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古本夜話352 アトリエ社と原色版『ヴァン・ゴッホ』

アトリエ社の本は『現代商業美術全集』の他に五冊ほど所持しているので、それらについても書いておきたい。
現代商業美術全集

これも一度調べなければならないと考えているのだが、昭和十五年以後、大判の美術書が多く出されるようになり、流通と販売がどうなっていたのか、そうした事情がよくわからない。青木茂『書痴、戦時下の美術書を読む』平凡社)という好著も出されているが、それらについてはほとんど言及されていない。その理由をいくつか挙げておけば、流通において定型の木箱が使われていたことから、それに入ったかどうか、また流通コストの問題、さらに当時の書店状況と規模を考えても、販売においては棚に収めることができないといった事情である。そうした大判の美術書を含め、それに類する書籍を刊行していた一社がアトリエ社だと見なせるだろう。

書痴、戦時下の美術書を読む

その典型的出版物が『原色版ヴァン・ゴッホ』で、判型は菊倍判、十二円と高定価だが、それでも昭和十六年初版千部、十七年再版二千部との記載が奥付に示されている。当然のことながら箱入で、その箱の背にはRecueil important des oeuvres VINCENT VAN GOGH Reproductions en couleur というフランス語表記、つまり日本語にすれば、『原色版ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ傑作集』なるタイトルが付され、箱表紙にもまたゴッホの自筆であろうVincentのサインがタイトルに採用されているので、それだけを見ると、洋書としか思われない。それは赤地の装丁の本体も同様である。

編輯者は小山敬三、硲伊之助、足立源一郎の三人で、彼らは六十二点の収録作品を分担し、愛情のこもった解説を寄せ、同じ画家としてのゴッホへの信奉を伝えようとしている。それは「跂」を書いている式場隆三郎の「ゴォホ(ママ)が明治末年から大正時代にかけて、日本の新文化に与えた力は大きい」との言の証明でもあろう。しかも最初に掲げられたパリ時代初期の小品「干魚」は本連載337でふれた福原信三の所蔵と小山が記してもいる。

六十二点の絵がそれぞれ一ページを占め、しかも裏側は空白に処理され、それに解説も同様なので、実質的には百三十ページほどの一冊となっている。もちろん現在から見れば、印刷技術は比較するべくもないが、当時としては最高のレベルにあったにちがいない。ちなみに原色印刷者は秋元謄一朗、印刷者は東郷博と明記されてもいる。発行者は福山須磨子とあるが、美術出版に通じた女性編集者ではないだろうか。

それらは編集と製作絡みのことだけれど、判型や装丁もそうだが、十二円という高定価は明らかに、取次や書店での流通や販売を主たる手段や目的としていないと推測できる。例えば、箱のフランス語タイトルからして、あるいは判型の大きさにしても、棚に入らないし、明らかに店売向きではない。おそらく都市の大書店を中心とする通信販売などによって売られたと考えるしかない。それにしても戦時下において、このような美術豪華本といっていいものが三千部まで刷られたことに大きな驚きを覚えるし、美術家や画学生などにとってさえも垂涎の的のような一冊だったとも想像してしまうのである。

最近になってそれを実証する記述を見つけたので、そのひとつの例として紹介しておこう。福音館や平凡出版のエデュトリアル・デザインの第一の功労者というべき堀内誠一のことを調べる必要があり、その著書『父の時代・私の時代』(日本エディタースクール出版部、後マガジンハウス)を読んでいた。それで知ったのだが、堀内の父は本連載340でもふれた、大正十五年に浜田増治たちと日本商業美術家協会を設立した多田北鳥の弟子だった。その関係から、堀内は多田門下の多かった伊勢丹宣伝部に入り、デザイナーの道を歩み始める。
父の時代・私の時代

多田はキリンビールの広告により著名で、「ポスター作家」ともてはやされていたという。『紙上のモダニズム一九二〇−三〇年代日本のグラフィック・デザイン』(六耀社)の中に、六ページにわたって多田の紹介と彼のキリンビールなどのポスターが収録されている。その一枚はキリンビールの商標を胸に抱いている、おそらく水着姿の少女を描いたもので、復刻のポスターを居酒屋で見たことがあり、これが多田なのかと教えられた。
紙上のモダニズム一九二〇−三〇年代日本のグラフィック・デザイン [f:id:OdaMitsuo:20131205130650j:image:h140]

堀内の伊勢丹への入社は昭和二十二年のことで、装飾係員としての本給は千円、手当てが二百五十円だった。そして初任給をもらった時のことを書いている。

 早速、戦前のアトリエ社刊、セザンヌとゴッホの画集、各三冊組で一冊二五円の古本を買うと月給は消えました。

私は前述の一冊しか見ていないが、この記述によれば、ゴッホの他に同じようなセザンヌの本も出ていて、しかもそれらが一冊ではなく三冊であり、戦後のインフレと文化の時代の到来も作用し、古書価が倍以上になっていることになる。

敗戦を境にして、戦前の軍国主義に基づく出版物の古書価は暴落し、その代わりにあの小川菊松の企画した『日米会話手帳』(誠文堂新光社)の大ベストセラーを戦後出版史は伝えている。

それから十数年後に私たちが美術絡みでアトリエ社を知った頃は、美術教本としての雑誌『アトリエ』を刊行している出版社でしかないように思われたのだが、『現代商業美術全集』にしても、『原色版ヴァン・ゴッホ』などにしても、アトリエ社はまったく異なる美術書出版社でもあったことになる。本もまだ他にあるので、もう少しアトリエ社のことをたどってみよう。

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