ここに挙げたカレン・テイ・ヤマシタの著作は邦訳されておらず、管見の限り、都甲幸治の『21世紀の世界文学30冊を読む』(新潮社)において、『サークルKサイクルズ』として紹介されているだけだと思われる。しかしここではそのタイトルにあるCyclesに関して、日系ブラジル人とサークルK に象徴される「一連の物語集成」と見なしたいので、『サークルK・サイクルズ』 と表記しておくことにする。
カレン・テイ・ヤマシタは一九五一年にカリフォルニア州オークランドに生まれ、ロサンゼルスで育ち、ミネソタ州のカールトン大学に在籍していた七〇年代初頭に早稲田大学に留学している。彼女の父方の祖父は岐阜県中津川近くの小さな村、母方の祖父母は長野県松本の出身で、いずれもが前世紀の変わり目に、アメリカ西海岸のサンフランシスコやオークランドに移民した明治生まれの日本人だった。つまりカレン・テイ・ヤマシタは日系三世ということになる。
そして一九七五年に彼女は公費留学生としてブラジルに渡り、海外では最大の一五〇万人に及ぶ日系移民についての研究に取り組んだ。その間に彼女はブラジル人建築家兼芸術家と結婚し、サン・パウロで子供を産み、ブラジルでほぼ九年間を過ごした。それから九七年三月から八月にかけて、彼女と家族は名古屋近郊の瀬戸に住んだ。それは日本奨学資金財団と中部大学国際研究科教授の今福龍太の支援によるものだった。
これらはほとんど『サークルK・サイクルズ』 に記されていることだが、ヤマシタは九〇年に同じ出版社から長編小説『熱帯雨林の彼方へ』 (風間賢二訳、白水社、九四年)を上梓していて、この邦訳はずっと品切だったが、最近になって幸いなことに新潮社から再刊されるに至っている。このブラジルを舞台とした日系人やフリークスたちが入り乱れる作品は、ガルシア・マルケス的なマジックリアリズム小説と称せられている。しかし彼女自身の言によれば、これはブラジル人たちの想像力と国民精神を表象する「ソープ・オペラ」であり、その物語要素は、レヴィ=ストロースが『悲しき熱帯』(川田順造訳、中公文庫)で明らかにした「感動的な無垢な牧歌と渺茫たる郷愁、そして忌まわしくも無情な運命」なのだ。
だが『サークルK・サイクルズ』 は『熱帯雨林の彼方へ』 と異なり、フィクションとエッセイと日記、写真と日本のポップカルチャーや広告などのコラージュからなり、しかも英語と日本語とポルトガル語が混住する一冊である。それらはまさにアメリカやブラジルを経由して日本へと誘われたカレン・テイ・ヤマシタという日系三世の位相を物語っている。これらの混住するファクターは、同書の造本やデザイン、レイアウトにも投影され、A5判を一回り大きくし、洋書ゆえの横にした造本で、ソフトカバーの表紙は日本の名所と町の写真、広告や植田まさしのコミックの登場人物、日系人らしき女性のイラストなどが乱雑な感じでレイアウトされ、意図されたキッチュな印象をもたらしている。それは本文も同様であり、英文の中に写真と並んで日本語も配置され、また後述するように、ある章は日本語で提出されている。
また巻頭には『サークルK・サイクルズ』 に必須のタームとして「DEKASEGI STARTER DICTIONARY」が掲げられている。これらはいってみれば、「出稼ぎ初心者用語集」というべきものであり、同時に日本での日系ブラジル人が置かれた状況と心的現象を物語っていよう。それゆえに、ポルトガル語と英語の説明の混住は明らかなので、あえて邦訳せず、これらをそのまま転載しておくことにする。
dekasegi : verb meaning to work away from home ; however, Brazilians and other migrant workers of Japanese descent have turned this word into a noun meaning : migrant laborer in Japan(spelled dekassegui in Portuguese)
empreiteira : contract employment company ; middleman temp agency that hires laborers for factory work
gaijin : foreigner , outsider ; more specifically , and sometimes negatively, non-Japanese
