストイ小説文庫」を始めとして、重訳ではなく、ロシア語からの『戦争と平和』(昇曙夢他訳)、『アンナ・カレニナ』(原白光訳)なども出され、昭和に入ると、岩波書店から中村白葉や米川正夫たちによる『トルストイ全集』全二十二巻の刊行も始まっている。そこに原久一郎全訳の『大トルストイ全集』が企画されたことになり、その原こそは新潮社のトルストイやドストエフスキイの訳者の原白光に他ならなかったのである。
古本探究

 原久一郎は『日本近代文学大事典』に立項され、そこにペンネーム原白光の由来を知ることができる。ただ長いので、それを要約してみる。明治二十三年新潟県生まれ、新発田中学に進み、中村星湖の『少年行』に感激して創作家をめざし、四十三年、星湖の母校の早大高等予科に入学し、ロシア文学、とりわけトルストイの『アンナ・カレーニナ』を耽読し、大正三年に早大英文科を卒業し、東京外語ロシア語選科に通う。そしてロシア文学の研究と紹介に専念することを決意し、九年に早大露文科設置に伴い、講師となり、トルストイを講義するとともに、白光名義でのロシア語からの翻訳『アンナ・カレーニナ』を刊行する。十四年には早大を辞任し、ビリューコフ『大トルストーイ伝』の翻訳に取り組み、昭和二年から三年にかけて、新潮社で三巻を刊行するが、未完に終わり、完成は戦後を待たなければならなかった。その一方で、著書『トルストイ伝』(改造社)、翻訳『人生の道』『懺悔』(いずれも岩波文庫)を出し、自宅にトルストイ普及会を設け、出張講座、質疑応答、著作の頒布などに携わっている。これらの原の大正から昭和にかけての、トルストイに関わるトータルな活動を背景にして、中央公論社の個人訳『大トルストイ全集』の企画が成立したと考えていいだろう。
人生の道 懺悔

 しかし自伝ともいえる『トルストイと私』(毎日新聞社、昭和四十七年)には、中央公論社からの『大トルストイ全集』の刊行に関する経緯や事情はまったくふれられておらず、結局のところ、中央公論社社史にも、原自身の証言も残されなかったことになる。双方にとっても一大出版プロジェクトだったはずなのに、どのような事情が潜んでいるのだろうか。
f:id:OdaMitsuo:20180816175124j:plain:h120

 なお所収の「略年譜」には、昭和十七年から三笠書房の『ツルゲーネフ全集』全十七巻の刊行が記されているが、戦時下のために完結しなかったとある。こちらのことも、『トルストイと私』には何の言及もなかったことも付記しておこう。
f:id:OdaMitsuo:20180816201010j:plain:h120(『ツルゲーネフ全集』、第8巻)


[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら