少しばかり時代が飛んでしまうけれど、前回の大沢在昌『毒猿』における新宿と台湾の関係の後日譚と見なしていい作品が九六年に刊行される。それは馳星周の『不夜城』である。『不夜城』は次のように書き出されている。
(角川文庫) |
土曜日の歌舞伎町。クソ熱い夏の終わりを告げる雨がじとじと降っていた。
区役所通りを職安通りに向かって歩いていた。手さげたスポーツバッグがわずらわしかった。土曜と雨が重なった区役所通りは、平日の半分の人影もなかった。狭い歩道を占拠しているのは、ミニから伸びた足をこれみよがしに突き出している女たちと客引き、それに中国人たち。ときおり、南米や中東の顔も見えるが、数えるほどしかない。日本語より北京語や上海語の方がかまびすしい歩道の脇では、客待ちのタクシーが延々と列を作っていた。
このような冒頭の描写からしても、歌舞伎町の主役が「中国人たち」で、「北京語や上海語の方がかまびすしい」状況になっているとわかる。それもそのはずで、その後に新宿の実権は台湾マフィアから中国系マフィアの手に移った、あるいは台湾の連中が消えた後に大陸と香港、マレーシアのやつらが大挙して押し寄せてきたとの記述も見つかる。時代と状況が変わったのだ。それは携帯電話の使用にも表われ、またバブル崩壊に関する言及にも示されていることになる。
『新宿鮫』の背景が九〇年代初頭だったことに比べ、『不夜城』は九〇年代半ばの新宿状況、同書の中に言葉を借りれば、「夜の歌舞伎町のルールは中国人のルールに置き換えられ」、「日本の法律は歌舞伎町じゃほとんど無意味」という舞台裏を前提として、『不夜城』の物語は始まっている。
それらに加え、混住の実態はさらに錯綜し、残っている台湾人、新たに押し寄せてきた中国人に加え、周辺を含めると、韓国人、タイ人、パキスタン人、コロンビア人なども共棲し、それぞれが裏の仕事に携わっているのだ。それらの異なる民族の錯綜について、馳はレイモンド・チャンドラーもどきの比喩を使用し、あまり上等ではないけれど、カジノを取りしきるタイ人のことを、「その表情は、コロンビア人の娼婦を相手に、ボディガードをしてやる代わりに一発やらせろと迫っているイラン人のようだった」と描写している。このねじくれたオリエンタリズムは、馳のレトリックというよりも、これらの人々の中にあって、彼らよりもさらに屈折した立場にある主人公の眼差しから派生したものと考えられる。
このようなひとつの町における民族の混淆を前提にして始まるハードボイルド小説がある。それはいうまでもなく、ダシール・ハメットの『血の収穫』で、アングロサクソン人に加え、フィンランド人、イタリア人、東欧系も入り乱れた人種の縄張り争いが展開されている。その町はパースンヴィル(人間の町)ならぬポイズンヴィル(毒の町)と呼ばれていた。そこに現われるのはコンチネンタル探偵社の「おれ」で、「おれ」は彼らを互いにつぶし合いさせ、町を清掃しようとするのだ。
『不夜城』の範となる物語構造もまたこの『血の収穫』に仰いでいることは明白であり、ここでは新宿歌舞伎町が他ならぬポイズンヴィルなのだ。とすれば、『血の収穫』の「おれ」に相当する人物とは誰なのか。それは日台混血の故買屋 劉健一(リウジエンイー)である。彼も含め、登場人物リストを作成してみる。
*劉健一 | / 日本名高橋健一。三十歳半ば。父は死に、母は失踪。楊偉民をたよって歌舞伎町に移り住み、北京語を学び、故買屋とバーを営む。 |
*楊偉民 | / 台湾人。表面的には薬屋を営む老人だが、歌舞伎町の実力者で、自前の自警団を持ち、情報に精通し、マフィア、堅気を問わず、様々な中国系社会に情報を売っている。 |
*呉富春 | / 中国人と日本人の混血で、中国残留孤児二世。八二、三年に吉林省から帰国。健一とコンビの仕事仲間だったが、一年前に麻薬関係のトラブルで上海人を殺し、逃亡。 |
*元成貴 | / 上海人の留学生崩れ。歌舞伎町の上海人をまとめ、不法入国者の受け入れ、ドラッグや銃器密輸入で金を貯え、レストラン、貿易、人材派遣なども手がけ、大物実業家の仮面も得ている。富春が殺したのは彼の片腕。 |
*孫淳 | / 元成貴の脇に侍る殺し屋。元人民解放軍特殊部隊の兵士。 |
*黄秀紅 | / 元成貴の愛人。数年前に失脚した中国共産党の娘で、北京大学から東京大学へ国費留学し、そのまま新宿に居着き、中国人バーを経営。 |
*崔虎 | / 北京グループのボスで、北京大学出と伝えられる。元成貴や上海グループと敵対し、歌舞伎町の中国人同士の殺し合いの大半に絡んでいるとされる。 |
*呂方 | / 健一と同年で、台湾人不良グループの頭。少年にもかかわらず、ナイフの名手だったが、健一に殺される。 |
