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混住社会論13 城山三郎『外食王の飢え』(講談社、一九八二年)

外食王の飢え 外食王の飢え


前回、村上龍『テニスボーイの憂鬱』において、テニスボーイが経営するステーキハウスでの、デニーズも出てくる「訓示」を引用し、一九八〇年代の外食産業の成長の一端を示しておいた。ステーキハウスはポピュラーなファミリーレストランに分類できないにしても、郊外のロードサイドビジネスであり、外食産業のひとつに数えられるし、具体的に例を挙げれば、あさくまといったチェーンが八〇年代に展開されていた。
テニスボーイの憂鬱 上

七〇年代を迎え、いち早くロードサイドビジネス化していったのはファミリーレストランであり、すかいらーくロイヤルホストロッテリアデニーズの郊外一号店は七〇年代前半に集中している。同時代に最初は都心部から始まったマクドナルドなどのファストフードも、次第にロードサイドビジネス化していき、それらも加わり、外資との自由化と相俟って、八〇年代に大きく成長し、外食産業を形成することになる。そうしてファミレスやファストフード店舗の風景は郊外と切り離せないものと化し、小説、テレビ、映画の物語の装置として機能していった。そうした典型的風景を本連載の桐野夏生『OUT』で見てきた。
OUT 上

これらのロードサイドビジネスのある風景がアメリカの五〇年代の郊外を発祥とすることは既述してきたとおりだが、さらに付け加えるならば、日本マクドナルド藤田田やロイヤルの江頭匡一は米軍基地との密接な関係から戦後を始めている。藤田や江頭、すかいらーくの茅野亮など七人を取り上げた佐野眞一『戦国外食産業人物列伝』家の光協会、一九八〇年)を参照すると、藤田や江頭は米軍基地に物資を自由に輸入できるSPS(スペシャリティ・ストア)の免許を与えられていた。この特権を得た者は彼らを含め、全国で六人しかいなかったという。

マクドナルドの藤田に関しては、すでに『ユダヤの商法』(KKベストセラーズ、七二年)をめぐって、『〈郊外〉の誕生と死』や「現代の立身出世本」(『文庫、新書の海を泳ぐ』所収、編書房)などで、様々に言及してきたので、ここではロイヤルの江頭とファミレスにふれてみよう。それは城山三郎のビジネス小説『外食王の飢え』がファミレス業界を舞台とし、江頭やすかいらーくの茅野をモデルにしているからでもある。

ユダヤの商法 〈郊外〉の誕生と死 文庫、新書の海を泳ぐ

『外食王の飢え』は城山の代表作とされていないし、現在では言及されることも少ないけれど、七〇年代後半から八〇年代が外食産業の時代であったことを刻印する小説に仕上がっていて、同様の作品を他に求めることができない。ただこれが城山文学の優れた達成に属するとは言い難いが、間違いなく外食産業の戦後史に関するリーダブルで啓蒙的な著作に位置づけられるだろう。それをリードした人々のキャラクター、万国博との関係、アメリカ視察、郊外店のチェーン化と出店におけるオーダーリース方式、チェーン店の要であるセントラルキッチン、スタッフ養成のアメリカ的マニュアル化、チェーン化をめぐるM&A やバッティング、大手企業との確執、株式上場に至るプロセスと資金調達といったファミレスのセオリーがほぼすべてにわたって書きこまれ、広範な資料収集と用意周到な取材をうかがわせている。

そうした意味において、『外食王の飢え』はもちろんフィクションであるが、キャラクター造型やファミレスの実像も含め、ロイヤルの江頭とすかいらーくの茅野を主たるモデルとし、それに従としてイトーヨーカ堂系のデニーズも点景のように添えられている。それゆえにファミレスの業界の同時代のノンフィクションとして読むことを可能にさせる。

『外食王の飢え』の主人公はレオーネの倉原、そのライバルとしてサンセットの沢が設定され、この二人のキャラクターはロイヤルの江頭とすかいらーくの茅野のかなり等身大のプロフィルであるように描かれていて、それは前述の佐野の『戦国外食産業人物列伝』における彼らのイメージとも通底しているといえよう。

城山は『外食王の飢え』を敗戦後における食料事情と占領軍の関係から始め、それは次のような記述に象徴されている。

 世の中は、食物を持つ人間と持たぬ人間の二種類に分れたかに見えた。そして、前者の頂点にあるのが、GIと呼ばれた駐留米軍将兵と、その家族たちであった。真白なパン、あたたかなオートミール、さまざまな卵料理、香り高い朝食からはじまり、そこにはまるで極楽のような食生活があった。

基地とデペンデント・ハウスはこのような「極楽のような食生活」を表象するものだった。それに引き寄せられるようにして、倉石は板付のアメリカ空軍基地のコック見習となり、「調達商人」の仕事をつかんでいく。これは城山の説明によれば、米軍将兵とその家族のための美容、クリーニング、靴みがき、自動車修理、花屋、パン屋などのサービスや生活用品を提供する仕事は、それぞれの業者が出入りするのではなく、一括して「調達商人」が請け負うとされているので、前述のSASとはこの「調達商人」の最上位に属する特権だと考えられよう。