Nikkei : of Japanese ancestry or lineage ; belonging to the Japanese tribe ; however , some dictionaries translate this word to mean Japanese emigrant , or even Japanese American
nisei : second generation descendant of Japanese emigrant
mestiça : of mixed racial ancestry
san k : three k’s ; kitanai(dirty), kitsui(difficult), kig(ママ)en(dangerous) ; used to describe work migrant laborers are forced to accept
sansei : third generation descendant of Japanese emigrants
saudade : longing, homesickness, nostalgia
このような構成からなる『サークルK・サイクルズ』 の中から何を紹介すべきなのか、少しばかり迷ってしまったのだが、フィクションとしての「もしミス日系が神(女)としたら?」や「トンネル」ではなく、やはりタイトルに示されたサークルKに関する事柄を取り上げてみたい。それは先述したように、日系人にとってサークルK 自体がひとつの物語に他ならないと判断できるからだ。それに本扉の左ページにもサークルK を前にして、日系人と思しき若い男女が並んでいる口絵写真が収録されてれ、この写真が本文のコラージュとしても採用されていることにも表われていよう。「三月−腰痛」から、その部分を抽出し、試訳してみる。
ヤマシタ一家は瀬戸に落ち着き、銀色のスバルの中古車を借り、それに緑と黄色の矢のような初心者マークを貼った。車に同じマークを貼っている別のブラジル人家族にもめぐり合ったが、彼らはそれを三年間もつけたままで、緑と黄色はブラジルの旗の色でもあったからだ。日本の車の初心者マークが、彼らにしてみれば、ブラジル人のアイデンティティへと転化していることになる。これが後に述べる「ルール」の違いへとつながっていくことを示唆している。ただ左側通行にはなかなか慣れずにいた。そしてサークルK への言及を見る。
友人の龍太は彼の家から私たちの家に至るロードを案内してくれる。どの角にもコンビニエンスストアのサークルK があり、それは四店を数える。龍太の家にいくのにサークルK のところを必ず左折するし、私たちが戻る時には右折するので、まさにロゴのⓀのように、Kという店をぐるぐる回っていることにもなる。それに私の名前のカレン=KarenのK、コンビ二=Kon-binis のKも同じだという冗談も発せられる。(訳注―カレンの措かれた文化社会状況、及び先に挙げたブラジル人のthree k’sのメタファーであろう)二十四時間オープンで、年中無休。私たちが必要とするものは何か? 卵、ヨーグルト、おむすび、海苔、それとも菜っ葉だろうか? 歯みがきか洗濯バサミか? 原稿のコピーか? ポルノ漫画か? 急な物入りのための現金引き出しか? 私たちはここで電話、ガス、電気料金のすべてを支払うことができる。この狭いトポスであるコンビニは私たちの仮住いの延長空間とも見なせる。すなわちそこは私的な冷蔵庫、浴室の戸棚、事務所、図書館、さらに銀行の役目も果たしている。私たちの日常生活はK という店をぐるぐる回ることで営まれている。それは時間を問わないし、ありふれた住宅地のロードサイドに位置しているのである。
ここにサークルK というコンビニに対する違和感の表出を見ることができよう。それは確かにブラジル人にとっても身近な存在、年中無休の二十四時間営業、日常生活のすべてに便利な空間である。だが車の初心者マークの緑と黄色とは異なり、中部の大手スーパーのユニーの系列にあるサークルK のオレンジなどの三色は、ブラジル人のアイデンティティと合致しないニュアンスが含まれている。またそれは否応なく同化を強いる日本特有の装置として捉えられているのではないだろうか。
