出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話217 万有文庫と河原万吉、潮文閣と高島政衛

硨島亘の『ロシア文学翻訳者列伝』は第三部第三章の「早稲田大学ロシア文学」が圧巻であり、そこに矢口達の名前も出てきて、次のような知らなかった事実を教えてくれる。
ロシア文学翻訳者列伝

矢口の関心は恐らく泰西文学全般にあり、昭和の円本景気に伍して、かつての「アカギ叢書」と同様、ドイツのレクラム、イギリスのエヴリマンズ・ライブラリに範を求め、万有文庫刊行会(潮文閣)で「万有文庫」叢書の刊行を企画し、泰西文学の翻訳責任者に納まっている。

そして続けてこの「抄訳叢書」にトルストイの『戦争と平和』やドストエフスキイの『カラマゾフの兄弟』も収録されていることなどを記し、「矢口は泰西文学全般という大きな視野に立って旺盛に仕事をしたため、『奇蹟』同人や同世代からの評価は低いが、改めて見直す必要がある人物であると思われる」と硨島は書いていた。

私も矢口に関しては本連載1417で、伊藤竹酔の国際文献刊行会の「世界奇書異聞類聚」、同じく朝香屋書店のマリイ・ストオプスの『結婚愛』の訳者、また同63203で、日夏耿之介や西條八十たちの早稲田人脈からなる『聖盃』(後に『仮面』)の同人だったことにふれている。またその後、やはり国際文献刊行会の『危険なる知己』(「猟奇叢書」第一巻)を入手し、上巻しか出されなかったとはいえ、このラクロの本邦初訳の『危険な関係』が日夏、西條、矢口によるもので、奥付の翻訳代表者が矢口とあることも知ったし、『聖盃』同人と伊藤竹酔とポルノグラフィ翻訳出版との深い関係も推測できた。
危険な関係(伊吹武彦訳、岩波文庫)

さらに私はゾラの翻訳に携わっていたことから、万有文庫の河原万吉訳『居酒屋』も入手し、そこに監修者として和田万吉、矢口達、三宅驥一、北署吉の四人の名前があることを承知していたが、矢口がこの叢書の企画者で、翻訳責任者だったとは思いもよらなかった。そればかりか、硨島の記述によって、万有文庫刊行会と潮文閣が同一であったことを初めて知らされたのである。

万有文庫と『居酒屋』の翻訳代表者河原万吉も、その詳細がわからない存在であった。万有文庫が三六判、上製、天金の「抄訳叢書」であることは『居酒屋』を入手したことで判明し、それが大正十五年から其刊行会によって、円本と同様の「非売品」扱いで、三十六巻出されたことも承知していた。そして奥付から発行が高島政衛であること、またこの高島が、本連載170などでふれた第百出版社、第百書房の発行者と同一人物であることも。

しかし万有文庫と高島に関する記述は出版史に見つけられず、河原も『日本近代文学大事典』などに立項されていなかった。ただ城市郎の『発禁本』(「別冊太陽」)において、かろうじてその名前が見出され、それは昭和三年に潮文閣から出された『猥談奇考』と『日本十日物語(日本デカメロン)』の著者としてだった。また河原の『居酒屋』の翻訳にふれれば、確かに省略が施されているにしても、五三五ページに及ぶので、これは抄訳というよりも、ひとつの見識ある翻訳のように思われた。それは先行する木村幹の『居酒屋』(新潮社)、水上斎の『酒場』(天佑社、後に成光館)と比べて遜色なく、その依って来たる所は、原本が英訳ゆえかとも推測できた。だがそれ以上のことはわからず、かなり長い年月が過ぎてしまったことになる。
発禁本

そうしたプロセスがあり、硨島の「万有文庫刊行会(潮文閣)」という記述に出会ったのである。そこで確か潮文閣の本も何冊か均一台から拾っていたことを思い出し、探してみたら出てきた。それらは坂田俊夫『日本猥談集』(昭和三年)、船橋聖一『文学と青年』(同十七年)、龍胆寺雄『楠木一族』(同十九年)の三冊で、先の一冊の発行者は高島鉄三だが、後の二冊は編輯者兼発行社は高島政衛とあり、紛れもなく万有文庫発行者名と同一人物だった。おそらく高島鉄三も政衛の血縁にあたるはずで、これによって硨島のいう「万有文庫刊行会(潮文閣)」説は裏付けられたと考えていいだろう。ただ前述の河原の二冊を入手していたとしても、奥付発行者は鉄三だったかもしれず、「万有文庫刊行会(潮文閣)」説にただちに結びつくことはなかったので、船橋と龍胆寺の二冊を拾っておいたことは幸いであったといえる。

本来であれば、坂田の『日本猥談集』にふれるべきだし、船橋の『文学と青年』も興味深いのだが、ここではあえて龍胆寺の『楠木一族』を取り上げてみる。この昭和十八年に初版五千部、翌年に再版五千部が出された同書の体裁と紙質は、戦時下の物不足を伝えているかのようでもある。だがそれらのことと内容はともかく、最も気になるのは著者に関してで、奥付の「著者略歴」には「昭和十五年民族日本文学会を興し、同会所属国民精神錬成道場の資料として村上義光の史的研究に着手、爾後建武中興の研究に没頭す」と記されているが、彼はあの昭和初期のモダニズム文学者と同一人物なのであろうか。この名前が作家としてのペンネームであったこと、よくある名前だと思えないことからすれば、同一人物という可能性が高い。それらを確認するために、いずれ『龍胆寺雄全集』(同刊行会)に目を通してみるつもりだ。

この龍胆寺をめぐる事柄もさることながら、『楠木一族』で目を引くのは巻末広告で、そこにはいずれも全五十巻予定の『新偉人伝全集』と『青年文化全集』が掲載され、龍胆寺本は前者、舟橋本は後者の一冊だとわかる。押し迫った戦時下特有の、左右入り乱れた多岐に及ぶ著者名を挙げることはできないが、その広告から見ると、昭和十九年時点で、両者を合わせて七十冊以上が既刊となっている。しかし書誌研究懇話会編『全叢書総覧新訂版』(八木書店)を繰っても、それらは挙げられておらず、完全刊行リストを望むことは無理かもしれない。ただ前者は国会図書館に十八冊、後者は二十一冊の所蔵がある。

だが一方で出版社の側からみれば、昭和初期の円本に類すると判断していい万有文庫を刊行した版元が、昭和十九年までサバイバルし、このような大部な全集を出版するに至ったことは特筆すべきことのように思われる。それは本連載でもしばしばふれてきたように、円本合戦に参加した多くの出版社が消えていったのだから。

そのサバイバルの事情は詳らかでないにしても、おそらく潮文閣が堅固な印刷所をバックにしていたこと、及び出版史にその名は見えないが、高島政衛なる人物の、それこそ「編輯者兼発行者」としての力量によっていると思われる。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら