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混住社会論148 奥田英朗『無理』(文藝春秋、二〇〇九年)

無理



本連載で、郊外消費社会が全国的に出現し始めたのは一九八〇年代だったことを繰り返し書いてきた。だからその歴史はすでに四半世紀の年月を経てきたことになる。それ以前の六〇年代から七〇年代にかけての郊外はまだ開発途上にあり、新しい団地に象徴されるように、高度成長期に地方から都市へと向かった人々にとって、ユートピアではないにしても、約束の地といったイメージが含まれていた。

そして八〇年代のファミリーレストラン、ファストフード、コンビニエンスストアなど始めとするロードサイドビジネスによる郊外の消費社会化は、その約束の地をコンビニエンスな空間へと変貌させたように見え、さらなる期待も含まれているかのようだった。しかしその隆盛とパラレルに、ロードサイドビジネスの建築様式はどれもCI(コーポレート・アイデンティティ)によって同一規格化されているために、全国各地の郊外の風景は均一画一化し、かつての商店街は衰退し、ゴーストタウン化していく一方だった。

だがそのような郊外への期待も九〇年代初頭のバブル崩壊とともに後退し、また今世紀に入ると、巨大な郊外ショッピングセンターの建設が始まり、飽和状態となっていた郊外消費社会の空洞化を迎えようとしていた。それと機を同じくして、ついにショッピングセンターも含んだ郊外消費社会をディストピアとして描いた物語の出現を見るに至った。その小説は〇九年九月に刊行された奥田英朗『無理』である。

『無理』は東北地方の人口十二万の「ゆめの市」を舞台としている。それは三つの町が合併して一年前に誕生した新しい地方都市で、紛れもない郊外消費社会であることが、物語の冒頭に映し出される風景からわかる。

 四車線ある国道の両脇には、原色の大きな看板が、不出来なテーマパークのように並んでいた。「靴」「酒」「本」。そこに掲げられた文字は、目立てばいいとでも言いたげだ。そして見事なまでに景観を破壊していた。子供の頃、家族とのドライブでこの辺りを通ったことがあるが、一面は美しい田園地帯だった。地元の子たちが凧揚げをしていてうらやましく思った記憶がある。今では量販店とファミリーレストランとパチンコ店の激戦区だ。おかげですべての駅前商店街がさびれ、シャッター通りと化した。
 中にひとつ、「夢野あるゆめの市」と大書きされた大きなボードがあった。今の市は「湯田」「目方(めかた)」「野方(のかた)」という三つの町が合併して誕生した。それぞれの頭の字を取って「ゆめの市」となった。これといった反対運動が起こらなかったことからして、たまたま語呂がよかった偶然が受け入れられたのだろう。「向日郡(むこうびぐん)」という歴史ある地名はあっさり葬り去られたのだ。

そのロードサイドのパチンコ店は平日の昼間でも五割方の入りで、定職についていない男と暇な主婦たちが大半を占め、学生と老人は意外に少なかった。それは時間つぶしにはリスクが大き過ぎたし、毎日通わなければ勝たない仕組みだったからだ。だが「もしパチンコ店がなかったら、無為に時間を過ごすしかない人間は居場所がない。たとえ時間潰しでも、行くところがあるというのは、彼らにとっての救いなのだ」。郊外消費社会のエリアシェアとして、パチンコ店はどの地域においても最大であろうし、それはギャンブル性とともに確かに「居場所」が求められていることによっているのだろう。それらだけでなく、『無理』において、パチンコ店は主婦売春の場としても機能し、郊外消費社会のロードサイドにある金と性のトポスに他ならないことを露出させている。

また同じく国道沿いにはドリームタウンという「ゆめの市」で唯一の観覧車付きの複合商業施設、つまりショッピングセンターがあり、両隣の市にあるジャスコイトーヨーカドーと熾烈に競合している。駅前デパートは閉店し、町は雪もつもり、風も強いので、車がないと買い物にもいけない。

