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古本夜話294 石黒敬七監修『趣味娯楽芸能百科事典』と東京書院

『全国出版物卸商業協同組合三十年の歩み』をベースにして、それに属する出版社とその周辺、及び出版物に関して、ずっと書いてきたわけだが、同書が刊行されたのは昭和五十六年であるから、すでに三十年以上が過ぎていることになる。この三十年間の日本の出版業界の変貌はすさまじく、多くの出版社、取次、書店が消えていった年月であった。それは全国出版物卸商業協同組合に属する出版社、取次、書店も同様だったのではないだろうか。

あらためて確かめてみると、昭和五十六年六月時点で、組合員は五十四社を数えている。八木書店日本文芸社のような大手は例外で、ほとんどが社員は十名に充たない小企業であるし、新たな世紀に入って名前を聞かない会社も多い。かつてこの業界の主たる出版物であった実用書類の売れ行きは落ちる一方で、実際に業界出身の出版社といえる梧桐書院、日東書院、桃園書房東京三世社なども民事再生法や破産や清算に追いやられ、また金園社のように売却されたりしている。

それらと関連して、出版物のデフレを推進したブックオフの登場と全国制覇により、特価本という言葉自体が死語になってしまった現在において、「造り本」が流通販売できる時代はすでに終わっていると考えるべきだろう。さらに踏みこんでいえば、出版社の大半がブックオフのための「造り本」を刊行している状況にあるのだから。それゆえにこそ、近代出版業界のバックヤードとして、古書業界とともに歩んできた特価本業界とその出版物の行方も問われなければならないように思う。

例えば、手元に『趣味娯楽芸能百科事典』という本がある。これは民俗芸能文化会長石黒敬七監修、発行所は千代田区西神田の東京書院、発行者は橋口博二、発行は昭和三十三年で、定価七五〇円、特価六〇〇円、千ページ近い箱入四六判の分厚い一冊である。民俗芸能文化会の実体は不明だが、石黒は戦前に柔道師範としてヨーロッパにわたり、戦後はNHKラジオの「トンチ教室」などに出演し、才人にして多くのエッセイ集を著わし、また幕末の写真収集でもよく知られ、それらの写真アンソロジーも刊行している。石黒は「監修の言葉」の中で、同書の内容を手際よく紹介していることもあり、それを引用しておく。

 一人で楽しめる娯楽、趣味、芸能から、宴会などでの隠し芸や余興、珍芸に到るまでの社交用のもの、まじめな会合で楽しむ遊戯や競技、歌合戦、合唱、民謡やダンスの踊り方などの何十人でも遊べるもの、趣味の犬、小鳥類、魚類の飼い方から副業、さては釣り、短歌、俳句、生花、楽器の独習からスポーツの楽しみと、実に多種多様、全般にわたって網羅している。

確かにこの一冊があれば、すべての趣味、娯楽、芸能のことがわかるような構成になっている。そしてもちろん石黒は監修者として名前を貸しただけで、その「監修のことば」も実際の編集者によるものかもしれないが、「どうか存分に本書を活用され、明るく楽しい希望ある生活をされますよう、切望して止まない次第である」と結んである。まだ時代は高度成長期のとば口に立ったばかりであり、戦後社会が「明るく楽しい希望ある生活」に向かっていると信じられたニュアンスが、こうした本からも伝わってくるような気がする。

私はこの本を、亡くなった義理の伯父の本棚からもらってきた。大正末の生まれで、国鉄に勤め、手先が器用だったこともあり、様々な趣味を持って生きてきた人であった。彼らの世代こそは同じ趣味によって結びつき、ひとつの小さな共同体を形成したように思われる。また趣味ばかりでなく、娯楽や芸能も彼らのような人々によって育てられ、明るい笑いや優れた芸を生むに至ったのであろう。それに時代はまだ昭和三十年代前半で、テレビもそれほど普及していなかったから、このような事典は相当な売れ行き部数を確保したと想像できる。

現在はほとんど消滅してしまったと思われるが、このような事典や辞書の売り方は職域販売と呼ばれ、学校や官公庁、組合などを通じ、セールスマンが訪問販売する手法を採用していた。『趣味娯楽芸能百科事典』が定価と特価の二重表記があったように、特価値段をつけ、しかも職場や組合にもマージンを払うという販売方式である。このことについては後述する。伯父も国鉄の組合を通じて、この事典を買ったにちがいない。昭和四十年代までは職域販売と並んで、自治会や農協などを通じての地域販売も行なわれていたが、郊外消費社会とネット通販の時代を迎えて成立しなくなってしまったのではないだろうか。

林章の『わが告発』(新興出版社)の中に東京書院が出てくる。この本では労働組合との紛争を描いているのだが、それは省略し、四十三年に解散するに至るその事情は次のようなものだ。

 戦前から書籍の通信販売でかなりの業績を上げ、その方面では各種の実用書を刊行し、『国民常識事典』など十数万部を出版してきた(中略)東京書院は、編集チーフの企画持ち出し、販売員の独立等で、42年暮より業績が悪化し、約九千八百万円の負債で、43年にはその対策に苦慮していた。

つまりこの時代に事典や辞書の通信販売、職域、地域販売もすでに終焉を迎えていたのであろうし、東京書院の危機はそのことを告げていよう。『三十年の歩み』で、東京書院は戦前からの出版社だが、東京書院新社として掲載され、株式会社を解散し、個人経営になったと紹介されている。

なおその後やはり昭和三十年初版、三十四年十一版、定価三五〇円の社会法律研究会編『適用条文と最新判例入処世の法律百科事典』を入手したが、奥付のところに「特別割引券」が添付され、本社直接注文は「一〇冊以上二〇〇円」「二〇冊毎に一冊無代贈呈」とあった。また巻末広告から、その出版物を挙げておく。『家庭百科女性宝典』『ペン習字書道教範』『辞典併用手紙大辞典』『図解説明社会常識百科事典』『運転修繕自動車運転士受験講座』などで、これらはまさに東京書院が直販を主とする「造り本」の出版社であったことを示している。

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