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古本夜話951 マスペロ『道教』

 続けてマスペロに言及してみる。まず『世界名著大事典』(平凡社)の著者立項を挙げてみよう。

世界名著大事典

 マスペロ Henri Maspero(1883-1945)フランスの中国学者。オリエント史の大家ガストン・マスペロの子。中国学者シャヴァンヌに師事。ハノイ極東学院研究員、コレージュ・ド・フランス教授。第2次大戦末にドイツの収容所に没した。古代中国史に最も学殖が深く、さらに中国の宗教、思想、科学史、あるいは中国語、ヴェトナム語およびヴェトナム史などにも業績を残した。その明せきな理解力と百科全書的博識は、西欧中国学会の代表的存在であった。(後略)

 この立項は昭和三十七年のもので、主著として『古代中国』と『唐代の長安方言』が挙げられ、それらの解題も『世界名著大事典』に収録されているが、戦前も含めて、まだ当時は翻訳刊行がなかったようだ。これを少しばかり補足しておけば、マスペロは昭和三年から五年にかけて、日仏会館学長として東京に滞在している。「ドイツ収容所に没した」とは息子がレジスタンス運動に加わったことから捕えられ、パリ解放直前にドイツのブヘンワルト収容所に送られ、悲惨な最期を遂げたとされる。なお兄のジョルジュはフランスのインドシナ行政官で、カンボディア理事長官ともなっている。

 このマスペロの主著の他に、戦後になって未刊の『中国の宗教と歴史に関する遺稿』全三巻が出された。第二巻は『道教』と題され、「西暦初頭数世紀の道教に関する研究」「中国六朝時代人の宗教信仰における道教」「老子と荘子における聖人と生の神秘的体験」などが収録され、これはマスペロが死の寸前まで取り組んでいた仕事でもあった。それと関連して、パリの『アジア誌』には長い学術論文『古道教における養生の術』が発表されていた。

 この『道教』が同じタイトルで、川勝義雄訳として、東海大学出版会から翻訳刊行されたのは昭和四十一年で、五十三年に東洋文庫に収録され、『古道教における養生の術』のほうは『道教の養生術』(持田季未子訳、せりか書房)として刊行に至っている。ここでは前者の東洋文庫版に基づき、最初の「中国六朝時代人の宗教信仰における道教」を見てみよう。編者のドミエヴィルによれば、「世界でもっとも奇妙な宗教の一つ」とされていた道教に関して、「マスペロこそは、欧亜を通じて、道教の歴史と、その術の内面をさぐり出したただひとりの人」であるからだ。

f:id:OdaMitsuo:20190911172106j:plain:h115 (東海大学出版会版)道教 (東洋文庫版) 道教

 そのことを示すかの如く、マスペロは一筆書きのように、中国における道教の誕生から現在の瀕死の状態に至る歴史を提出している。

 道教は紀元前の最後の数世紀間に生まれたが、そのころ古代の農民宗教は、緊密な関係にあった古代社会の崩壊とともに分解してしまい、不安となった精神にとって、それはもはや十分なものではなくなっていた。かくて道教は、漢帝国のもとで驚くべき成功をおさめて発展し、中国世界が政治的宗教的に沸騰した六朝時代に、それは最盛期に達した。しかし七世紀になると、唐代の平和は、精神的にも行政的にも儒教的秩序をとりもどしたことによって、道教に致命的な作用をおよぼした。また、仏教がこれに張りあったことも、同様な効果を生んだ。道教は、しだいに一般大衆に対する影響力を失い、ただ専門的な修道者のために宗教と、巫師の行なう祭祀にしかすぎないものになってしまう。そしてこれにつづく数世紀のあいだに、何人かの偉大な道士たちの名声によってもたらされた華々しさにもかかわらず、道教はこのとき以来、長い衰退過程をたどりはじめ、ついに今日の瀕死の状態にまで行きつくことになった。

 そのように俯瞰した後で、マスペロは六朝時代、すなわち四世紀から六世紀にかけての道教の輝かしい時期の様相について述べ、ひとつの観念を現前化させようとして語り出す。道教は信者を「永遠の生(Vie Eternelle)」へと導こうとする救済の宗教で、道士たちは「長生(Longue-Vie)」を求める場合に精神の不死ではなく、肉体そのものの物質的な不死として考えた。それは精神と物質を分けたことのない中国人にとって、可能な唯一の方法だったからだ。人間には多くの霊魂があるけれど、肉体はひとつであり、真に統一ある人格を持ち続け、不死を得る可能性が考えられるのはただひとつの肉体の中においてしかなかった。

 それゆえに死すべき身体を生きている間に不死の身体に取りかえること、すなわち死すべき器官に代わる不死の器官を身体の中から生み出し、発展させることが道士の到達目標で、身体の不死と死の防止が信者の目標ともなった。それからその実践的である「養形」と「養神」に及び、ミクロコスモスとしての人間の身体に住む神々が住み、そこに生命が「気」とともに入り、呼吸を通じて腹に下り、「精」と結合し、「神」が生じる。したがって、「気」と「精」を正しい実践によって増大させながら、「神」を増強しなければならないのだ。

 それはさらに身体論、医学から「精神の術」としての内観、瞑想、神秘的合一、それらを通じての信者の救済までに測鉛が降ろされていく。それらはまさに道教が「世界でもっとも奇妙な宗教の一つ」であることを伝えているように思われる。また香港映画の「霊幻道士」=キョンシーシリーズが道教を背景としていることを了解するのである。

「霊幻道士」


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