*夏美 | / 健一に買ってほしものがあると電話してきた女。後にやはり残留孤児二世で、富春の妹とわかる。 |
『不夜城』の物語は元成貴の片腕を殺し、姿をくらませていた呉富春が歌舞伎町に戻ってきたことで、幕が切って落とされる。そして歌舞伎町を舞台をする台湾人、中国の北京人、上海人グループの台湾語、北京語、上海語が入り乱れる闘争に突入していくわけだが、共通言語が日本語であることはいうまでもない。
しかしこの混住小説『不夜城』に至って、新たなコンセプトが導入されたと見なせるし、それこそ物語を支える血脈のように思える。それは「半々(バンバン)」、主人公の健一が台湾名では劉、日本名では高橋であるように、混血であることを意味し、混住社会の新たなる段階を示唆している。健一にとっては「新しい名前を得たことで、目に前に広がる世界が劇的に変化したのだ」。そこに策謀が蠢いているのを後に知ることになるのだが。
「半々」は健一だけでなく、コンビを組むに至った中国残留孤児二世で日本名を坂本富雄という富春も同様だった。健一の独白。
おれと富春は似た者どうしだったのだ。少なくとも、身体の中に流れる血が半分は日本人、もう半分は中国人のもの―といっても、おれの場合は台湾人だが―というのは兄弟のようなもので、どちらもそれまで自分が属していた世界とは別の世界に受け入れてもらおうとして、手厳しく拒否されたという点では同じコインの裏表みたいなものだった。
二人は八九年に歌舞伎町の台湾クラブで出会ったのだ。富春は健一の顔を見て、「北京語で、中国人かと聞いてきた。おれは、半々(バンバン)だ、と答えた。狼の群れの中に間違って紛れ込んでしまった野良犬同士かお互いの存在を敏感に察知したようなもの」だった。ここに『不夜城』の物語コードが提出されている。つまりこれから展開されていく物語は日本人、台湾人、中国人からなるそれぞれの「同胞」の社会に対し、「野良犬」でしかない「半々」が闘争を仕掛けていく。「この世の中にはカモるやつとカモられるやつの二とおりしかない」のだ。
この二人にもう一人の「半々」が加わり、そのトライアングルが『不夜城』を動かすドライビングフォースと化していく。夏美という中国女を追って、富春は歌舞伎町へ戻ってきたのだ。だがこの謎めいた女、虚偽と裏切りを繰り返すファム・ファタルのような女は、富春の妹にして、近親相姦の関係にある呪われた女のようでもある。中国残留孤児二世として日本へと帰国し、兄と同様に学校での差別と疎外、それは「半々」という人種主義との遭遇であり、都市へと出奔し、富春と再会し、健一の前へと姿を表わすことになったのだ。それも宿命のようにして。夏美は別名小蓮(シャオリエン)、呉富蓮、坂本真智子。またしても健一の独白。
夏美が血の繋がった兄たちと寝たのは、決して性欲からなんかじゃない。狂暴な兄たちを手なづけ、奴隷のように従えるには自分の肉体を差し出すのがベストだと判断したのだ。(中略)夏美は打算で動く生き物なのだ。
おれにはわかる。夏美は常に怯えながら生きていたに違いないのだ。夏美の目の色が持つ意味を、おれはやっと理解した。夏美は、おれと同じ場所で生まれた生き物だったのだ。
「あいのこ」=「半々」とはもうひとつの故郷へと帰れない存在に他ならない。それでいて、彼女は「ヨーロッパの昔の絵に描かれた闘いの女神のようだった」。これがドラクロワの「民衆を導く自由の女神」をさしているとすれば、夏美は悪や裏切りを象徴する宿命の女であると同時に、「健一を導く女神」という両義性を帯び、『不夜城』に君臨していることになる。健一、夏美、富春の「半々」たちのトライアングルと疑似家族の行方はどうなるのか、物語はそれらのカタストロフィに向けて沸騰しながら突き進んでいく。そこに馳星周が提出した混住小説の新しい様相と局面が描かれているように思える。
またさらに補足すれば、既述してきた八〇年代の混住小説がノンフィクションに先行して書かれたことに比べ、九〇年代にはノンフィクションも併走し、『不夜城』にはそれらのエキスも取りこまれ、こちらも「半々」的構成となっている。参考文献として、井田真木子『小蓮の恋人』、吾妻博勝『新宿歌舞伎町マフィアの棲む街』(いずれも文藝春秋)、莫邦富『蛇頭』(草思社)などが挙げられているが、後の二冊は文庫化にあたって、馳が解説を書き、これらが『不夜城』の物語スキームとデータベースを支えていたことが記されている。これに溝口敦『チャイナマフィア』(小学館)を挙げてもいいだろう。このような九〇年代に入ってから、難民であれ不法入国者、滞在者であれ、残留孤児であれ、フィクションとノンフィクションが「半々」となって、新しい地平へと進んでいくのである。