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古本夜話264 山田順子『女弟子』と徳田秋声『仮装人物』

田山花袋に続けてふれ、大正九年徳田秋声とともに生誕五十周年祝賀会が開催されたこと、またその秋声の『全集』のほうは近年 八木書店から全四十三巻として刊行されたことなどを記しておいた。

徳田秋聲全集徳田秋聲全集』
それらに関連して、両者の発表年はかなり隔たっているにしても、秋声の『仮装人物』が、花袋の『蒲団』を範として書かれたのではないかという私見を述べてみたい。『蒲団』はいうまでもないが、『仮装人物』もまた同じように女弟子との関係を主題としているのである。秋声は愛欲にまみれた『仮装人物』へと再構成されていく短編群を大正末期から書き始めていて、これは情事が積み重ねられていくポリフォニックな世界を描くことで、花袋のプラトニックな『蒲団』を超えるべき自然主義小説をめざしたのではないだろうか。

仮装人物 蒲団

その『仮装人物』のモデルになった山田順子と聚芳閣の足立欽一に、かつて言及したことがあったが、彼女が戦後になって刊行した『女弟子』を入手してもいるので、『仮装人物』の裏ヴァージョンとして読んでみよう。
女弟子

『女弟子』は昭和三十九年に鎌倉市のゆき書房を発行所、山田ユキを発行人として出版されている。扉をめくると、「作者近影」とある口絵写真が掲載され、五十代半ばと思われる和服姿の彼女がソファに腰掛け、煙草を手にしている。また見返しには「謹呈円地文子様」との署名があり、この本が円地に贈られた一冊だとわかる。そしてこれは宮本吉次の「徳田秋声」(『文壇情艶史』所収、アジア出版)に目を通して知ったのだが、順子はゆきこと読むようで、発行人の山田ユキは本人ということになる。したがって『女弟子』は著者の自費出版物で、定価三百円の表示があるにしても、取次や書店を経て広く流通販売されたかどうかはわからない。しかし宮本の「徳田秋声」は明らかに『女弟子』を下敷きにして書かれ、参考文献にも挙げられている。
この『女弟子』は長短合わせて十三編からなる、秋声との関係を様々に描いた連作集と見なせよう。とりわけ冒頭に描かれた「肉体の悪魔」は『仮装人物』を補足する作品である。「中央公論春季特別号第六号掲載」と付記されているので、『中央公論社の八十年』を繰ってみると、昭和二十六年「文芸特集・第六号」に掲載とわかる。

この作品の女弟子の名前は漾子となっているが、どのように読んでも順子その人に他ならない。関東大震災後に順子は秋声のところに小説を持ちこみ、彼の世話で聚芳閣からの刊行が決まった。彼女は夫と別れ、聚芳閣の足立欽一や画家の竹久夢二と恋愛を重ねていたが、秋声の女弟子であり続けていた。

しかし数年後に秋声の状況は変わり、妻が亡くなり、円本時代を迎えて多額の印税収入がもたらされた。それは女弟子の立場を変えるものでもあった。秋声は五十六歳、順子は二十六歳になっていた。二人が情事に至るのは必然的な環境だったともいえよう。『仮装人物』では二人が郊外のホテルで結ばれたように記述されているが、順子によれば、それは寝こみを「襲われた雌鶏」的状態においてだった。

 『あ、先生!』
 と叫ぼうとした時は、飛鳥の速さで、漾子の汗ばんだ腹部には白髪を交えた師の秋声の頭がしっかと伏つてい、払い除けるにも両手が動きもならなく押さえられていた。生温かなすべっこい感覚のものが、彼女の恐れの中を、戦きをあやなすように生命の中心部を静かに静かにすべり出していた。漾子はこんな思い切った男の求愛を知らなかった。

この場面は『女弟子』の中で繰り返し語られているので、順子にしてみれば、二人の関係を象徴させていると思われる。そして情事を通じて、「尊敬する先生」の本質が浮かび上がってくる。

 秋声の恋の筋金を露わにすればそれは野心であった。彼が必要とするのは、(中略)彼女をつかっての若返りであった。それには年というものを逆に巻き、年で垢づいたものを洗い落してゆく為に、漾子という相手が要った。(中略)酒に酔わぬ彼は女色に酔える人だった。

そしてさらに順子は、秋声が晩年の傑作を書くために、自分を研究材料としているとも考える。師の紅葉が『金色夜叉』で当てたように、秋声も順子をモデルとする作品は評判をよんでいるので、自分も『金色夜叉』に匹敵するものを出してみたいと公言する。それゆえに二人の情事は「尊敬する先生」と女弟子の関係にとどまらず、性と文学の闘争のような色彩を帯びることになる。
その色彩は当然のことながら、『仮装人物』よりも文学的技巧と完成度が落ちる『女弟子』に強く露出している。だから『仮装人物』から十六年経っていたにもかかわらず、順子が『女弟子』自費出版した気持ちがよくわかるような気がする。秋声の老練な文学的技巧によって、順子は剥製のように『仮装人物』の中に閉じこめられてしまったのだ。それゆえに自分が「襲われた雌鶏」であることを告白し、そのイメージが秋声の技巧による虚像だと訴えたかったのではないだろうか。
金色夜叉
そうした順子の思いと秋声が『金色夜叉』を持ち出していること、また文学史などにもよく掲載されている秋声と花袋の祝賀会の並立写真を見ていて、前述したように、『仮装人物』『蒲団』の関係にも思いが及んだので、それも記してみた。

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