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古本夜話186 中村星湖「この岸あの岸」と初訳『ボヴァリー夫人』

和田伝編『名作選集日本田園文学』には農民文芸会の中村星湖の短編「この岸あの岸」も収録されている。これは大正六年に『中央公論』掲載の短編なので、筑摩書房の中村星湖集も兼ねる『明治文学全集』72『精選中村星湖集』早稲田大学出版部)でも読むことのできない作品である。
精選中村星湖集

和田が「星湖の代表作」とよぶ「この岸あの岸」は川漁師の作平を主人公としている。彼はいつも自分の舟を小川につないでおくのだが、盆のその日に限って舟が見当たらなかった。そこで川に沿って探していると、湖水の方に自分の小舟らしきものが認められ、それが近づいてきた。乗っているのは二人の男と一匹の犬で、船が岸に着き、彼らが降りてきた。作平は舟盗人だと考え、腹を立ててどなり声を上げながら飛び出した。二人の若者は驚き、後ずさりしたが、ジョンと呼ばれる洋犬が激しく吠え、ぼろ着物をまとった作平に飛びかかろうとしたので、彼の憤怒はさらにつのり、若者たちに詰め寄った。すると二人は小学校の教師で、友人の孝一君が借りたものだと答えた。一人は村の生まれで、背が高く眼鏡をかけ、もう一人は町場者らしい様子をしていた。孝一は作平が金を借りたりしている村の有力者の専造の息子で、東京の学校に出ていて、休暇で帰ってきた一週間ほど前に、空いている時は使って下さいと空世辞をいったことを作平は思い出した。「孝一の奴は生意気だ! 東京へ出てすこしばかり学問をし申すのなんのつて、それを鼻先にぶらさげやがつて、ひとの物を平気で乗回して、職業の妨げになる事も考へない」と作平は二人に言う。犬も孝一の家で飼われているのだった。

この短編の登場人物のコントラストはすでに明らかだ。川漁師、小舟、ぼろ着物の作平に対して、背の高い眼鏡をかけた村生まれの若者と町場者らしい同じく教師、東京の学校に入った孝一、ジョンと名づけられた犬などが置かれ、明治の近代化を通じ、学歴と知識によって目に見えて新たな階級格差が生じ、固定化していた事実を突きつけ、それらがタイトルの「この岸あの岸」に象徴されているのだろう。

実際に「この岸」の側にいると見ていい、作平の生活が描かれていく。様々な仕事の失敗で自分の家を人手に渡してから十数年に及ぶ貧しい借家暮らし、犬のことを彷彿させる不具の子供とその火傷、夫婦の諍い、そのような生活の中での唯一の希望は湖の向こうの医院の薬局生となり、医者の修業に出ている次男で、彼が前述の若者たちと同様の「あの岸」を象徴しているのだろう。しかし作平は「この岸」にとどまるしかなく、この短編の最後の場面で、向こう岸の医院を目にしながら、身体がおかしくなり舟から水の中へ落ちてしまう。星湖は「深く、深く……」と最後を結び、その死を暗示させている。

「この岸あの岸」も星湖がずっと試みてきたフランス自然主義を範とする農民小説、もしくは地方主義的小説と考えられる。しかも彼はこのような短編の創作と並行して、フローベール『ボヴァリー夫人』の最初の翻訳と改訳に取り組んでいた。大正五年に『ボワ゛リイ夫人』は早稲田大学出版部から刊行されたが、発禁処分となる。これは未見だが、城市郎『発禁本』(「別冊太陽」)にその書影が掲載されている。なお同じくフローベール『サランボオ』も大正二年に博文館の「近代西洋文芸叢書」の一冊として生田長江訳で出され、大正前期にゾラやモーパッサンも含めたフランス自然主義の作品の紹介が始まりつつあった。なお生田訳『サランボオ』は横光利一『日輪』を生み出したと伝えられている。

ボヴァリー夫人 発禁本 (神部孝訳) 日輪

そして星湖による改訳版『ボワ゛リイ夫人』が大正九年に新潮社の『世界文芸全集』の第一編として刊行される。ここでは直接その物語にはふれないので、そのよく知られた冒頭の一節がどのように訳されていたかだけを示しておこう。

 皆は学科の最中であつた、そこへ校長が平服を着た「新入生」と大きな机を持つた学僕とを連れて入つて来た。坐眠(ゐねむり)をしてゐた者共は眼をさました。そして銘々が勉強してゐたところを驚かされたといふ風に起立した。

このような訳文によって、『ボヴァリー夫人』も日本に入ってきたのだ。
それはともかく、星湖はこの改訳の「翻訳者序」において、「多少の感慨なきを得ない」と述べ、島村抱月に命じられた最初の翻訳に付した序文の一部を掲載し、改訳の序にすると記している。ここに星湖と同時代の人々が捉えたフローベール像が表出していると思われる。

 ギュスタアヴ フロオベエルは世界に於ける自然主義文芸の開祖と呼ばれてゐるが、彼はさう呼ばれるのには、一方に余りに大きいロマンチストであり、理想家であつた。彼の経験と観察と精緻な描写とは、いかにも写実家の立派な資格を成してゐるが、彼の作物全体の印象は一大抒情詩であり、一大音楽である。まづは彼の第一作『ボワ゛リイ夫人』を読んでいるが好い。其頃実在した或田舎医者名の細君がモデルで、(中略)書かれたエンマの心持、エンマの周囲、エンマの時代は、書いたフロオベエルの心持、フロオベエルの周囲、フロオベエルの時代である。

そしてこの「ミリウ(周囲)」が自然主義にとって重要で、サブタイトルの「田舎風俗」に従えば、「郷土芸術の暁鐘」でもあり、一女性の記録とすれば、「婦人問題の先駆」であることはもちろんだが、単に「一人の女性もしくは数多の個人の生活記録ではなく、彼女もしくは彼等を象徴として、彼等の深い背景を、もしくは作者自身が生きてゐた大きな時代を表はそうとした」と星湖は述べている。またそれだけにとどまらず、『ボワ゛リイ夫人』は「第十九世紀の欧州大陸の精神界物質界を併せ収めた人間生活の縮図」にして、「哲学的に言へば、作者一人の心の現象」だとも付け加えている。

このような広範にして深いパースペクティブのうちに、大正時代に『ボヴァリー夫人』の初訳がなされたことにある種の感動を覚えてしまうのは私だけだろうか。

おそらくこのような視座も含んで、星湖の農民小説と地方主義的小説も書かれていたはずであり、「この岸あの岸」も作平と星湖の「ミリウ(周囲)」「心持」「時代」を描くことによって、当時の農村の「人間生活の縮図」と「作者一人の心の現象」を表出させる試みの一編であるように思える。もちろん『ボヴァリー夫人』とは完成度からして比較にならないにしても。

なお付け加えておけば、この『ボワ゛リイ夫人』はさらに改訳され、円本時代の新潮社の『世界文学全集』20に、モーパッサン広津和郎『女の一生』とともに収録され、その印税によって、星湖は昭和三年にフランス留学を果たし、フローベールの姪のカロリーヌを訪ねたりすることになる。

女の一生 (広津和郎訳、角川文庫)

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