ヴェルギリウス
前回ふれた『諸星大二郎(西遊妖猿伝の世界)』の中に、「西遊鼎談」が収録されている。それは八四年における手塚治虫、諸星大二郎、星野之宣の座談会で、諸星と星野が手塚の影響を受け、さらに二人とも手塚賞を受賞し、また後に民俗学をテーマとする作品に挑んでいくことでも共通しているといえよう。また諸星が「青い馬」や「蒼の群れ」を描いているように、星野も『ブルー・シティー』や『ブルー・ワールド』といった、ブルーにまつわる作品を発表しているので、ここではよりダイナミックで本格的なSF『ブルー・ワールド』に言及してみる。
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マダガスカル島北東沖に、謎の「穴」=ブルー・ホールが開き、海水温は沸騰点に達し、恐竜のような生物の死骸が流出するという異常な出来事が起きていた。その「穴」は、白亜紀から第三紀にかけての数十万年にわたって起きた大量の地底物質を噴出させる巨大噴火、すなわちスーパー・プルームによって生じたものである。それと同時期に地球に天体が衝突し、この二つのカタストロフによる環境汚染のために恐竜たちが滅びたとされる。
キャメロット教授はイギリス海軍の中尉ジーンからの要請を受け、ポーツマス基地でマダガスカル沖のブルー・ホールについての講義をすることになる。四回にわたって衝突と噴火が同時に起きたことで、地球内部の時空に歪みが発生した。天体衝突の激震が地球の核を直撃し、重力を乱し、地軸を狂わせ、地磁気に異常現象がもたらされ、ループ状の異常磁場が時空を過去へと歪めた。それに生れたばかりのプルームはループにとらえられ、共に過去の世界へと上昇していく。そしてプルームと共に地表に到達し、海底にとどまった磁場ループが「穴」=ブルー・ホールなのだ。かくして教授は結論づける。
「当然ブルー・ホールは1つではない。いくつかのブルー・ホールが、入り組みつながり合って現代世界に通じている。
2億5000万年前、6500万年前、その他の太古の世界へ、ブルー・ホールをくぐりさえすれば、行き来することが可能なのだ!(中略)
私の仮説が正しければ、このように世界に10ヶ所以上あるプルーム跡の周辺にブルー・ホールは存在することになる!」
さらに恐竜に似た未確認動物の死骸が流れ着いた場所は、プルーム跡とまったく重なっているというデータが付け加えられる。
その一年後、マダガスカルの「穴」を調査していたアメリカ人ジャーナリストのハリーとマージーの二人が、スコットランドのネス湖に現れる。イギリス海軍が浮き台とケーブルからなるレーダー基地をそこに設営したことから、マダガスカルの一件と関係があるとにらみ、二人は潜水艇をチャーターし、ネス湖に潜り始める。すると湖中で原子力潜水艦に遭遇し、それは湖底の「穴」に入っていった。潜水艇も続いたが、計器が狂い始め、緊急浮上するしかなかった。
しかし湖上に出たものの、ひどく暑く、夜明けのような感じであり、水が流れる音がして、ネッシーを彷彿させる巨大な生物が現れた。そこは川であり、さらに奇怪な水棲動物に襲われ、潜水艇の持主はそれに殺されてしまう。二人も危機にさらされた瞬間、ゴムボートに乗った海兵隊員が現われ、二人は救出され、原潜が泊まっている基地へと連行される。
二人は「この世界」にきてしまったのだ。ブルー・ホールとはタイムトンネルであり、そこに入ったことで、時間をさかのぼり、太古の世界へと至ってしまったのである。確かにジャーナリストにしてみれば、「かけねなしの驚異だ。史上最大の発見だ!」としても。二人を迎えたキャメロット教授は怪鳥が舞う景色を背景に、「ハリー、マージー、1億4000万年前のジュラ紀世界へようこそ!」と言葉をかける。彼はマダガスカルのブルー・ホールが滅亡寸前の世界になっていることをつかみ、スコットランドのネス湖を代わりに発見し、2ヵ月前から基地の建設を始めていて、小さな恐竜博士とでもいうべき孫娘のパットを伴っていた。
