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出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話263 富永直樹と新詩壇社

前回、田山花袋の全集刊行の春陽堂、内外書籍、臨川書店の定本に至る推移について述べ、彼が明治文学の重要な人物だと多くが認めていたにもかかわらず、漱石、鷗外、藤村などに比べ、その全集の不運な状況に関しても記しておいた。

そうした花袋の全集の出版状況に投影されているは、彼に文学とアカデミズムの神話作用がもたらされなかった事実であろう。明治以後の文学や出版の世界にしても、やはりスターシステムとアカデミズムのバックアップを必要とするために、フランキー堺を老けさせたかのような村夫子然とした花袋のポートレートと、『蒲団』という告白を伴った私小説イメージの泥臭さも強く影響し、両者が結びつかなかったこと、また花袋が独学者だったことも一因だと思われる。
蒲団

それらのこともあって、花袋の文学と生涯を含めた研究も進んでいないといってもかまわないだろうし、それを象徴するように、昭和三十年代の筑摩書房の「日本文学アルバム」に『田山花袋』は見えるのだが、昭和末期から平成初めにかけての「新潮文学アルバム」には収録されていない。
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しかし私のささやかな花袋に関する管見からしても、花袋は奥が深く、これまで流通してきた見解や表層の解釈だけですまされない文学者であるように思われてならない。例えば、花袋の作品の中で最も読み継がれている『東京の三十年』(岩波文庫)は近代の回想録として文学、風俗、時代に関する最も重要なものではないだろうか。これほどヴィヴィッドな回想録は他にないし、山田風太郎の『幻燈辻馬車』(ちくま文庫)に始まる明治開花物の祖型と幻想性をも提供したではないかとも考えられる。

東京の三十年 幻燈辻馬車

その他にも柳田国男とのホモソーシャルな謎めいた関係、博文館の編集者、翻訳者、日露戦争戦場レポーター、紀行家にして温泉探訪者など、いずれを挙げてみても十分に論じられ、言及されているとは思えない。それらの中でも最もアウトラインがつかめないのは、多岐に及ぶ、とりわけ小出版社との関係で、アトランダムに挙げても、如山堂、易風社、隆文館、左久良書房、今古堂、忠誠堂、植竹書院、日東堂、三陽堂、平和出版社、冨田文陽堂、金星堂、天佑社、玄文社、日本評論社出版部、蔵経書院、摩雲巓書房、中央堂、大阪屋号書店、松陽堂、聚芳閣、新詩壇社、近代文明社、耕文堂などといった具合である。

もちろんこの他にも大手出版社の新潮社、博文館、実業之日本社、春陽堂からも多くの点数を出している。小出版社から出されているのは小説、紀行、随筆、評論などだが、それらの出版社については本連載で言及しているところもあるが、不明の版元も少なくない。

その中でも評論に限れば、本連載79などですでに近代文明社の『近代の小説』を取り上げている。これは大正十二年刊行になるけれども、同十四年に松陽堂から『小説作法』(「文芸思想叢書」第八編)、新詩壇社から『長編小説の研究』(「芸術研究叢書」第四編)の二冊を出している。しかしこの二冊は本も未見、その「叢書」内容も不明、出版社のこともわからないという三拍子揃った難物の分野に属する。これは私だけの判断ではなく、紅野敏郎の『大正期の文芸叢書』にも何の言及もないのだから、この二冊はそれらの「叢書」と同様に稀覯本だと考えてしかるべきだろう。『小説作法』は『定本花袋全集』第二十六巻に新組み収録されているにしても。

大正期の文芸叢書

しかしそれでも新詩壇社の本は一冊だけ持っているので、それを手がかりにして新詩壇社を追ってみる。その本は島村民蔵の『劇の創作と鑑賞』で、大正十三年に発行者を富永直樹とする、牛込区甲良町の新詩壇社から出された四六判上製三百ページ弱の一冊である。島村は早大と東大に学んだ劇作家、演劇研究家で、大正初期から演劇の研究と戯曲の創作に従ったとされるので、西洋演劇に関する一冊ということになる。だがこの一冊から得られる新詩壇社に関する情報は発行者名とその住所だけである。しかし幸いなことに、その島村が立項されている『日本近代文学大事典』の索引のところにその発行者名が見出され、それをたどってみると、初めてそのタイトルを目にする雑誌に突き当たった。それを引いてみる。
日本近代文学大事典

 「文藝の先駆」ぶんげいのせんく 大正一三・一二〜一五・五まで確認。はじめは「文芸ノ先駆」。編集兼発行人富永直樹。新詩壇社発行。当時新詩壇社からは前田河広一郎の『大暴風雨時代』、エルンスト=トラー策、北村喜八訳『独逸男ヒンケマン』、宮島新三郎『短編小説研究』『明治文学十二講』、木村毅『小説の創作と鑑賞』『兎と妓生』なども刊行していた。表紙は創刊号より村山知義の表現派の構図、扉にはエルンスト=トラーの写真、木村毅や宮島新三郎が積極的に寄稿、また投稿の選もしている。小説には加藤武雄、水守亀之輔、前田河広一郎らが協力。(後略)

花袋の『長編小説の研究』も「芸術研究叢書」のことも出てこないけれど、富永直樹を発行者とする新詩壇社が『文藝の先駆』というリトルマガジンを、関東大震災後の大正十三年に創刊し、それとパラレルに十冊を超えるであろう単行本も刊行していた事実が、この立項からわかる。残念ながら富永自身のことは何も浮かび上がってこないにしても。

しかしこのように多くの小出版社にまで及ぶ花袋の単行本刊行のことを考えると、多岐にわたる分野とその量からしても、完全な全集の編集と刊行の難しさが本当に実感させられる。単行本の収集ですらも大変なのに、新聞や雑誌掲載のままになっているものまで網羅しようとすれば、途方もない労力が必要とされるであろう。『定本花袋全集』第2期の編集をめぐっての困難さが想像できるし、それゆえに復刻とのジョイントという組み合わせになったと考えられる。
定本花袋全集

『田山花袋集』(『明治文学全集』67)の「解題」を担当している吉田精一が、同じく所収の昭和三十年の「花袋文学の本質」で、花袋は忘れられ、「花袋については全作を読んでゐる人は恐らく日本中に一人もゐまい」と述べ、それは秋声も同じだといっている。しかし近年になって、秋声のほうは全四十三巻に及ぶ本格的『徳田秋声全集』が八木書店から刊行され、ともに生誕五十年を祝われた花袋だけが半ば残されてしまったといえよう。私も全部を読むことは無理だとしても、せめて第2期の『定本花袋全集』を読むことだけは果たそうと思う。
明治文学全集 67 徳田秋声全集

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