だがその通称「ドリタン」もスーパーを中心として、いくつものロードサイド系飲食店のほかに、ボーリング場、シネコン、ゲームセンターなども揃っていたが、女子高生があこがれる洒落たブティックもカフェもない。といって出かける先はこのショッピングモールしかない。しかしここは万引の巣窟のようでもあり、痴漢も出没し、喧嘩もよく起きていた。それに近隣のロードサイド量販店との競合もあり、各店舗は一時間延長し、十時までの営業になっていた。

スーパーの副店長はぼやく。「こんな田舎で夜遅くまで開けんなよ。従業員なんて大半が主婦のパートだろうが。どうやって人員確保しろっていうのよ。(……)こういう競争して、いったい誰がしあわせになるのよ。わけがわかんねえ。(……)」

山を切り開いて建設された大型団地は高齢化が進み、死んだような限界集落となり、まともな就職先のない町からは若者たちが流出している。その結果、「ゆめの市」は中卒者と母子家庭の多さ、低所得者層と高齢単身世帯の著しい増加、全国平均の一・五倍に達する、三パーセントを超える離婚率を示し、被生活保護世帯は二十世帯に一世帯という四千世帯に至り、その金額は市の予算の十三パーセントに及んでいる。それに加えて、郊外大型店の進出で商店街がつぶれ、コミュニティが崩壊し、バイパスが市の中央を貫いているために外からの犯罪者の流入もあり、犯罪発生率が十年間で倍増し、それに部品工場で働くブラジル人労働者たちも増え、新たなマイノリティ・グループが形成されつつあった。

無理 上 無理 下(文庫版)
 ゆめの市には大手部品メーカーの工場があり、ここ数年ブラジルから多くの労働者が出稼ぎにきていた。中には、家族を呼び寄せて住み着く日系ブラジル人もいて、その子供たちが徒党を組み、悪さをすると問題になっていた。野方町の古い町営団地はもはやブラジル村で、中学校にもたくさんの転校生がいるようだ。

また日系ブラジル人たちばかりでなく、フィリピン女性たちも出現して、売春にいそしんでいるようだ。そしてそこに新興宗教も加わっている。すなわち『無理』におけるロードサイドビジネスとショッピングセンターの出現、三つの町の合併、日系ブラジル人やフィリピン人の流入などのすべてが、あわただしく形成されてしまったひとつの地方自治体の混住社会化を告げるものだった。

もちろん「ゆめの市」はフィクションであるにしても、その郊外消費社会に包囲された地方都市の風景や商店街のシャッター化は全国共通のものであり、いずこも同じような問題を抱えていることは周知の事実となっている。それゆえに『無理』は現在を彷彿させる物語コードにあふれているといえよう。事件も出来事も登場人物たちもあまりにもパターン化され、デフォルメが施されているにしても。

奥田は「ゆめの市」をこのように描き、説明することで、小さな地方都市そのものを「下流社会」として設定し、物語を立ち上がらせようとしている。それは意識して書きこまれた「どうせゆめの市には富裕層も知識層も存在しない」「いつの間にか中流神話は過去のものになった」などという言葉に象徴的に示されている。

それではこの物語のためにどのような登場人物たちが召喚されているのだろうか。当然のことながら、誰の目にも「灰色」に移る「ゆめの市」に晴れがましいヒーローやヒロインが姿を見せるはずもないが、それらの人々を紹介しておくべきだろう。

社会福祉事務所で生活保護者を担当する公務員の相原友則、引きこもり男に拉致監禁される女子高生の久保史恵、詐欺的訪問販売に従事する暴走族上がりの青年の加藤裕也、ドリームタウンで保安員を務め、新興宗教に入っている中年女の堀部妙子、産廃業者と癒着した不動産会社の社長でもある市会議員の山本順一、団地住民で母親と二人暮らしの失業男の西田肇などである。

このような登場人物たちをめぐって、離婚のトラウマ、崩壊した家庭、新興宗教の介入、人妻たちの援助交際、引きこもりのゲームマニアによる女子高生誘拐と監禁、産廃施設に対する反対運動、ブラジル人たちと地元の不良勢力との抗争、殺人事件などがふんだんに配置されていく。それらは近年に起きた様々な事件のパスティーシュのようでもある。そして主たる登場人物たちは郊外消費社会のメインステージともいうべき国道での破滅的な大団円に向けて連鎖し、加速していく。それは「ゆめの市」が名前と異なるディストピアであったことを否応なく露出させ、「灰色」の町の寒々しいドラマを終焉へと導くのである。

しかしこの『無理』は小説であることを考慮しても、なぜ郊外消費社会に包囲された「ゆめの市」が「下流社会」化したのかについて、地域社会と産業経済構造に関する言及がないので、リアリティに欠けているといわざるをえない。その理由を、かつてはつながりのある地域共同体で、政治や行政も経済もうまくいっていたのに、都会の消費社会的ドラスチックな部分だけを導入したばかりに崩れてしまったこと、地方には文化がないことに起因すると説明されているが、これらの事件に拮抗する説得力としてはとても物足りず、物語の基盤を支えるリアルなものとなっていない。

それは郊外消費社会の背景にある混住社会化を表層的に描いていても、ダイレクトに対置させず、直視していないからのように思える。本連載で既述してきたように、この「混住社会」というタームは一九七二年版の『農業白書』で初めて提出されたもので、当初は郊外における農家と非農家、つまり農業をベースとする在来住民とサラリーマンを主とする流入住民の「混住」を意味していた。私はこの「混住」の意味を広範に解釈し、農耕社会と消費社会、持家とアパート・マンション、日本人とブラジル人、様々なビジネスなどの「混住」の問題にまで当てはめ、それらの「混住」の可能性を見出すべきだと考えてきた。そして郊外の果てへの旅の向うに立ち上がるであろう混住社会を幻視すべきだと。

だからこのような視点からすると、『無理』の前述した主たる登場人物たちはほとんど在来住民たちで、「ゆめの市」という「下流社会」の問題は彼らの視点から組み立てられた物語でしかない。そのために姿は見えても、流入住民やブラジル人たちの眼差しが含まれておらず、立体的なイメージを伴って「ゆめの市」が出現していない。あるいは混住の有機的シーンも垣間見られない。それゆえに破滅的大団円へと至るディストピア小説として終わってしまったことになる。

例えば、本連載23 の桐野夏生の『OUT』(講談社文庫)において、同じように郊外消費社会とコンビニの弁当工場が描かれ、日系ブラジル人たちも登場しているが、郊外消費社会と工場の関係、ヒロインと彼らの共生が物語のラストできわめて効果的に浮かび上がってくる仕掛けになっていた。だが残念なことに『無理』も元保安員の中年女が弁当工場に勤めるようになるのだが、彼女と工場と宗教との関係も今ひとつ明確なイメージに至らず、中途半端な幕切れのように見える。その新興宗教問題にしても、本連載29 の篠田節子の『ゴサイタン・神の座』(双葉文庫)のような玄妙さと奥行に欠けている。

OUT 上 OUT 下 ゴサインタン・神の座

このように『無理』は郊外消費社会に象徴される地方都市ノディストピア小説としての欠点をあげていけば、さらに多くを指摘できる。しかし奥田がこの『無理』を構想するに至ったのは、物語作家として全国各地で目撃してきた尋常ならぬ地方商店街に代表される疲弊した風景、「中流神話」が崩壊してしまった風景に触発されたからに他ならないだろう。彼もまたその風景の中に、村上龍が今世紀初頭の日本社会を描いた『希望の国のエクソダス』(文春文庫)において、主人公に呟かせた「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが希望だけがない」という言葉を聞きつけたのではないだろうか。「この国」を「郊外消費社会」と読み換えても、それはまったく同じだからである。それがさらに切実な声となって、『無理』の物語からも聞こえてくる。だがその破綻のイメージは提出されても、真の「エクソダス」への道はまだ発見されていない。
希望の国のエクソダス

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」147  伊井直行『ポケットの中のレワニワ』(講談社、二〇〇九年)
「混住社会論」146  吉田修一『悪人』(朝日新聞社、二〇〇七年)
「混住社会論」145  窪 美登『ふがいない僕は空を見た』(新潮社、二〇一〇年)
「混住社会論」144  畑野智美『国道沿いのファミレス』(集英社、二〇一一年)
「混住社会論」143  森絵都『永遠の出口』(集英社、二〇〇三年)
「混住社会論」142  本間義人『国土計画を考える』(中央公論社、一九九九年)と酉水孜郎『国土計画の経過と課題』(大明堂、一九七五年)
「混住社会論」141  『田中角栄『日本列島改造論』(日刊工業新聞社、一九七二年)
「混住社会論」140  『佐久間ダム建設記録』(ジェネオン、二〇〇七年)
「混住社会論」139  デイヴィッド・グターソン『殺人容疑』(講談社文庫、一九九六年)
「混住社会論」138  ニーナ・ルヴォワル『ある日系人の肖像』(扶桑社ミステリー、二〇〇五年)
「混住社会論」137  アップダイク『カップルズ』(新潮社、一九七〇年)
「混住社会論」136  トルーマン・カポーティ『冷血』(新潮社、一九六七年)と高村薫『冷血』(毎日新聞社、二〇一二年)
「混住社会論」135  山上たつひこ、いがらしみきお『羊の木』(講談社、二〇一一年)
「混住社会論」134  古谷実『ヒミズ』(講談社、二〇〇一年)
「混住社会論」133  小田扉『団地ともお』(小学館、二〇〇四年)
「混住社会論」132  篠原雅武『生きられたニュータウン』(青土社、二〇一五年)と拙著『民家を改修する』(論創社、二〇〇七年)
「混住社会論」131  江藤淳、吉本隆明「現代文学の倫理」(『海』、一九八二年四月号)
「混住社会論」130  Karen Tei Yamashita , Circle K Cycles(Coffee House Press、二〇〇一年)
「混住社会論」129  高橋幸春『日系ブラジル移民史』(三一書房、一九九三年)と麻野涼『天皇の船』(文藝春秋、二〇〇〇年)
「混住社会論」128  邱 永漢『密入国者の手記』(現代社、一九五六年)
「混住社会論」127  宮内勝典『グリニッジの光りを離れて』(河出書房新社、一九八〇年)
「混住社会論」126  江成常夫『花嫁のアメリカ』(講談社、一九八一年)と有吉佐和子『非色』(中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」125  トシオ・モリ『カリフォルニア州ヨコハマ町』(原書一九四九年、毎日新聞社一九七八年)
「混住社会論」124  スティーヴン・グリーンリーフ『探偵の帰郷』(早川書房、一九八五年)とリチャード・ピアス『カントリー』(ポニー、一九八四年)『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」123  『アメリカ教育使節団報告書』(一九四六年、講談社学術文庫、一九七九年)
「混住社会論」122  カムマーン・コンカイ『田舎の教師』(勁草書房、一九八〇年)
「混住社会論」121  谷恒生『バンコク楽宮ホテル』(講談社、一九八一年)
「混住社会論」120  矢作俊彦『THE WRONG GOODBY ロング・グッドバイ』(角川書店、二〇〇四年)
「混住社会論」119  スタインベック『怒りの葡萄』(原書、一九三九年、第一書房、一九四〇年)とピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』(東洋経済新報社、二〇〇七年)
「混住社会論」118  ゾラ『大地』(原書、一八八七年、論創社、二〇〇五年)と長塚節『土』(春陽堂、一九一二年)
