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古本夜話1508 滝田樗陰と室生犀星「幼年時代」

 これまでに萩原朔太郎が大正十二年の『青猫』に続いて、同じ新潮社から『蝶を夢む』や『抒情小曲集』、また室生犀星のほうは十一年に『田舎の花』を刊行していることを既述しておいた。しかし犀星は朔太郎と異なり、それまでに大正九年の『性に目覚める頃』を始めとして、やはり新潮社から『結婚者の手記』『蒼白き巣窟』『美しい氷河』『走馬燈』といった小説集を出し、作家としてもデビューしていたのである。

     

 それは詩集の出版が朔太郎とのコラボレーションによっていたように、小説を書くことは『愛の詩集』の上梓をきっかけにして、芥川龍之介や谷崎潤一郎と知り合った影響も大きいと思われる。犀星は『自叙伝的な風景』において、最初の作品「幼年時代」を『中央公論』の滝田樗陰に送り、何の返事もなかったので、中央公論社を訪ねたが、滝田が不在だったと書いている。ところが数日後「幼年時代」の校正刷が届き、「自分は興奮と混乱に似た感激的な状態」となり、「つとめて平気で妻に作品が雑誌に掲載されることを告げた」のである。その翌日滝田が来訪し、「性に目覚める頃」「或る少女の死まで」の初期三部作が続けて大正八年の『中央公論』に掲載されるに至った。

 この三部作は大正九年に新潮社の『性に目覚める頃』に収録され、これも幸いなことに近代文学館により複刻されている。その出版事情を補足しておけば、これらの作品は『中央公論』に掲載されたわけだから、中央公論社から単行本として刊行されるのが当然だが、大正時代の中央公論社は書籍出版部を設けておらず、それは昭和四年を待たなければならなかった。そうした当時の出版事情は文藝春秋社も同様だった。

 

 この『性に目覚める頃』には「この貧しき最初の創作集を滝田哲太郎におくる」との献辞にあるように、滝田樗陰に捧げられている。大正時代の多くの作家が滝田によって発掘、育成され、『中央公論』に作品を発表し、文壇的地位を得ていたのだが、犀星もその一人だったのである。それは「序」においても語られ、滝田のよく知られた人力車訪問にはふれられていないけれど、滝田の存在と尽力により、「生れて初めて一人前になれたのだといふ気が、書いたもののなかから、いまは何よりはつきりと映り出した」と述べている。

 ここでは表題作に言及すべきかと考えていたが、滝田との関係からすれば、処女作「幼年時代」を取り上げておくべきだろう。そこには明治後年の金沢の民俗、おそらく加賀藩時代から続いている川漁や果実掠奪といった採集遊びが語られ、とても興味深いからでもある。

 まず「私」の姉の語る川漁のことを考えれば、加賀藩には手取川や犀川の有名な淵を泳ぎ入る「河師」というものがいて、「鮎の季節や、鱒の季節には、目の下一尺以上あるものを捕るための、特別の河川の漁師であつて、帯刀を許されてゐた」。その一人の堀が鞍が岳の池に潜ったのである。その池は古戦場で、かつて野武士が馬とともに飛びこみ、裏盆には鞍が浮かび上がったり、池の底鳴りがするとの伝説があった。その池は深く青藍色の静寂で神秘的な支配力を有し、人々の神経を震わせるとされた。

 堀はこの伝説を聞いて嗤い、池の底を探検するといって、何も持たず、池にもぐりこんだ。かなり長い間水面に浮かんでこなかったが、ようやく浮かび上がった彼は蒼白で、恐怖のために絶えず筋をふるわせていた。「そして何人にもその底の秘密を話さなかった。(中略)唯かれは河師としての生涯に、一番恐ろしい驚きをしたといふことのみを、あとで人人に話してゐた。それと同時になれた河師の職をやめてしまつた」。あたかも柳田国男の『遠野物語』の一節のようであり、また犀星と出身を同じくする泉鏡花の物語の背景にもこのような「伝説」が潜んでいるのだろうし、まだ明治が近世怪異譚の時代だったことを教えてくれる。

 また果実掠奪はどんな小さな家の庭にも果実のなる木があることから始まっていた。「私どもは殆ど公然とそれらの果実を石をもつて叩き落したり、塀に上つて採つたりした。さうした優し果実を掠奪してあるくためには、七八人づつ隊を組んで裏町へでかけるのであつた。それを『ガリマ』と言つてゐた」のである。だがそれらは道路の方に樹の枝がはみ出たところの果実に限られていたので、とがめられもせず、叱られることもなかった。「いつごろからそういふ風習があつたのか知らないが、それが決して不自然なところがなく、非常に悪びれたところが、見えなかつた」。それに加えて、高い樹の果実に対して、及び「ガリマ」隊の間で喧嘩に際し、「私」は飛礫打ちが得意だとの述懐は中沢厚の『つぶて』(法政大学出版局)を想起してしまう。

つぶて (ものと人間の文化史 44)

 それだけでなく、この「がリマ」の語源は不明だけれども、同じように果実の種子を集めて回る子供たちを描いた、ピエール・ガスカールの『種子』(青柳瑞穂訳、講談社)をも連想させる。考えてみれば、日本においても高度成長期以前の子供たちの遊びは魚や果実を対象とする採集で、それも必然的に飛礫打ちも伴っていた。しかしそのような遊びが終焉したのはテレビの普及によっていたことをあらためて思い出す。


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