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古本夜話164 黒田鵬心と「趣味叢書」発行所

前回日本美術学院の『美術辞典』にふれ、その編集者が石井柏亭、黒田鵬心、結城素明であると記しておいた。石井柏亭や結城素明はともに東京美術学校出身の画家であり、石井のラインをたどっていくと、平福百穂や結城とともに新日本画運動に参加し、山本鼎や森田恒友たちと美術雑誌『方寸』を創刊し、また木下杢太郎とパンの会も、結成に至る軌跡を追うことができる。

大正二年に日本美術学院を立ち上げ、同四年に中央美術社から美術総合誌『中央美術』を創刊することになる田口掬汀は平福と同郷で、二人とも新声社の社員であったことから、平福を通じて石井や結城といった画家たちの支援を受け、美術学校と出版社に挑んでいったのである。その一端が『美術辞典』の編著者名として表れているのだろう。

しかし石井や結城は画家として知られているにしても、もう一人の黒田鵬心はそれほどポピュラーな名前ではない。だが幸いなことに『日本近代文学大事典』には次のように立項されている。
日本近代文学大事典

 黒田鵬心(くろだほうしん) 明治一八・一・一五―昭和四二・三・一八(1885〜1967)美術評論家。東京生れ。本名明信。明治四三年、東大哲学科卒(美学美術史専攻)。はじめ読売新聞社につとめ、芸文誌方寸同人になる。大正一三年、黒田清輝の推挙で日仏芸術社を仏人デルスニスと共同主催、雑誌「日仏芸術」を発行、また昭和六年まで、九回にわたりフランス美術展を開催、西欧美術の紹介に貢献した。(後略)