コンビニは拙著『〈郊外〉の誕生と死』や本連載50、51、110などでふれてきたように、一九七〇年代前半に都市の内側で生まれ、次第に郊外化し、八〇年代にはロードサイドビジネスとして郊外消費社会のコアを占めるに至った。それらの主たる企業はセブン-イレブン、ローソン、ファミリーマート、サークルK などで、二〇一四年には上位八社だけで五万店を超え、年間売上高も十兆円に達しようとしている。これらのどのコンビニもフランチャイズシステムによって全国展開されているので、店舗、看板、店内レイアウト、商品だけでなく、制服も接客スタイルもすべてがマニュアルで統一されているために、日本の全国各地で同様に買物とサービスを可能にするシステムが構築されたことになる。しかし一方ではコンビニの全国的な普及とその制覇は均一的な店舗の風景を召喚すると同時に、これも画一的な日常生活を広く散種していったことを意味している。
ヤマシタの最初の来日はまだコンビニが出現したばかりの七〇年代初頭であり、彼女にしてもそれらの風景やシステムを目撃したり、体験したりしていなかった。だが『サークルK・サイクルズ』 はコンビニの全国的制覇がなされた九七年の日本を背景としていること、さらに今回彼女はブラジルを経て、ブラジル人と結婚し、一家で日本にやってきたことからすれば、コンビニに表象される日本の消費社会システムへの違和感はかなり強かったのではないかと推測される。またそれゆえに『サークルK・サイクルズ』 というタイトルのアマルガムな構成の一冊を上梓するにいたったのではないだろうか。そしてそのような日本の郊外会消費社会のシステムの中に、先に挙げたブラジル人の「DEKASEGI STARTER DICTIONARY」が置かれているというべきだろう。
そうしたこだわりは引用した部分の他に、とりわけ「七月−サークルK・ルール集」に表われ、この章だけは日本文と英文の双方が収録されている。そこではまず「日本のルール」として、日常生活において守るべき13項目が挙げられ、続いて豐田市保見団地における、やはり13項目に及ぶ「ルール看板」の明細が示される。この団地の住民は八千人で、そのうちの二千人がブラジル人なのだ。そして「ルール看板」の他にも、ポルトガル語での説明もなされているというチラシの説明も引用されている。その1には「当公団住宅にはさまざまな人間が住んでいて、みなそれぞれ生活のリズムがちがいます。それに日本の文化と習慣は、他の国のそれとはちがいます。全員が公共生活の規則を守り、ご近所の方とのあいだに問題が生じるのを避けるようお願いします」と記されている。
それに対し、ヤマシタはブラジル人にとって、これらのルールのすべてに従うことは難しいにしても、この団地において、「ブラジル人としては可能なかぎりのしずけさ」、「最高にルールを守っている状態」だと推測し、「ブラジルのルール」11項目を挙げる。それらは「ルールというものはない」から始まり、「何をやってもうまくゆかないのだから、何もしないことが最善策かも」で終わるものだ。つまり「日本のルール」と「ブラジルのルール」は基本的に相反するものでありながら、団地では双方の歩み寄りによって、曲がりなりにも混住生活が現実化していることを示そうとしている。
そこにさらに重ねるように、ヤマシタは「英語を話しなさい」を筆頭に掲げた「アメリカのルール」9項目を付け加える。アメリカの日系三世で、ブラジル人の夫を持ち、ブラジルでの生活も経てきた彼女にとっては必然的に三つのルールが現前するのである。それは言語、文化、生活を異にする儀礼や習慣の差異に他ならないといえるが、彼女は最後にもうひとつのルールを付け加えるのだ。それは「サークルKのルール」で、これは次の三項目であり、日本語と英語の双方を示す。
1.自分の祖国に移住せよ。/Immigrate into own country.
2.好きな料理は自分で作れるようにする。/Learn to cook your favorite meals.
3.つねに、その次の問い、を問うこと。/Ask the next question.
これを私なりに解釈すると、ヤマシタが提出したサークルK からの自立の勧め、つまり三つのルール以上に日本人、ブラジル人、アメリカ人を囲い込み、日常生活を包囲してしまうコンビニシステムに対する意志表示のようにも思えてくる。それは彼女ならではの日常の郊外消費社会に関する新たな複合的視点とも見なせよう。
また最近になって日本で生まれ育った日系ブラジル人五人の若者たちを追った『孤独なツバメたち』 (津村公博、中村真夕監督、ティー・オー・エンタテイメント、二〇一三年)を観た。そこでも新しいドラマとルールの発生を見ることになったことを付け加えておこう。