出版・読書メモランダム

出版と近代出版文化史をめぐるブログ

古本夜話216 伊東六郎、古典文学研究会、向陵社版『神曲』

前回取り上げた土方定一の『近代日本文学評論史』は、本連載203でふれた『ロシア文学翻訳者列伝』(東洋書店)の範となった一冊だと著者の硨島亘が書いている。そのこともあり、この機会に硨島の著作によって教えられ、啓発された事柄を何編か挿入しておきたい。
[f:id:OdaMitsuo:20120626143349j:image:h130]『近代日本文学評論史」(昭森社版) ロシア文学翻訳者列伝

大正五年に向陵社という出版社から刊行されたダンテの『神曲』があり、これは翻訳者を古典文学研究会、発行者を馬場駿とするもので、箱入上製、菊判変型、天金アンカット八百ページを超え、英語からの重訳にあたるにしても、最初の「地獄界」「浄罪界」「天堂界」からなる全訳版だと考えられる。それは「私は人生の旅をした。けれどもその途中で、正しい路を見失つて、到頭一つの暗い深林の中で迷い込んで終つた」という訳で始まるものだった。

ダンテの翻訳は山川丙三郎中山昌樹がまず挙げられるが、山川の『神曲(地獄編)』が警醒社から大正三年、中山の『神曲(地獄・煉獄・天国)』は洛陽堂から同六年に出されているので、全訳としては二人に先駆けて刊行されたことになる。それに加えて、箱のデザインと装丁を担当した友田治夫の、天使をあしらった箱や背表紙、鶸色の配色はとても斬新で、鮮やかな印象を残す。古典文学研究会同人もそれを高く評価しているらしく、「緒言」において、「同画伯」に多大の謝辞を呈している。しかしこの「同画伯」は美術辞典などにもその名前が見えず、プロフィルがつかめない。
神曲(山川丙三郎訳、岩波文庫)

それは向陵社と古典文学研究会に関しても同様であった。その「緒言」からこの『神曲』の散文訳が「ケレー氏が英訳せるヴィジョン・オブ・ダンテ」の重訳、同人が東京帝大文科大学出身の石山徹郎、姑射良、藤田晴香、須崎国武、山下祥光、赤松義麿の六人であること、向陵社が巻末広告から「世界神話叢書」の第一、二輯として、高瀬俊郎訳述『絵入猶太神話』、土屋文明訳述『絵入波斯神話』を刊行していることはわかった。しかし『日本近代文学大事典』には同人の石山徹郎しか立項されておらず、そこに向陵社刊行の『埃及美術史』などの著書は記されていたが、国文学者としての言及にほぼ終始していた。
日本近代文学大事典

そのような事情ゆえに、二十年近くこの向陵社版『神曲』を放置しておいたのだった。ところが硨島の『ロシア文学翻訳者列伝』を読んでいくと、私も既述した海外文芸社の「海外文芸叢書」への言及と、その続刊も含めたラインナップが紹介され、そこにチェーホフの伊東六郎訳『鬼火』も挙げられ、彼の経歴と翻訳史も述べられていた。それによれば、明治四十四年に東京帝大文科大学に入学すると、アンドレーエフやチェーホフなどの翻訳に打ちこみ、いくつものロシア文学の出版にも関係していたらしい。だが硨島はその伊東について、いささか唐突に次のように書き、そこに向陵社も出てくるのである。

 伊東はこうして縦横無尽にロシア文学紹介に没頭していたため、卒業論文を一年、また一年と先送りしていた。大正五年には新事業を企画したが、これが当局の忌諱に触れ、退学を余儀なくされた。斎藤昌三によれば、徳川期の軟派の名作である『はこやのひめごと』の類を三四点出版したもので、装幀は趣味的、内容の校訂も類ないものであったという。大正五年五月十日に向陵社(東京帝大関係者で運営していた出版社)から珍書頒布を企画していると消息欄で伝えられているが、このことを指していると思われる。この叢書が向陵社から発刊されたかどうかは不明。

この硨島の指摘によって、ずっとわからなかった古典文学研究会同人の姑射良が伊東六郎のペンネームではないかと考えるに至った。『はこやのひめごと』本連載85「日輪閣『秘籍江戸文学選』」でもふれているが、国学者の黒沢翁満によるポルノグラフィで、江戸三大奇書のひとつとされ、『藐姑射秘言』と表記される。「藐姑射」とは仙人の住む山の名前で、「姑射山」ともいう。つまり姑射良はこの転用であると見なしてかまわないだろう。だが斎藤の証言に基づき、硨島が述べている伊東による「珍書頒布」とは、大正四、五年に向陵社編輯局、同出版部から出された蘇武緑郎校訂『梅暦』『春告鳥』『浮世草紙』のことだと思われる。それは城市郎の『発禁本』(別冊太陽)で見ることができる。これは以前にも目にしていたが、『神曲』の向陵社とは別の存在だと考えていた。

発禁本 発禁本2


『藐姑射秘言』のほうは昭和四年に『世界珍籍選集』の一冊として刊行されている。これも同じく『発禁本2』にこの選集の書影と内容の一部が掲載され、篠崎兼三編刊とあるが、奥付紙片には発行・編輯は長者丸青南、発行所は世界軟派文献研究会と記載されているようだ。この書影に見られる装丁は『神曲』を彷彿させるし、長者丸青南も明らかに姑射良といったペンネームと重なるもので、これらのことから類推すると、「装幀は趣味的、内容の校訂も類がない」とは、この『世界珍籍選集』のことをさしているのかもしれない。

それこそ昭和初期ポルノグラフィ出版は梅原北明一派を中心としていたが、別のアンダーカレントとして、伊東六郎=姑射良を始めとする古典文学研究会の人々も絡んでいたのではないだろうか。これは断言できないにしても、「総革装金箔押三方金」の装丁は友田治夫、長者丸青南は伊東、世界軟派文献研究会は古典文学研究会の後身だと見なしたい誘惑に駆られてしまう。そしてさらに世界文学研究会として「世界文学叢書」などの内外のポルノグラフィを刊行した浦司若浪もまたそのペンネームから考えれば、伊東のようにも思われる。しかし梅原とは別なポジションにいたことから、『談奇党』第3号の「談奇作家見立番付」や「現代猟奇作家版元人名録」にも掲載されていない。

先に挙げた『世界珍籍選集』編刊として名前が出ている篠崎兼三は、前出の『談奇党』の「エロ出版捕物帖」でも言及されているが、ポルノグラフィ出版の収集家として著名であり、実業家の道楽として『世界珍籍選集』を手がけ、警視庁の捜査を受け、その後は行方不明になったと伝えられている。

なお伊東のその後であるが、硨島の引いている、これも斎藤の証言によれば、昭和初年頃には阪神の映画会社の相当な地位にあったという。また彼は『日本近代文学大事典』にも立項されていて、大正初めには翻訳、詩、短歌を発表して『帝国文学』を背負う若手として期待され、自ら高踏書房を経営し、石坂養平『芸術と哲学との間』などを出版とあった。ポルノグラフィの刊行とこれらの出版活動も連鎖していると考えられるが、まだそれらの確認に至っていない。

その後、石坂養平の私家版『自叙伝』(昭和五年)を読む機会を得たが、伊東と高踏書房に関する言及は何もなされていなかった。

[関連リンク]
◆過去の[古本夜話]の記事一覧はこちら