「混住社会論」117  渡辺京二『逝きし世の面影』(葦書房、一九九八年)と久米邦武編『特命全権大使 米欧国回覧実記』(新橋堂、一八七八年)
「混住社会論」116  ゾラ『ボヌール・デ・ダム百貨店』(原書、一八八三年、論創社、二〇〇二年)
「混住社会論」115  M・M・ジンマーマン『スーパーマーケット』(経済界、一九六二年)
「混住社会論」114  『大和ハウス工業の40年』(同編集委員会、一九九五年)
「混住社会論」113  安土敏『小説スーパーマーケット』(日本経済新聞社、一九八一年)とテーラー『科学的管理法』(産業能率短期大学出版部、一九六九年)
「混住社会論」112  藤田 田『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、一九七二年)と『日本マクドナルド20年のあゆみ』(同社、一九九一年)
「混住社会論」111  ジョージ・リッツア 『マクドナルド化する社会』(早稲田大学出版部、一九九九年)
「混住社会論」110  藤原伊織『名残り火』(文藝春秋、二〇〇七年)
「混住社会論」109  ピエール・ブルデュー『住宅市場の社会経済学』(藤原書店、二〇〇六年)と矢崎葉子『それでも家を買いました』(大田出版、一九九〇年)
「混住社会論」108  庄野潤三『夕べの雲』(講談社、一九六五年)
「混住社会論」107  宮部みゆき『理由』(朝日新聞社、一九九八年)
「混住社会論」106  黄 春明『さよなら・再見』(めこん、一九七九年)
「混住社会論」105  日影丈吉『内部の真実』(講談社、一九五九年)
「混住社会論」104  ウェイ・ダーション『セデック・バレ』(マクザム+太秦、二〇一一年)
「混住社会論」103  松本健一『エンジェル・ヘアー』(文藝春秋、一九八九年)
「混住社会論」102  村上春樹『羊をめぐる冒険』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」101  赤坂真理『ヴァイブレータ』(講談社、一九九九年)
「混住社会論」100  中上健次『日輪の翼』(新潮社、一九八四三年)
「混住社会論」99  多和田葉子『犬婿入り』(講談社、一九九三年)
「混住社会論」98  本間洋平『家族ゲーム』(集英社、一九八二年)
「混住社会論」97  黒岩重吾『現代家族』(中央公論社、一九八三年)
「混住社会論」96  近藤ようこ『ルームメイツ』(小学館、一九九七年)
「混住社会論」95  鎌田敏夫『金曜日の妻たちへ』(角川文庫、一九八五年)
「混住社会論」94  山田太一『岸辺のアルバム』(東京新聞社、一九七七年)
「混住社会論」93  小島信夫『抱擁家族』(講談社、一九六五年)と『うるわしき日々』(読売新聞社、一九九七年)
「混住社会論」92  佐藤洋二郎『河口へ』(集英社、一九九二年)
「混住社会論」91  佐藤泰志『海炭市叙景』(集英社、一九九一年)
「混住社会論」90  梶山季之『夢の超特急』(光文社カッパノベルス、一九六三年)
「混住社会論」89  岩瀬成子『額の中の街』(理論社、一九八四年)
「混住社会論」88  上林暁『武蔵野』(現代教養文庫、一九六二年)島田謹介『武蔵野』(暮しの手帖社、一九五六年)
「混住社会論」87  徳富蘆花『自然と人生』(民友社、一九〇〇年)と『みみずのたはこと』(新橋堂、一九〇七年)
「混住社会論」86  佐藤春夫『田園の憂鬱』(新潮社、一九一九年)と『都会の憂鬱』(同前、一九二三年)
「混住社会論」85  『東京急行電鉄50年史』(同社史編纂委員会、一九七二年) 『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」84  『萩原朔太郎写真作品 のすたるぢや』(新潮社、一九九四年)
「混住社会論」83  谷崎潤一郎『痴人の愛』(改造社、一九二五年)
「混住社会論」82  三浦朱門『武蔵野インディアン』(河出書房新社、一九八二年)
「混住社会論」81  大岡昇平『武蔵野夫人』(講談社、一九五〇年)
「混住社会論」80  国木田独歩『武蔵野』(民友社、一九〇一年)
「混住社会論」79  水野葉舟『草と人』(植竹書院、一九一四年、文治堂書店、一九七四年)
「混住社会論」78  小田内通敏『帝都と近郊』(大倉研究所、一九一八年、有峰書店、一九七四年) 『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」77  『都市から郊外へ―一九三〇年代の東京』(世田谷文学館、二〇一二年)
「混住社会論」76  『宝塚市史』(一九七五年)と『阪神間モダニズム』(淡交社、一九九七年)
「混住社会論」75  小林一三『逸翁自叙伝』(産業経済新聞社、一九五三年)と片木篤・藤谷陽悦・角野幸博編『近代日本の郊外住宅地』(鹿島出版会、二〇〇〇年)
「混住社会論」74  柳田国男『明治大正史世相篇』(朝日新聞社、一九三一年)と山口廣編『郊外住宅地の系譜』(鹿島出版会、一九八七年)
「混住社会論」73  柳田国男『都市と農村』(朝日新聞社、一九二九年)
「混住社会論」72  内務省地方局有志『田園都市と日本人』(博文館一九〇七年、講談社一九八〇年)
「混住社会論」71  ローラン・カンテ『パリ20区、僕たちのクラス』(ミッドシップ、二〇〇八年)とフランソワ・ベゴドー『教室へ』(早川書房、二〇〇八年)
「混住社会論」70  マブルーク・ラシュディ『郊外少年マリク』(集英社、二〇一二年)
「混住社会論」69  『フランス暴動 階級社会の行方』(『現代思想』二〇〇六年二月臨時増刊、青土社)
「混住社会論」68  ディディエ・デナンクス『記憶のための殺人』(草思社、一九九五年)
「混住社会論」67  パトリック・モディアノ『1941年。パリの尋ね人』(作品社、一九九八年)
「混住社会論」66  ジャン・ヴォートラン『グルーム』(文春文庫、二〇〇二年)
「混住社会論」65  セリーヌ『夜の果ての旅』(原書一九三二年、中央公論社、一九六四年)
「混住社会論」64  ロベール・ドアノー『パリ郊外』(原書一九四九年、リブロポート、一九九二年)
「混住社会論」63  堀江敏幸『郊外へ』(白水社、一九九五年)
「混住社会論」62  林瑞枝『フランスの異邦人』(中公新書、一九八四年)とマチュー・カソヴィッツ『憎しみ』(コロンビア、一九九五年)
「混住社会論」61  カーティス・ハンソン『8Mile』(ユニバーサル、二〇〇二年)と「デトロイトから見える日本の未来」(『WEDGE』、二〇一三年一二月号)
「混住社会論」60  G・K・チェスタトン『木曜の男』(原書一九〇八年、東京創元社一九六〇年)
「混住社会論」59  エベネザー・ハワード『明日の田園都市』(原書一九〇二年、鹿島出版会一九六八年)
「混住社会論」58  『日本ショッピングセンターハンドブック』と『イオンスタディ』(いずれも商業界、二〇〇八、〇九年)
「混住社会論」57  ビクター・グルーエン『ショッピングセンター計画』『都市の生と死』(いずれも商業界、一九六九、七一年)
「混住社会論」56  嶽本野ばら『下妻物語』(小学館、二〇〇二年)
「混住社会論」55  佐伯一麦『鉄塔家族』(日本経済新聞社、二〇〇四年)
「混住社会論」54  長嶋有『猛スピードで母は』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」53  角田光代『空中庭園』(文藝春秋、二〇〇二年)
「混住社会論」52  宮沢章夫『不在』(文藝春秋、二〇〇五年)
「混住社会論」51  吉本由美『コンビニエンス・ストア』(新潮社、一九九一年)と池永陽『コンビニ・ララバイ』(集英社、二〇〇二年)
「混住社会論」50  渡辺玄英『海の上のコンビニ』(思潮社、二〇〇〇年)
「混住社会論」49  いがらしみきお『Sink』(竹書房、二〇〇二年)
「混住社会論」48  佐瀬稔『金属バット殺人事件』(草思社、一九八四年)と藤原新也『東京漂流』(情報センター出版局、一九八三年)
「混住社会論」47  山本直樹『ありがとう』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」46  重松清『定年ゴジラ』(講談社、一九九八年)
「混住社会論」45  ジョン・ファウルズ『コレクター』(白水社、一九六六年)
「混住社会論」44  花村萬月『鬱』(双葉社、一九九七年)
「混住社会論」43  鈴木光司『リング』(角川書店、一九九一年)
「混住社会論」42  筒井康隆『美藝公』(文藝春秋、一九八一年)
「混住社会論」41  エド・サンダース『ファミリー』(草思社、一九七四年)
「混住社会論」40  フィリップ・K・ディック『市に虎声あらん』(平凡社、二〇一三年)
「混住社会論」39  都築響一『ROADSIDE JAPAN 珍日本紀行』(アスペクト、一九九七年)
「混住社会論」38  小林のりお と ビル・オウエンズ
「混住社会論」37  リースマンの加藤秀俊 改訂訳『孤独な群衆』(みすず書房、二〇一三年)
「混住社会論」36  大場正明『サバービアの憂鬱』(東京書籍、一九九三年)
「混住社会論」35  ジョージ・A・ロメロ『ゾンビ』(C-Cヴィクター、一九七八年)
「混住社会論」34  エドワード・ホッパーとエリック・フィッシュル
「混住社会論」33  デイヴィッド・リンチ『ブルーベルベット』(松竹、一九八六年)
「混住社会論」32  黒沢清『地獄の警備員』(JVD、一九九二年)
「混住社会論」31  青山真治『ユリイカ EUREKA』(JWORKS、角川書店、二〇〇〇年)
「混住社会論」30  三池崇史『新宿黒社会 チャイナ・マフィア戦争』(大映、一九九五年)
「混住社会論」29  篠田節子『ゴサインタン・神の座』(双葉社、一九九六年)
「混住社会論」28  馳星周『不夜城』(角川書店、一九九六年)
「混住社会論」27  大沢在昌『毒猿』(光文社カッパノベルス、一九九一年)
「混住社会論」26  内山安雄『ナンミン・ロード』(講談社、一九八九年)
「混住社会論」25  笹倉明『東京難民事件』(三省堂、一九八三年)と『遠い国からの殺人者』(文藝春秋、八九年)
「混住社会論」24  船戸与一「東京難民戦争・前史」(徳間書店、一九八五年)
「混住社会論」23  佐々木譲『真夜中の遠い彼方』(大和書房、一九八四年)
「混住社会論」22  浦沢直樹『MONSTER』(小学館、一九九五年)
「混住社会論」21  深作欣二『やくざの墓場・くちなしの花』(東映、一九七六年)
「混住社会論」20  後藤明生『書かれない報告』(河出書房新社、一九七一年)
「混住社会論」19  黒井千次『群棲』(講談社、一九八四年)
「混住社会論」18  スティーヴン・キング『デッド・ゾーン』(新潮文庫、一九八七年)
「混住社会論」17  岡崎京子『リバーズ・エッジ』(宝島社、一九九四年)
「混住社会論」16  菊地史彦『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、二〇一三年)
「混住社会論」15  大友克洋『童夢』(双葉社、一九八三年))
「混住社会論」14  宇能鴻一郎『肉の壁』(光文社、一九六八年)と豊川善次「サーチライト」(一九五六年)
「混住社会論」13  城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1