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ブルーコミックス論28 秋里和国『青のメソポタミア』(白泉社、一九八八年)



戦後史の記憶の中にあって、色彩、それも「青」に関するエピソードとして、最も強い印象を残したのは、人類史上最初の宇宙飛行士となったソ連ガガーリンの「地球は青かった」という発言であろう。それは人間が初めて外から地球を見ての証言であり、まさに広く人口に膾炙した言葉ともなり、米ソ競合宇宙開発時代におけるキャッチコピーのように世界史にも記憶されたと思われる。それがいつの出来事であったのかを確認してみると、一九六一年のことだった。

今回取り上げる『青のメソポタミア』の作者秋里和国は昭和三十五年前後に生まれ、所謂「35年組」に属するようなので、私たちの世代がガガーリンの「地球は青かった」という言葉をリアルタイムで知ったことに比べ、すでにそのエピソードを宇宙開発時代の歴史的事柄として認識する世代になっていたとわかる。その歴史との距離感こそが、古代メソポタミアの神話とガガーリンの言葉をつなぐ『青のメソポタミア』という物語を成立させたのではないだろうか。

『青のメソポタミア』は第1部、第2部構成で、物語のテーマはそれぞれ異なっている。ここでは「青」の物語に他ならない第1部を紹介してみよう。惑星エンリルアッカド王朝の王が亡くなり、次の星王はジウド王子に決まった。本命はシュメール家のアダム王子だと目されていたが、王の印の指輪は皇后を通じ、ジウドへと渡されていたからだ。王夫妻には子供がいなかったので、王族に属する同年齢の甥であるアダムとジウドのどちらかに王位を譲るという含みで、養子に迎えていたのだった。

しかしアダムは生前の王から王位の継承を伝えられていたこともあり、ジウドへの指輪の譲渡を疑っていたが、王位に執着がなかったので、王宮からも身を引くことにした。ジウドの王位継承の真相は彼が皇太后の愛人になっていたからだった。それにアダムは宇宙開発局研究所に所属し、「惑星“青”」に興味を募らせ、その調査団に参加する予定になっていた。

その調査団の総指揮者は王族を嫌悪するカイン・アベルサルゴン中佐で、アダムに対しても同様の態度を示す。一年間に及ぶ調査団の目的は水を唯一保有すると見られる「惑星“青”」を王朝の植民星にできるかどうかの調査にあり、アダムを慕う言語学者のエバもそのメンバーに加わっていた。プラズマ炉の開発によって、何万光年もの移動が可能になった宇宙船は次第に「惑星“青”」の磁場に入っていく。それは月を衛星とし、1日を24時間とする自転、1年を365日とする恒星の周りの一巡を示し、その後で地形図が映し出され、次に熱センサーによって生命体が捉えられる。動物たちに続いて、人間の姿が浮かび上がる。石器時代におけるホモ・サピエンスの姿だった。アダムとエバの会話を引いてみる。

 「まるで石器時代。ほぼ同じレベルの文明の集落がかなり広域にわたり分布しています」
 「ホモ・サピエンスか、残念だな。ホモ・サピエンスのいる星の植民地化は禁じられているからな。
 とりあえず青人(あおじん)に接触しないよう調査だけ行おう。(中略)話にはきいていたけど、人間のいる星に降りるのは、わたしは初めてだ」
 「私も言語学者としてきたかいがあったわ」

だがその一方で、アダムは二度も命を狙われ、それは明らかに事故ではなかった。サルゴンが皇太后から、後の紛争の種となるアダムを事故死に見せかけて殺すように命じられていたのだ。サルゴンは彼女の隠し子であり、アダムを殺せば、王宮に迎えられることになっていたのである。

しかしサルゴンはアダムを殺さず、生かしておいた。それはアダムを生きたまま連れ帰り、皇太后の鼻をあかしてやるつもりだったからだ。そのサルゴンに対して、アダムはいう。