「調達商人」の仕事を通じて、基地におけるアメリカ式運営がシステムとマニュアルに基づき、その上に物質的な豊かさが花開いているのを知り、倉石はそこが「別天地」であり、「日本のそれが地獄なら、ここは天国であった」と実感するに至る。そして誰よりも早く「この世の楽園」にたどりつきたいと思った。小島信夫『アメリカン・スクール』だけでなく、ここでも基地とデペンデント・ハウスが「天国」のように見えていたのだ。

アメリカン・スクール
その契機は「朝鮮戦争」で、「調達商人」の仕事はふくれ上がり、基地の外でもパン屋を始めとして自らの事業へと乗り出し、それはレストランの開店へともつながっていく。これがレオーネの前身となり、アメリカの外食産業をモデルにして多店舗展開を始め、セントラルキッチンを設け、外食産業(フッド・インダストリー)をめざしていったのである。その成長は一九六八年の初めてのアメリカ視察と七〇年の万博アメリカ館へのレストラン出店を機にして加速する。

その一方で、サンセットの沢の物語もパラレルに描かれていく。こちらは団地の食料品店から始め、やはり六八年にアメリカを視察し、ファミレスのチェーン店を目撃する。そして帰国後に「アメリカで見てきたロードサイド・レストランのイメージ」に則った二十台の駐車場を備えたサンセット一号店を出店した。そこは厚木街道沿いで、「まわりには、まだ田んぼが残っていた。いわば人里離れたところ」だったが、チェーン展開が進められていった。出店とセントラルキッチンの設置が同時に重なっていたけれど、サンセットは客が増加し、目に見えて成長していった。それを城山は「日本人がアメリカ人に変わってきている」ことに加え、次のように説明している。

 ニュー・タウンと呼ばれる巨大な団地群を背景に、いわゆるニュー・ファミリーたちが、まるで地から湧くようにやってくるようになった。
 一家で車で乗りつけられて、清潔で、手早く給仕され、ほどほどの味で、納得の行く値段で、くつろいで食べられる。それだけのことが、同じチェーンのどの店へ行っても同じように満たされるとわかると、宣伝しないでも、新しい店へ客はついた。

ここにファミレスチェーンのコンセプトが店にとっても客層にとっても定着したと見なせるであろうし、それは七〇年代後半になって社会的に造型されたイメージであると同時に、それはレオーネやサンセットの株式上場への足がかりともなる。それに伴ってファストフードも同じ道筋をたどっていったのである。またそのようなプロセスはロードサイドビジネスのすべてに共通するものでもあった。
『外食王の飢え』において、レオーネとサンセットの首都圏郊外の厚木街道沿いでの出店競争までを追い、そのことによって逆に両社がさらに繁栄し、株式上場へと進んでいくまでを描いている。

二〇一〇年代になってあらためてこの小説を読み、前回の『テニスボーイの憂鬱』の舞台背景を考えてみても、八〇年代がロードサイドビジネスの中でも突出したファミレスの時代であったことが思い出される。

そしてまた佐野の前掲書の藤田田の章で、ロイヤルの江頭がもらしていた言葉が脳裏に浮かび上がってくる。それは次のようなものだ。「外食産業の創業者は、多かれ少なかれ、少し狂ったところがないとつとまりません。その意味では新興宗教の教祖に似ているともいえます。自分自身が信じられなければ、他人を信じさせることなんて絶対にできませんよ」。

とすれば、外食産業も含んだ七〇年代から八〇年代にかけてのロードサイドビジネスの時代にあって、ロードサイドの至るところに新興宗教が芽生えたことを告げているし、この時代に多くの新興宗教が台頭しつつあったということにもなろうか。

◆過去の「混住社会論」の記事
「混住社会論」12  村上龍『テニスボーイの憂鬱』(集英社、一九八五年)
「混住社会論」11  小泉和子・高薮昭・内田青蔵『占領軍住宅の記録』(住まいの図書館出版局、一九九九年)
「混住社会論」10  ウラジーミル・ナボコフ『ロリータ』(河出書房新社、一九五九年)
「混住社会論」9  レイモンド・チャンドラー『長いお別れ』(早川書房、一九五八年)
「混住社会論」8  デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・フィフティーズ』(新潮社、一九九七年)
「混住社会論」7  北井一夫『村へ』(淡交社、一九八〇年)と『フナバシストーリー』(六興出版、一九八九年)
「混住社会論」6  大江健三郎『万延元年のフットボール』(講談社、一九六七年)
「混住社会論」5  大江健三郎『飼育』(文藝春秋、一九五八年)
「混住社会論」4  山田詠美『ベッドタイムアイズ』(河出書房新社、一九八五年)
「混住社会論」3  桐野夏生『OUT』後編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」2  桐野夏生『OUT』前編(講談社、一九九七年)
「混住社会論」1