そしてここから本格的に『ブルー・ワールド』の物語が展開されていく。原始の海と大密林と様々に跋扈する恐竜たちに向けて、教授たちと海軍偵察隊は調査を始めていくのだが、そこにはアメリカ海軍の海兵隊も混じっていて、英米のジュラ紀世界をめぐる帝国主義的様相も加わっていく。そのかたわらで、原潜が水底と衝突し、爆発を起こしたためにブルー・ホールが消滅してしまい、教授たちや海軍は現代世界に戻れなくなってしまうのだ。しかも彼らは恐竜たちに襲われ、200人近くが殺され、生き残ったのはわずか19名だった。
現代世界から送られた探査機内にあったテープ通信によれば、ネス湖から通じているブルー・ホールはこれから完全に消滅するので、別のブルー・ホールから現代世界へ生還しなければならない。バミューダ海域にあるブルー・ホールを足がかりにして、さらなる第3のジュラ紀へ通じるブルー・ホールを探しますと述べられていた。しかしそのために教授たちは、ジュラ紀世界における新たなブルー・ホールの存在する地点へ移動する必要があるし、それはジュラ紀の巨大な大陸を何千キロにもわたって縦断すること、しかも恐竜があふれている大密林の中を。それしか方法は残されていないのだ。
全4巻からなる第1巻のストーリーを紹介してみたが、教授たちのジュラ紀大陸縦断が続く3巻によって十全に展開され、ブルー・ホールの存在を通じて、どの時代も、あらゆる生物たちも失われていないし、地球はひとつしかないけれども、「青い無限の世界」であることが描かれていく。おそらくこれが『ブルー・ワールド』という言葉にこめられた意味だと考えられる。
この星野の『ブルー・ワールド』の物語を前にして、ただちにジュール・ヴェルヌの『地底旅行』や『海底二万海里』を思い浮かべてしまう。私はかつて「ネモ船長と図書室」(『図書館逍遥』所収)を書き、誰もがヴェルヌの「あの驚異的な夢みる力に酔いしれたことがあるにちがいない」という一文から始まる、ミシェル・ビュトールのヴェルヌ論「至高点と黄金時代」を紹介しておいた。星野もまたその一人であったにちがいない。
そこでは『海底二万海里』に言及しているので、ここでは『地底旅行』にふれれば、『ブルー・ワールド』のキャメロット教授こそは『地底旅行』のリーデンブロック教授、ブルー・ホールもまた地球の中心に達するアイスランドの火山の噴火口に他ならず、彼らの苦難の旅もそれに準じているといえよう。エピグラフに挙げたヴェルギリウスの詩句は、地球の中心への旅に出かける教授たちに贈られたものであり、それは岩波文庫版の朝比奈弘治訳によっている。『ブルー・ワールド』における旅も同様であるので、ぜひその旅に読者も付き添い、ジュラ紀大陸の縦断を体験されんことを。
《終わりに》
まだブルーコミックは残されているし、取り上げなかった作品もあるけれど、60回をもって終わりとする。当初、3、40編書き、その後に赤、黒、黄色、緑、白などの色についても、一編ずつ書き、コミックに関する多彩な色の世界を提出するつもりでいた。だが止めた。それは連載が60回に及んでしまったこともあるが、ブルーの世界は単色のままにしておいたほうがいいように思われたからだ。
また夏から始めて、夏に終わるつもりでもいたが、秋に入ってしまった。夏のブルーが後退し、残暑に包まれているが、秋の気配が漂い始めている。今年の秋にふさわしい色は何だろうか。私はこの連載を記念して、青い自転車を買った。
なお次回からは「混住社会論」を連載する予定である。
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