 「カイン・アベルサルゴン、わたしを殺しなさい。それができないのなら、わたしをここへおいていきなさい。醜い紛争を見るくらいなら、わたしはここで青人として暮らしたい。(中略)わたしはエバを愛しているんです」

サルゴンはエバに「彼は君に青へ残ることを望んでいる」と伝える。もちろんエバは残ると応える。それに対し、サルゴンは「アダムとエバに幸あれ」といって、彼女を宇宙船から送り出す。宇宙船は「惑星“青”」のデータをすべて消去し、これから訪れることのないように有毒ガスの発生する星だと報告するつもりで帰星していった。

「人間の中味はくさっている」エンリル星に比べ、アダムは「惑星“青”」に「人間が純粋なころ」のエデンの園を見出したのだ。そして「青」はその象徴ともいえる色彩のメタファーとなる。

おそらく『青のメソポタミア』ガガーリンの「地球は青かった」という言葉からひとつのイメージとしてのアルカディアを想起し、それにメソポタミア神話と『旧約聖書』の「創世記」におけるエデンの園でのアダムとイブ(エバ)、カインとアベルの物語を合体させることによって成立したのである。抱擁した二人の姿に、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地に従わせよ。また海の魚と、空の島と、地に動くすべての生き物とを治めよ」という「創世記」の第一章の言葉をオーバーラップさせ、終えられている。
旧約聖書

次回へ続く。

◆過去の「ブルーコミックス論」の記事
「ブルーコミックス論」27 やまむらはじめ『蒼のサンクトゥス』(集英社、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」26 原作・高山 路爛、漫画・やまだ哲太『青ひげは行く』(集英社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」25 柳沢きみお『青き炎』(小学館、一九八九年)
「ブルーコミックス論」24 島本和彦『アオイホノオ』(小学館、二〇〇八年)
「ブルーコミックス論」23 石川サブロウ『蒼き炎』(集英社、一九九〇年)
「ブルーコミックス論」22 志村貴子『青い花』(太田出版、二〇〇六年)
「ブルーコミックス論」21 羽生生純『青(オールー)』(エンターブレイン、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」20 入江亜季『群青学舎』(エンターブレイン、二〇〇四年)
「ブルーコミックス論」19 さそうあきら『さよなら群青』(新潮社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」18 篠原千絵『蒼の封印』(小学館、一九九二年)
「ブルーコミックス論」17 木内一雅作・八坂考訓画『青龍(ブルードラゴン)』(講談社、一九九六年)
「ブルーコミックス論」16 松本充代『青のマーブル』(青林堂、一九八八年)
「ブルーコミックス論」15 やまじえびね×姫野カオルコ『青痣』(扶桑社、二〇〇九年)
「ブルーコミックス論」14 やまじえびね『インディゴ・ブルー』(祥伝社、二〇〇二年)
「ブルーコミックス論」13 よしもとよしとも『青い車』(イースト・プレス、一九九六年)
「ブルーコミックス論」12 松本大洋『青い春』(小学館、一九九三年、九九年)
「ブルーコミックス論」11 鳩山郁子『青い菊』(青林工藝社、一九九八年)
「ブルーコミックス論」10 魚喃キリコ『blue』(マガジンハウス、一九九七年)
「ブルーコミックス論」9 山本直樹『BLUE』(弓立社、一九九二年)
「ブルーコミックス論」8 山岸涼子『青青の時代』(潮出版社、一九九九年)
「ブルーコミックス論」7 白山宣之、山本おさむ『麦青』(双葉社、一九八六年))
「ブルーコミックス論」6 狩撫麻礼作、谷口ジロー画『青の戦士』(双葉社、一九八二年)
「ブルーコミックス論」5 安西水丸『青の時代』(青林堂、一九八〇年)
「ブルーコミックス論」4 佐藤まさあき『蒼き狼の咆哮』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」3 川本コオ『ブルーセックス』(青林堂、一九七三年)
「ブルーコミックス論」2 序 2
「ブルーコミックス論」1 序 1