出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

ブルーコミックス論17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)

青龍 ブルードラゴン


『青龍』(以下ブルードラゴンを省略)は一九二四年の中華民国、北京の紫禁城の場面から始まる。清朝ラストエンペラー愛新覚羅溥儀道教による神託を待ち、自らが皇帝として返り咲く可能性を問う。老祭司は神託の詩文を伝える。

「ご先祖様である女真族の地に再び帝国を築かれると現れております。はい!詩文によりますと、天子様は数年後、東方の国の支援により。(中略)
 しかしその帝国の天空に一匹の青龍が現れるともあります!(中略)その青龍は天子様の帝国を縦横無尽に駆け巡るとあります! このコトをあだやおろそかに考えられてはなりませぬぞ!」

溥儀はそれが満州で、「青龍とは東方の地を守ると言われる神獣か?」「その青龍は朕に味方するものか?」と重ねて尋ねる。しかしその答えを発することなく、老祭司は中華民国軍の兵士によって射殺され、溥儀は紫禁城を追われることになる。

溥儀の言葉にあるように、タイトルの「青龍」=「ブルードラゴン」とは「東方の血を守ると言われる神獣」のことで、手元にある『漢語林』(大修館書店)の青の部を引いてみると、確かに見つかり、そのように定義されている。それにしても、あらためてその「青の部」に目を通していくと、「青」にまつわる多くの漢語の存在を教えられ、「青」が秘めている多彩な意味作用に思いをめぐらせてしまう。そのひとつに「青史」という言葉がある。それは「歴史のこと。紙のなかった時代、竹の青皮を火であぶり、その上に書いたことからいう」と定義されている。そして同義語として、「殺青(サツセイ)」も挙げられ、こちらは「転じて、文書」とも書かれている。

木内と八坂によるこの『青龍』もまたコミックで描かれた満州をめぐる「青史」、もしくは「殺青」、しかも偽史によって構築された満州の物語に他ならず、それは一九八〇年代から九〇年代にかけて提出された満州をめぐる物語群である、ベルトリッチの映画『ラストエンペラー』安彦良和『虹色のトロツキー』山口昌男『「挫折」の昭和史』荒俣宏『帝都物語』などとも通底しているはずだ。また映画のことを付け加えれば、岡本喜八『独立愚連隊』増村保造などの『兵隊やくざ』シリーズも彷彿させる。

ラストエンペラー 虹色のトロツキー 「挫折」の昭和史 帝都物語 独立愚連隊 兵隊やくざ


『青龍』の物語は紫禁城と溥儀のシーンの後、いきなり昭和五年の東京市大東流合気柔術の道場に移る。この道場主は植芝盛平で、彼は安彦の『虹色のトロツキー』などにも登場する満州人脈のキーパーソンの一人である。植芝について、私はすでに古本夜話145 で既述しているので、興味のある読者はそちらも参照されたい。

その植芝の道場で稽古をしているのは青柳龍兵で、これがいうまでもなく主人公である。龍兵は背中に青き龍の刺青が入っている博奕打ちのヤクザの青年だが、召集令状が届き、麻布の歩兵連隊に入営し、関東軍の奉天独立守備隊へ編入されることになる。そして植芝と並んで、これも満州の物語に不可欠の石原莞爾も登場する。

龍兵は射撃に腕前を発揮しながらも、スパイ容疑で処刑寸前の関東軍出入りの中国人商人の命を救ったために、軍を捨て、祖国を捨て、一介のアジア人として生きる道を選ぶ。上官殺しで関東軍から手配書が回った龍兵は虎丹(フータン)遊撃隊に加わろうとする。遊撃隊とは規律と仁義によって結びつき、匪賊から村を守ることを仕事とする集団であった。だが東洋鬼の日本人ゆえにスパイ扱いされ、処刑の場に追いやられた。その時、龍兵の背中の刺青があらわになり、その「青龍」に免じられ、処刑は中止となる。そして龍兵は遊撃隊の長老誘拐事件を見事に解決し、自由の身を確保し、馬賊兼遊撃隊の一員としての新たな中国での生活が始まっていく。

それは遊撃隊の人々と関係者たちが龍兵の刺青に、国が乱れ、人々が苦しんでいる時、東方より青龍が現われ、悪鬼、悪霊を倒し、この地を救うという伝説を投影したからだった。はたして龍兵はまさにその「青龍」なのだろうか。

「青龍」伝説は道教やラマ教に基づき、満州に根を下ろしていた。その一方で、満鉄の傘下にある炭鉱から、氷に閉じこめられた青い恐竜が現われ、そこには始皇二十六年、徐福と記された石板の碑文があり、古代にこの恐竜を発見した痕跡が浮かび上がる。この恐竜が「青龍」だとも囁かれ始める。徐福とは日本渡来伝説のある仙術士であり、恐竜の発見に絡んで、数年前に出雲大社で見つかった古文書に日中戦争が予言され、その勝者は「青龍」を手に入れた者だと書かれていたことから、軍の特務機関も動き出す。また他方で、龍兵は憤怒と危機の中で、異形の者に変身し、咆哮誅戮を尽くす存在となり、その状態を「青龍」とも目されるようになる。

これが第2巻までのストーリーである。ここで「青龍」の謎をめぐる溥儀、関東軍と満鉄と虎丹遊撃隊が出揃い、その中心に龍兵が位置するイントロダクションの紹介が終わり、それ以後、物語は第17巻まで続いていくのである。その間に、当初満州と偽史と近代史をめぐって展開されるはずであった「青龍」伝説は、人間の歴史と恐竜、龍人、龍神進化説なども物語にオーバーラップすることで、SF的なテーマをも帯びるようになる。そして第8巻に至って、鳧渓(ふけい)という恐竜のような怪鳥の出現とその長く続く戦いに及んで、『青龍』はパニックバイオレンス物語のような様相を呈してくる。

それゆえにいってみれば、安彦の『虹色のトロツキー』や村上もとかの『龍―RON』と同様な満州を舞台とする近代史物語が、途中から永井豪の『デビルマン』『バイオレンスジャック』的な物語へと転化してしまった印象を与える。そのこともあって、『青龍』は第17巻を最後にして、第一部完となり、第二部も予告されていたが、そのまま再開されずにすでに十年近くが経ち、もはやそこで物語は中絶してしまったと考えられる。

龍―RON デビルマン バイオレンスジャック

それは最終巻の巻末四ページにわたって掲載された原作のための「参考文献」を見るとわかるような気がする。それらの「参考文献」は昭和史と中国史と満州を始めとして多数に及び、そこから物語のファクターが膨大に注入されたことで、収拾がつかなくなってしまった感がうかがわれる。それゆえに袋小路に陥ってしまい、再開にこぎつけることも困難であったと判断できる。

しかしこの『青龍』の物語が示してくれたのは、青が東方の色、龍が、龍、鳳凰、麒麟、亀の四霊のひとつであること、そして「青龍」が古来から瑞兆のものとされ、青龍、白虎、朱雀、玄武の四神のうちで、最も高貴なものとして東方に位置することであった。そして『青龍』の物語の展開を通じて、そのような中国神話に基づく「青龍」のイメージが躍動すること、まだそこに知られざる「青」が秘められている意味作用があることを教えられた。そのような未知の「青」のイニシエーション物語として、『青龍』を読むことができるし、そこにタイトルに秘められたひとつの意味があるように思える。


次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1