出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話262 内外書籍の『花袋全集』とその後

八木敏夫が『日本古書通信』とほぼ同時に六甲書房を立ち上げ、行き詰っていた内外書籍株式会社や書物展望社の在庫を安く買い取り、古本屋に卸し、質の高い特価本のリバリューを伴うリサイクル市場を形成するに至ったことは、『日本古書通信』十二月号の八木壮一へのインタビューでも語られている。
(『日本古書通信』12月号)
その内外書籍の出版物であるが、八木敏夫の「日本古書通信・明治珍本・特価本」(反町茂雄編『紙魚の昔がたり』所収、八木書店)における証言によれば、『広文庫』『古事類苑』『読史備要』「皇学叢書」「日本文学叢書」などであり、それらを一手に引き受け、「相当な利」を得たという。

これを読んで、小川菊松の『出版興亡五十年』の中に、「川俣馨一氏の内外書籍株式会社から発行した『広文庫』も菊判大冊もので、これは外交販売で三万六千部売つたという話である」との記述が残されていたことを思い出した。川俣の詳しいプロフィルは不明だが、小川の猟友だったらしい。
出版興亡五十年

そしてこの二人の証言と記述から、そういえば、昭和十一年に出された『花袋全集』の刊行会が内外書籍に置かれていたことも思い出した。『花袋全集』は虫食いの裸本を一冊だけ拾っていて、それを確かめてみると、第十二巻で、奥付には発行者川俣馨一、発行所は小石川区竹早町の内外書籍株式会社内花袋全集刊行会とあった。「予約価金一円八十銭」との記載から、この全集が予約出版だったことがわかるし、主として内外書籍の外交販売ルートで売られていたことになる。

この巻には、花袋が晩年の大正時代末に新聞や婦人誌に連載した歴史小説『源義朝』『通盛の妻』『道綱の母』の三作を収録し、「序文」を上司小剣、「解説」を加藤武雄が書いている。この上司の「序文」を読み、よく知られた島崎藤村の「田山花袋全集に寄す」との一文も、このように第一巻の巻頭に置かれていたのだと理解できた。藤村は昭和五年に亡くなった「記念すべき友の七周忌に際し、全集刊行の企てをよろこび」、その一文を寄せている。引用は『田山花袋集』(『明治文学全集』67、筑摩書房)所収による。

明治文学全集 67

 もう一度田山花袋に帰らうではないか。あの熱情を学ぼうではないか。あれほどの瘠我慢と、不撓不屈の精神と、子供のやうな正直さと、そして虚心坦懐の徳とを誰が持ち得たらう。
 吾友、花袋子が熱心な文学生涯は明治二十四年の早い頃から、およそ三十八年の長い間に亙つた。彼こそは文学革新の父と呼ばるべき人である。今日の読書人がこの全集をさぐるなら、以前とすこしも変ることのない良き師、良き友をこゝに見出すであらう。

年齢からいっても、老獪そのものにふさわしい藤村が、このような「虚心坦懐」にして「子供のやうな正直さ」を伴った言辞を寄せていることは、花袋が藤村に与えた影響を自ずと物語っているようにも思われる。近代文学における自然主義と告白は、藤村の『破戒』(明治三十九年)と花袋の『蒲団』(同四十年)によって決定づけられたし、同じく藤村の『新生』(大正七年)は『破戒』『蒲団』の融合の試みといえるかもしれない。

破戒  蒲団新生

正宗白鳥はやはり『田山花袋集』所収の「田山花袋」において、花袋が「小説道の名人」にはなれなかったけれども、「明治文学史に最も巨大な印象を留めた作家である」と述べ、花袋の『蒲団』が発表されなければ、「自伝小説や自己告白小説があれほど盛んに、明治末期から大正を通じて、あるいは今日までも、現はれなかつたであらうと思はれてならない」と記している。

藤村も白鳥も明治末の『蒲団』の他に、『生』『妻』『縁』『田舎教師』から、大正半ばの『一兵卒の銃殺』『時は過ぎゆく』などの花袋の小説を念頭において書いていることは明らかである。しかし死後の全集に関すれば、漱石や鷗外や藤村と比べるまでもなく、白鳥に比しても、きわめて不遇であったと言えよう。
田舎教師

第一回目の『花袋全集』は生前の大正十二年に全十二巻が編まれ、春陽堂より刊行されているが、これは円本以前の出版で、少部数であったためなのか、現在に至るまで未見のままである。そして二回目が内外書籍の『花袋全集』で、こちらは当初全十八巻予定だったようだが、内外書籍の行き詰まりを反映してか、全十六巻で終わってしまったと伝えられている。春陽堂版も内外書籍版と同様に、花袋全集刊行会の編集によっているけれど、この刊行会のメンバーが判明していないし、両者が同じなのかは不明である。ただ二つの全集の間に十五年の歳月が流れていることを考えれば、メンバーや編集者が異なっていると見なしたほうが自然であろう。ただ内外書籍の出版社としての性格からして、コストのかかるまったく新しい全集を編むとは思えないので、春陽堂版に増補を加えたものと推測できる。

そしてそれから三十五年後の昭和四十八年に、内外書籍版に一巻の増補を加えた文泉堂出版の復刻が出された。また平成五年になって、臨川書店から『定本花袋全集』全二十八巻が刊行されたが、この第1期十六巻はやはり内外書籍版の復刻だった。これは公共図書館にもかなり入ったようで、私などはこの臨川書店版によって、花袋の小説をまとめて読むことができるようになり、柳田国男をモデルにした小説の数々をあらためて読み直すことになったのである。第2期の十二巻と別巻』は新たに編まれたもので、それが完結したのは花袋没後六十五年を経た平成七年のことだった。

定本花袋全集 2 (『定本花袋全集』2)

しかし先日八木書店の地下の特価本売場を見ていたら、その第2期の『定本花袋全集』が置かれていた。やはり花袋は人気がなく、売れずに在庫が放出されたのである。おそらく数は少なくても、八木敏夫も内外書籍版の『花袋全集』の在庫も買ったはずで、いわば八木書店は二代にわたって『花袋全集』を引受けたことになる。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら